閑話 東谷香奈と新しい友達

 壇上に歩みを進めた瞬間、たくさんの視線が私に向くのを感じた。

 少しだけ騒めきが大きくなるのを気にせず、ステージの上に用意されているマイクの位置を上側に調整する。

 一応カンペは用意しているけど、中身は全て覚えてしまっているから大丈夫。まっすぐ前を見ると、壇上からはこの学校に通う全ての生徒が見渡せた。そして、今日から私もその一員となる。

 

「新入生代表、東屋香奈あずまやかな

 

 その一言から、私の高校生活が始まった。



 

 1年1組、出席番号1番。それが私の新しい番号。

 全校集会が終わり、各々教室へと入っていく。一番最初の席は出席番号で決められているから、私の席は一番前の扉側、後ろの人はちょっと見づらいかもしれないから、申し訳ないなと思いながら着席する。

 中学時代はこの背の高さと早熟な身体のせいで、あまり仲がいい友人はできなかった。とはいえ全く話しかけられないというわけではなく、どちらかというと腫れ物を扱うような、そんな雰囲気だった。3年間ずっとそんな感じで、一人で過ごすのが当たり前になっていた。

 高校では身体差も少しだけ縮まるし(といっても今のところ私より背が高い女子生徒は見当たらない)もう少し仲がいい友人を作れたらな……と思っているけど。

 そんなことを考えていると、隣に女の子が着席する。とりあえず話しかけるならやっぱり隣の人かな。

 

「初めまして――」

「あなたが東屋香奈ね」

「……そうですけど」

 

 話しかけようとしたら、先に名前を呼ばれた。少し明るい髪色に、ウェーブを描くくせっ毛、背は標準より少し小さめの彼女は、なぜか敵対的な目で私を見据えていた。

 

「勝負よ! 東屋香奈! 来週の総合テストの点数で私が勝ったらその主席の座、明け渡してもらうわ!」

 

 まっすぐ私を指差すその子に、私はなにか恨まれるようなことがあったか記憶を辿ることしかできなかった。

 

 


 私に勝負を挑んできた隣の席の子は、美空夕みそらゆうと名乗った。

 その宣言があまりにも大きな声だったものだから、一日も経てばクラスの外側にまでも知れ渡っていた。もともと私が注目されていたこともあって、その話は一人歩きしていって、いつしか大きなイベントみたいになっていた。クラス内で頑張ってねと話しかけられることも多くなり、幸いなことにそれがきっかけで何人かお話できる友達が出来た。

 高校生にもなると他人の違う部分を受け入れやすくなるみたいで、自然に輪の中にも入ることができて、ちょっと拍子抜けしてしまうくらいだった。

 私とは逆に、美空さんはその血気が外側から透けて見えるようで、いつも話しかけづらい雰囲気を纏っていた。それを感じているのは周りのクラスメイトも同じようで、少しずつ形成されるクラス内のグループからも外れてしまっていた。

 何日かして席替えが行われて、私はいつも通り一番後ろの席になる。

 新しい席で隣になった女子生徒からも話しかけられるようになって(最初はすごく恐る恐る話しかけてきたけど)自然とその周辺のグループでお昼も一緒食べるようになった。

 

「香奈さんは自信あるの? 総合テスト」

「勝負って言われちゃったから、準備は念入りにしてる」

 

 総合テストとは中学生の内容を総復習するテストのことだ。入学1週間後に予定されていて、五教科計で500点満点、結果は上位百人が壁に張り出される。学校側の目的としては、中学卒業後もしっかり勉強しているか、遊んでしまって成績が下がっていないかを自覚させるためのテストといったところだろう。

 テストの予定は入学時から聞かされていたから、もちろん中学の総復習は欠かしていない。だけど今まで私に勝負を挑んでくる人なんていなかったから、少しだけ力が入っているのも自覚していた。そしてその勝負にどこかわくわくしている自分も。

 

