第4話 家出(公認)_2

 家には私のシングルベッドの他に、お客さん用の布団が一組ある。今のところは帰るのが面倒、と時々家に泊まっていく恵奈専用の布団だけど、今日は香奈が使うことになった。

 

「……あの、一緒に寝てもいいですか?」

「私と?」

「はい」


 ……使う予定だったけどそうはならなかった。


「ど、どうぞ」


 電気を消したばかりでまだ目が慣れていないから、香奈の表情は読み取れない。

 私がさっき寂しくない? と言ってから香奈の口数は少なくなってしまって、なにやら考え込んでいるようだった。

 私の言葉に香奈の人生を変える力なんてないと思っていたけど、香奈の心のうちはまだわからなくて。なんとなく後ろめたい気持ちもあり、そのお願いを断ることができなかった。


「失礼します」


 もぞもぞと、細い体がすぐ隣へと入ってくる。


「いや、狭いなぁ!」

 

 我慢できなくて思わず叫んだ。さすがにシングルベッドに178cmと165cmの二人は狭い。


「いいって言ったじゃないですか、我慢してください」


 そういう香奈もちょっと笑いを我慢していた。本人も思ったより狭そうにしているから、私と同じ感想ではあるみたい。

 動くたびに腕や足が当たる、寝返りもちょっとしづらい。すぐ近くにいる香奈の髪からは、うちで使っているシャンプーの匂いがしてなんだかどきどきした。


「昔、良くこうやって姉の布団に忍び込みました」


 その一言に、なぜ香奈が私の布団に入ってきたのか、理由がなんとなく想像できた。私と寝たいわけじゃなく、きっと恵奈の代わりって感じなのかな。

 それが分かって、早まっていた鼓動が急に落ち着き始める。隣にある暖かさも、なんとなく安心できるものになってきた。

 

「昔っていつ?」

「小学校低学年の時なので、5、6年前ですかね」


 そんなに昔じゃないな……と思いながらも黙って聞く。


「その頃はいつも姉の後をついて歩いていたので、夜一緒に寝るのも当たり前だったんです。なんだか懐かしい気持ちです」

「今は恵奈とどうなの?」

「私はそんなに仲悪くないと思っていますよ、でもだらしないところをよく注意をするので、姉は毛嫌いしてるかも」

「だらしなさは私も同じようなもんだけどねー」

「確かにそうなんですけど……あゆみさんは姉とはちょっと違う感覚ですね。血縁者じゃないからでしょうか」

「毎日会わないからまだ我慢できてるとか?」

「そうかもしれません」


 香奈のお姉ちゃんじゃなくてよかったと心から思った。


「……私、学校で仲のいい友人がいません」


 ベッドの中、背中合わせのまま香奈がそんなことを言う。


「別にいじめられているとかじゃないですよ。休み時間に話す友人もいますし、二人組で困ることもありません。でもなんだかやっぱり話す内容が合わなくて、休みの日、一緒に遊びにいくような友人はいません」


 そう話す香奈の声に悲しいとかの感情はなくて、ただ事実を述べているだけだった。それが香奈にとっての日常、香奈の中学校生活。


「私、容姿も身長も学力も、周りの人たちと違うんです。なので友人がいなくても仕方ないと思っていました。人は共感する生き物ですから、少なくとも学校内に私の目線を共感してくれる人はいません。私はみんなと違うからそれはしょうがないことで、だから寂しいとかも考えないようにしていました」


 それは私が小、中学校で経験してきたことを彷彿とさせた。私も小さいころから背が高くて小学校ではバカにされたりもしていたし、中学校でも遊びに行くような友人は確かにいなかった。私はそのどうしようもない感情やストレスを、寝ることで忘れていたけど、香奈はもっと大人の考え方をしていて、それが普通だと信じ込んでいた。


「でも今はあゆみさんと知り合ってちょっと考えが変わりました。私、あゆみさんと初めて出会った時、本当にびっくりしたんですよ。私が首をあげて話すことって、近い女性の中じゃあんまりないことだったから。きっとあゆみさんから見たら、私はまだまだ子供でしょうけど、そんな私とも対等に遊んでくれて、私の気持ちにも共感してくれて。だから、さっきあゆみさんに寂しくない? って聞かれた時、正直に言うと……あゆみさんと遊べなくなるのは寂しいなって、そう思いました」

 

