第9話 妹

 ***


「ここから先は仇野あだしのだ。少し危険な場所に入る。俺に命を預けられるか?」

 左手に立つ男は真面目なトーンで聞き、鋭い目で遠くを見据える。

 曇天。崖沿いの道の手前で構え、奥には暗黒色の街並みが広がる。

 張り詰めた顔の少女はうなずき、口を開いた。

「遠慮せずに飛ばして」


 身の安全を任せて、突っ切る。

 鉄格子の内側に足を踏み入れると案の定、襲われた。

「ようよう、どれだけ稼いでんの?」

「ぼーっとしているだけで土地から金が入ってきて、いい御身分だなぁ、おい!」

「ああ、ゴミ身分だっけ? アヒャヒャヒャヒャ!」

 なにを勘違いしている? こちらはただの旅人だ。貴族ならもっとまともなお供を連れて、紫紺の馬車で優雅に揺られている。

 なお、あきれている場合ではなく、半グレ集団に囲まれピンチだ。

 体を硬直させるカスミ。手前に出たのは藍原で、約束通り少女を守る体勢だ。彼は縞模様のシャツの裾からナイフを取り出す。鋭い刃の閃き。

「武器があろうが関係あっか! こっちは鉄パイプだぞ!」

「やれぇ! やっちまえぇ!」

 一対多数での戦いが始まる。

 大丈夫かとヒヤヒヤ。

 固唾かたずを飲んで見守る。


 緊張している間に終わり、藍原はしのぎしきった。安堵しきって体から力を抜いたとき、ぐいっと強い力で腕を掴まれる。レザーの冷たい感触。

「ぼさっとしてるな、逃げるぞ」

 引っ張られて、走り出す。一瞬よろめきかけて、持ち直した。

 藍原は振り向かずに突っ切る。周りを気にする余裕はない。ちょっかいをかけてくる輩は無視して、必死についていく。


 ***


 なんとか危険地帯を突破し、緑豊かな地域に出る。看板にはゆかりと書いてあった。

「ここなら安心だ。気を楽にしていい」

 藍原はゆらぎのない声で呼びかけ、背をまっすぐにして立っていた。

 カスミはハーハーと息をしながら腰を曲げ、膝に手を置く。せっかくの襟付きワンピースがよれよれで、疲れた顔。


 ツツジの植え込みが囲う通りの角を曲がると、広場に出た。真っ青なペンキが塗られたベンチに腰掛け、近くの自販機から買ってきた缶を開ける。

 甘酸っぱくシュワシュワとした液体を喉に流し込む傍ら、藍原はコーヒーの苦い香りを漂わせながら、すすけた空を見上げた。

「妹がいたんだ」

 首元のチェーンに指を絡ませ、持ち上げる。ペンダントトップとなった銀色の面にはよく見ると厚みがあり、ラインが入っていた。隙間に爪を引っ掛けると、パカッと開いたので覗き込む。中には写真があり、くすんだ色をしていた。映り込んでいた少女は色素が薄い。セミロングのおさげで、はしばみ色の垂れた目と眉が可愛らしかった。

「名前は撫子なでしこ

「こんな妹がいたら絶対に大切にするでしょうね」

 相手の気持ちを想像して、やわらかな表情になる。

「ああ、そうさ!」

 力強い声が怒気を含んだように聞こえ、不思議そうな目で見上げる。藍原はすっと立ち上がっていた。

「俺にとっちゃ、絶対に守りたかった相手さ」

 ロケットをギュッと握り込むと、硬い音が鳴った。

「彼女のことを思うと力があふれてくるんだ」

 遥か先を見据える目。

 じっとしたままの少女。

 藍原は急にこちらを向いた。

「あ、もちろん、あんたを妹だなんて思ってないから。勘違いすんなよ」

「別にそんなこと一言も言ってないんですけど」

 ジト目。

 男はなにかをごまかすように鼻を鳴らし、そっぽを向く。

「なにがなんでも守り抜くと言うだけさ。それだけは約束してやる。その場所へ向かうまではな」

 念押しする発言。

 もしかしたら彼は本当にこちらを妹の代わりにしたかったのか。わざわざ自分から言うことは、そういうこと。

 視線をそらす。

 彼がそんな想いを抱いていたなんて知らなかった。

「休憩は済んだろ。じゃあ、行くぞ。早く会いに行きたいんだろ?」

 すぐにこちらも立ち上がり、カバンを肩に掛ける。数歩進んだときにはすでに男は通りへ入っていたので、あわてて後を追った。


 ゆかりを越えてまた別の場所を目指す。

 若葉通りは人の足で固められた道だ。古典にも出てくる地名で、中学の国語の授業で旅をして回った僧の話を読んだ記憶がある。

 迷いのない足取りで先へ進む藍原。カスミは派手に縞模様が走った背中を見続ける。

 共に旅をする内に彼への印象は変わりつつあった。最初はただのチャラ男で危ない人とすら感じたが、実際は真っ当な人。れいに近づいた女に忠告するのだって、彼からすれば当然だ。

 でも、どうして藍原はスカイグレーの青年が雨宮れいだと気付いたんだろう……?

 もっと話せば分かり合えるだろうか。

 カスミはそっと一歩を大きくし、距離を詰めた。


 ***


 季節が巡り秋の乾いた寒さが、身にみる。てきとうに見繕った防寒着で寒さを凌ぎ、長靴で悪路を進んだ。

 暗雲が垂れ込め、針葉樹林の隙間を縫ったような道はだんだん細く狭まり、人気もない。迷わず進む藍原。本当に彼が示す場所で合っているのだろうか。

 いいや、一度力を借りると決めたのだから、ついていくしかない。あごを引き、引き締まった表情で、足を前に運んだ。


 紅がかった葉が滴る場。枯れかけた茂みに隠れるように一軒の小屋があり、踏み入れると懐かしい匂いが鼻腔をかすめ、ぼんやりとあたりを見渡す。開けた床には染み一つなかった。

「ここで奴を待つ」

 やけに低い声が鼓膜を揺らす。

 茶髪の男がなにか思いを定めたかのような表情で構え、まるで虚飾を剥いだ人形のようだった。

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