「絶対勝ってよね。わたし、香奈さんを応援するから」


 今日もお姉ちゃん作のお弁当を食べていると、そんなことを言われる。


「えー、私も香奈さん側だよー」

「倍率凄そうだよね、中学の時から美空さんのこと知ってる人はもちろん応援しないだろうし」

「美空さんってなにか悪評でもあるの?」

「えっとね、悪評ってわけではないんだけど……」


 どうやら私を応援してくれた人の一人は美空さんと同じ中学だったらしく、その時の様子を教えてくれた。


「とにかく負けず嫌いなの。勉強は得意だし、スポーツもできるし、なんでもできる人なんだけど、たまに負けると勝つまでその人に付きまとうから面倒がられることが多くて。勉強で負ければすっごく勉強するし、運動で負ければ校庭を走り続けたり、とにかく努力する人って感じ。それで負けた次の勝負とかはちゃんと勝つんだよね」


 友達はその極端さに呆れたように話してくれたけど、私はそれを聞いて美空さんにかなりの好印象を抱いた。自分の弱点を努力して克服できる人は素直に凄いと思う。しかもちゃんと勝つということは、その努力の方向性もきちんと分析できているということだ。

 そんな美空さんは席替えであまり位置が変わらなくて、一番前の席で一人黙々とお弁当を食べている。その姿が少しだけ中学にいたときの私に重なる気がした。



 

「ってことがありまして」

 

 最初の一週間が終わって金曜日の夜、勉強も済ませた私は、ベッドの上であゆみさんと通話をしていた。

 電話の向こうのあゆみさんはいつも通りお酒を飲んでいるようで、酔うとちょっとふんわりしとした話し方をする。それがなんだか可愛いくて私は好きだった。

 

『その子とは初めましてなんでしょ? 香奈に学力で挑むなんて挑戦的だねー』

「そのおかげでクラスには馴染むことができましたが」

 

 私の代わりのように、美空さんが一人になってしまったことだけが気になる。最初の席替えで離れてしまったから、実際話したのも最初だけ。今更競争相手に話しかけるのは周りの空気感もあってちょっとやりづらい。

 

『それで勝ったらなに要求するの?』

「要求ですか? 特にそんな話はなかったと思いますけど」

『あれ? そうなんだ。でも香奈が勝ってなにもないんじゃ特に受ける意味なくない?』

 

 美空さんは勉強には自信があったみたいだから、私が入学試験で主席だったのが気に入らなかったんだろう。

 その主席の座を総合テストで取り返そうとしている……それは別に勝負なんか宣言しなくても、テストの点数が張り出されれば勝手に分かるもので、よくよく考えれば私に宣戦布告をする意味もないように思えた。もしなにも言われないままだったら、私もそんなに意識して力を入れることもなかっただろうし。

 

「なんで美空さんは私に宣言してきたんでしょう……?」

『主席になりたかったのは間違いないと思うんだよね。でもあえてそれを直接、香奈に宣言してきたのは、その子も案外――』

 

 あゆみさんは、そこでちょっとしたアドバイスをしてくれた。

 そのアドバイスは私の中ですんなり理解できて、もし勝負に勝ったらが実施してみようと思った。



 

 月曜日、総合テスト前のホームルーム。

 私は席に座って参考書を読んでいた美空さんに話しかける。

 

「美空さん、おはよう」

「おはよう……準備は万端かしら?」

 

 美空さんは自信満々の視線を私に向ける。

 

「私もしっかり対策してきたから、負ける気はないよ。ただ主席を奪い合うだけならちょっとつまらないから、勝った方は負けた方の言うことを一つ聞くというルールを追加しない?」

「そんな提案をしてくるなんて、自分の勝利を疑ってないみたいね」

「勝負するからには、勝つこと以外考えない。それに今の美空さんはチャレンジャー、負けた時のリスクを取ってもらうのが普通だと思う」

「いい度胸じゃない……受けて立つわ」

「もちろん、お願いは可能な範囲で。それじゃあお互い頑張ろうね」

 