 いつか恵奈が言っていた。あんた、相当香奈に懐かれてんね、と。その時の私はそう言われてもあんまり実感がなかった。香奈には香奈の友好関係があると思っていたし、私よりも仲のいい友達だって当然いると思っていたから。だけど、その話を聞いてそれは間違いだったと気づく。香奈には悩みを聞いてくれたり一緒に楽しんでくれる友達が、私の小中学校生活と同じようにいないということに。

 だから私が何気なく言った感想に、香奈は真剣に悩んでくれたんだ。


「あゆみさんが本当に寂しいと思ってくれるなら……私、もう少し考えてみます」


 その言葉を最後に、やがて香奈からは規則正しい寝息が聞こえてきた。

 私は、私の言葉が他人の人生に影響を与えるなんて想像もしてなかった。それでも放った言葉を今更取り消すことなんてできなくて。

 背中に感じる心地よい暖かさを、ただ受け入れるしかなかった。



「おつー」

「おつかれー」


 大学内の食堂で恵奈と会う、恵奈の目の前には半分減ったラーメンがあって、私も親子丼の乗ったお盆を置いて座った。


「どうやって香奈を改心させたの?」

「改心? なにそれ」

「香奈、やっぱり進路誠英に戻すってさ」

「……そうなんだ」

 香奈の選択に私の言葉が影響していることが間違いない。だけど、今更なにも言えなくて。

 私の気のない返事を恵奈は気にすることもなく、ずずーとラーメンをすすり始める。


「でも助かったよ。香奈が北海道に行くとうちのお母さんも心配しちゃうしさー」

「でも香奈は、そこ行きたがってたんでしょ?」

「んまぁね、でもあそこの学校ってその分野特化で、他は特に普通の高校みたいだし、誠英の方が全体的なランクは上だよ。将来心変わりする可能性もゼロじゃないから、私は誠英の方がいいんじゃないかと思ってたんだよね」

 恵奈の言葉に、少しだけ胸が軽くなる。

「……なーんだ、そんな素振りもなかったけど、恵奈もちゃんと香奈のこと考えてたんだ。さすがお姉ちゃん」

「うっさい」


 恵奈はじとっとした目で私を睨む。その視線はどことなく香奈に似ていてなんだかおもしろかった。


「香奈のことだから、高校から海外に行ってきまーすってのもあり得ない話じゃないと思ったけど」

「あぁ、それはないわね。うち母子家庭だし」


 冗談めかして言った言葉に、今まで聞いたことのない返答が帰ってきて耳を疑った。


「マジ?」

「あ、言ってなかったっけ? お父さん香奈が生まれた少し後に亡くなってんのよ。だからお母さんも子供が拠り所みたいな感じあってねー。私も香奈もそれは気にしてるんだ。だから北海道行くなんて言った日にゃもう大喧嘩よ。……私は、香奈の気持ちもちょっと理解できるから、なにも言わなかったけど」

「そうなんだ……」

「今更気ぃ使わなくてもいいからね」


 香奈もそれが分かっているから、海外にはいかないって言ってたのか。私から見れば北海道も海外みたいなものだけど。


「まぁまた香奈と遊んでやってよ。学校の友達とはあんまり外で遊んでないし、あゆみと出かけるの楽しみにしてるみたいだったから。……じゃあ私次の講義あるから」

「もう休めないんだっけ?」

「そうそう、ノートは後で見せてもらうから寝てるだけなんだけどねー」


 ひらひらと手を振って、恵奈が食堂を出ていく。

 半分に減った親子丼を前に、あの日のことを考える。

 香奈と一緒に寝た次の日、香奈は特にその夜の話に触れず(香奈作の)朝ごはんを一緒に食べ、香奈に溜まった洗濯物を洗うように言われ、一緒に干して、おまけに少し掃除をしてから、家出のことなんてなかったかのように帰っていった。

 それから特に連絡はないけど、あの夜、香奈の心に少し変化させたことは間違いない。それがいいのか悪いのか……そこまで考えても仕方ないか。香奈はきっと、自分の決めたことに反省はしても、後悔はしないだろうから。

 ふと香奈のことを思い返していて、私が自分から香奈を遊びに誘ったことがないことに気づいた。

 いつも香奈と出かける時は、香奈から連絡がきて、予定もすでに決められていることが多い。私はただそれに付いていくだけ。それで対等な関係といえるだろうか。たまにはこっちから誘ってみるものいいかもしれないと、私は空になった丼を前に香奈の連絡先を探した。

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