レイシス戦記 ―《龍の瞳》と呪われし若領主、弱小国から大陸統一 へ―
山森ヒガシ
第1部『運命を穿つ者』
第1章:龍神の胎動 ―《龍の瞳》の継承者
第1話 辺境に生まれし《龍の瞳》― 祝福か、呪いか
闇が濃く降りる夜、辺境のイルドラ城は重苦しい空気に包まれていた。
ナデア家の当主テルミスの嫡子が産まれようとしている。
それは国の未来だけでなく、隣国バロワ家との盟約にも関わる、一大事だった。
廊下を行き交う者たちは皆、落ち着かない面持ちで産室の様子をうかがう。
そこには、ナデア家の若き奥方セリーナが
「陛下、奥方様のご容体はいかに……」
侍女がたずねる声も震えている。テルミスは険しい表情で応じた。
「まだ苦しんでいる。産婆が懸命に取り仕切っているが、落ち着かぬようだ」
そう低くつぶやいてから、深い嘆息を漏らす。
「龍神よ……セリーナとその子を、どうかお救いください」
ナデア家とバロワ家、それぞれが背負う因縁は小国イルドラの興亡に直結する。
もし出産に不測の事態が起これば、今後の同盟関係は危うい。
従者や侍女たちも胸を締めつけられる思いで見守っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
奥の産室ではセリーナが冷や汗に濡れながら声を上げる。
「うっ……ああっ……! た、助けて……」
それに応えるように産婆が鋭い声で励ました。
「奥方様、踏ん張って……もう、もう少しですから!」
そこへ
「──神よ、魂の導きを……龍神の加護をこの母子に……」
セリーナの苦悶の声に混じり、侍女が恐る恐る顔をぬぐってやる。
「奥方様、呼吸を落ち着けて……大丈夫、すぐに赤子が……」
しかしセリーナは意識が遠ざかりそうになり、か細い声で応える。
「もし……この子に、呪いが宿っていたら……」
「そんなことは、ありません!」
産婆が即座に否定し、必死に布を差し出す。
廊下に立つテルミスは、微かな声を耳にして唇を引き結んだ。
「呪い……か。ナデア家に伝わる《龍の瞳》は、加護にも災厄にもなると聞く。セリーナが怯えるのも無理はない」
そう呟いた彼の横で、従者が硬い顔をする。
「もし本当に呪いとなれば、バロワ家との盟約も……」
「……わかっている。だが、いまは無事を祈るしかあるまい」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夜がさらに深まった頃――産婆の張り詰めた声が産室を震わせた。
「……見えました! 奥方様、もうひと息です!」
セリーナのうめきが最高潮に達し、部屋全体が不思議な圧力に満ちる。
「今……!」
産婆が大きく息を飲んだ瞬間、
「……オギャァ……!」
夜の闇を裂くように、赤子の力強い産声が響き渡る。
「お生まれになりましたぞ!」
濃い血にまみれた小さな命を抱え、産婆は満面の笑みを浮かべた。
そこへ駆け込んだテルミスは、思わず床に膝をつきかける勢いで赤子を見つめる。
「セリーナ……無事か?」
枕に頭をもたれさせたセリーナは、声を振り絞りながらほほ笑む。
「テルミス……この子……ちゃんと、泣いているわ……」
その表情に、ほっと胸をなで下ろしたテルミス。
彼はセリーナの手をそっと握り、言葉を噛み締めるように出した。
「二人とも……本当によく頑張った。ありがとう、セリーナ」
しかし、その瞳にはどこか曇りがある。
「この子の額……一瞬だけ金色に光ったように見えました。まるで龍神の顕現……」
「そんな、光なんて……」
産婆も思わず目をこすりながら、赤子を抱え直す。
「もしや、《龍の瞳》が宿ったのかもしれません。伝承通りならば……」
そうして周囲が戸惑う中、セリーナはやさしく赤子を抱きしめる。
「この子はシヴィカ……。私とテルミスの、大切な宝物よ」
彼女がささやいたとき、テルミスは従者に力強く指示を与えた。
「シヴィカ誕生を知らせろ。城中へ……いや、バロワ家にも急ぎ伝えるのだ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
こうして辺境イルドラに生を受けたのが、のちに《龍の瞳》の継承者と呼ばれる俺だった。
産まれたばかりで記憶などあるわけもないが、周りの大人が何度もこの夜のことを語るせいか、あたかも自分の目で見ていたように鮮明に想像できる。
「ねえ、シヴィカ様。今夜は月が綺麗ですよ」
幼少の頃、侍女がそう声をかけるときがあった。
「龍神が空を泳ぐみたいに、月の周りに鱗雲が広がる時があるわ。シヴィカ様がお産まれになった夜も、そんな空だったんですって」
「ふうん……そんなに特別な夜だったんだね」
俺がはしゃぐ年頃になると、その「特別」だという事実は息苦しく感じることもあった。けれど母は優しく微笑みかけてくれる。
「あなたは特別だけれど、まだ子どもなのよ。いっぱい外で遊んで、たくさん笑っておいで」
その言葉を守るように、城の外へ駆け出すのが日課になっていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おい、シヴィカ! また森に行くのか? 危ねえぞ!」
城下の子どもが俺を呼び止める。
「平気だよ! ウサギを見つけたんだ、捕まえるんだ!」
「やめとけって! この前、足を滑らせて川に落ちかけただろ!」
そんなやり取りをよそに、俺はわくわくしながら森を走り回る。