 ある意味私が煽ったようにも見えるその場面は、美空さんの気迫を何倍にもしていた。なんか真っ赤なオーラを背中に背負っているようにも見えて、周りの人たちは遠巻きにそれを見ている。

 

「ね、ねぇ香奈さん。あんなこと言って大丈夫なの? 美空さん、なんか凄いけど」

「大丈夫。もう少しで先生来るから席につかないと」

 

 確かに私の行為は美空さんの静かな闘志に、ガソリンをまいて炎上させたようなものだけど。

 闘志や気迫だけで点数が取れるなら、普段の勉強なんていらないんだ。




 さらに一週間後、登校すると、玄関横にある大きな掲示板にはずらりと名前が並んでいた。

 私はもちろん順位が高い方に目を向ける。そしてすぐに私の名前を見つけた。


 東屋香奈 500 点


 張り出された紙の上には、私が満足する数字が印刷されていた。

 私の勝負はみんなが知るところだったから、まわりの歓声はまぁまぁ大きくて、合流した友達にも凄い凄いと言われて、さすがに少し優越感を感じた。もちろん表には出さないけど。

 そして美空さんの名前を探す。


 美空夕 488 点


 その点数は学校全体で見ればもちろんトップクラスの点数。

 だけどその順位は四番目で、主席を名乗るには私以外にもまだハードルがあるみたい。

 ふと人だかりが割れたと思うと、美空さんが唇を噛んだまま悔しそうに佇んでいた。

 

「全然届かなかった。私の負けよ」

 

 ちゃんと負けを認めるその姿に、プライドの高さを感じる。その姿はやっぱり私には好印象だった。

 

「じゃあ、私のお願いを聞いてもらおうかな」

「言ってみなさい」


 そして約束もちゃんと守ってくれるようで、その条件を口にする。


「その前に質問なんだけど、美空さんってお弁当だったよね。それ自分で作ってる?」

「自作よ」

「じゃあ三日間、私の分のお弁当も作って。それを一緒に食べよう。私のお弁当、姉が作ってくれてるんだけど、ちょっと最近は失敗が多くって」

 

 それは、あゆみさんのアドバイスを聞いて、私が考えた条件だった。

 あの夜、あゆみさんが話してくれたのは私の姉と最初に知り合った時のエピソードだった。大学に入って最初の頃、学食でお昼と食べようと思ったのはいいものの、席のほとんどは埋まってしまっていて、右往左往していた時。

 たまたま一つだけ空いた席があって、ここの席が空いてるよと教えたのが私の姉だったらしい。

 姉はもともと授業であゆみさんを見かけたことがあり、同じ1年生ということもあって一緒にお昼ご飯をしながらお話をして、次の授業から一緒に出るようなった。

 

「ようは強制的に一緒の時間を過ごすようにすればいいんだよ。やり方はいろいろあるけど、ご飯を一緒に食べるのが打ち解けやすいかな?」

 

 たぶん、美空さんは私と同じタイプなんだろう。

 プライドが高くて、それに見合う努力をしていて、そんな自分を信じているから負けたくなくて。

 はっきりと勝負を挑むのはちょっと猪突猛進すぎるけど。話せばきっと仲良くなれるんじゃないかなとそんな気がしていた。

 そんな私の要求を聞いて、なぜか周囲の人たちは色めいていた。……そんな変な要求はしていないと思うけど。

 

「……わかったわ。そういうことね」

 

 対する美空さんはなにが面白いのか、さっきの沈んだ表情からは一変して笑みを浮かべている。

 

「来週、楽しみにしてなさい。今度は料理の腕で、あなたを唸らせてみせるわ」

 

 あー……そういう感じで受け取っちゃったか。

 その反応は少し予想と違ったけど、やってることは変わらないからいっかと私は考え直して、明日からのお昼を楽しみにすることにした。

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