従者や侍女が大慌てで追いかけてくるのも気にしない。
「シヴィカ様、待ってください! 少しはお休みを……」
「やだ! まだ走れる!」
転んで泥だらけになりながら、風のように駆ける。
冬には雪に埋もれ、夏には緑が生い茂る険しい土地だ。
だが俺にとっては、そこすべてが遊び場だった。
ある晩、食堂で父テルミスと顔を合わせたとき、彼は笑いながら侍女に言った。
「この子の活発さは、いずれ国の力となるだろう。怒らずに見守ってやってくれ」
それを聞いた侍女は困ったように肩を落とす。
「お怪我なさらなければいいのですが……」
父は静かに目を細めて言う。
「もし怪我をしても、それ以上の糧を得るだけの強さがある。それが我が子であり、ナデア家の血筋だ」
そんな日常の合間に、侍女同士がささやき合う声を、子どもの俺はときどき耳にする。
「ナデア家には古より龍神との因縁があり、その力は呪いとも言われているらしい……」
「バロワ家の姫との子には、さらなる宿命がかかっているとも……」
こそこそささやく大人たちを見て、俺は不満げに口をとがらせた。
「呪いって、何のこと? 俺は普通に走って遊んでるだけなのに」
聞いてもはぐらかされるばかりだが、母セリーナが心配そうに言うこともある。
「シヴィカ、もし……何か不思議なことが起きても、怖がらずに私を呼ぶのよ? いい?」
「うん。……でも、何もないよ?」
そのときは、本当に《何もない》日常が続くのだろうと信じていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夜になり、遊び疲れた俺が寝台に潜り込むと、母がそっと毛布をかけてくれる。
「今日はどこまで行ったの?」
「ふふん、川の奥のほうまで行ったんだ。大きな魚が跳ねてさ、次は絶対捕まえるんだ!」
目を輝かせる俺に、母は笑みをこぼす。
「危ないことをするのもほどほどにね。でも……あなたが元気に駆け回る姿を見ると、嬉しいわ」
そう言った母の表情ににじむのは、どこか安堵の色だった。
ナデア家とバロワ家の重圧を背負った姫でありながら、俺の前ではただの《優しい母》になってくれる。
「おやすみなさい、シヴィカ。明日もいい日になるといいわね」
「うん、おやすみ……母上」
こうして、何の不安もない幼子の眠りに落ちていく。だが――。
この後、俺が《龍の瞳》の力を自覚し、戦乱の
あの満月の晩に感じた不思議な《龍神の影》が、ゆっくりと俺の未来へ近づいていたのは確かだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
月が満ち欠けを繰り返し、季節が巡る。
小国イルドラの荒々しく美しい自然は、いつでも俺を外へ誘う。
朝になれば走り出し、森の奥へ、川の源流へと足を伸ばす。
「シヴィカ様、まさか山頂まで行くおつもりですか!?」
「行ってみたいから行くんだ!」
「はあ……!」
従者が悲鳴交じりの声を出しても、俺の好奇心は留まらない。
その頃の俺は、辺境の自由な空気を存分に吸い込み、ただの《やんちゃな子》として過ごしていた。
しかし時折、城の回廊で人々が不安げに呟く言葉が耳にひっかかる。
「シヴィカ様に、龍神の瞳が……。もし開眼すれば、イルドラはどうなるのか」
俺には漠然とした話にしか聞こえず、その意味を深く理解することもできなかった。
やがて夜が更け、俺は夢の中で《金色の龍》が雲間を舞う光景を見たような気がする。
それが《龍の瞳》と呼ばれる力が発する幻影だったのか、ただの子どもの夢だったのかはわからない。
けれど、あの光景は妙に胸をざわつかせた。
「シヴィカ、あなたは……」
母の優しい声が、夢と現実の狭間で聞こえた気がする。
「龍神の祝福なの……それとも……」
はっきりとその先を聞く前に、意識は再び深い眠りへ落ちた。
まだ何もわからない――だが、確かに俺の中には普通ではない何かが息づいている。
その力が、次にどんな運命をもたらすのか。
誰も答えを知らないまま、夜は静かに通り過ぎていく。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌朝、目覚めた俺は布団から飛び出し、窓の外を見つめる。
夜明け前の空には、まだ月の残り香があった。
「今日も外で遊ぶぞ。もっと遠くまで、見たことのない場所へ行きたい」
その胸の奥には、大きな世界を覗いてみたいという衝動が渦巻く。けれど同時に、わずかに胸騒ぎもあった。
なぜかはわからない。
誰かが《呪い》という言葉をささやき、また誰かが《祝福》だと言う。
その正体がいつか明らかになる――そんな予感だけが、幼い心をちらりと掠めるのだ。
俺は窓を開け放ち、新鮮な空気を吸い込む。
山の冷たい風が頬を撫で、陽が上りはじめた空には清々しい光が広がっていた。
「行ってきまーす!」
侍女や従者の呼び止めも聞かず、俺は一目散に駆け出す。
――この先、俺の名は『レイシス・ナデア』となり、戦乱に身を投じる。
だがその始まりは、無邪気に遊び回る辺境の子ども時代。
まだ幼い『シヴィカ』としての残された時間は、ゆっくりと、しかし確実に幕を下ろそうとしていた。
遠く空を見上げれば、雲の合間を飛ぶかのように月の影がちらつく。
まるで龍の気配を宿した存在が、俺の行く末を見定めているかのように――。
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