第25話 これは……
その後、幼稚園に迎えに行かなきゃだから、と急いで帰る由真を見送り、お茶の片づけをしてから摩利はスマホを手に取った。
ええい、ままよとばかりに護の番号をタップする。
耳にスマホを当て、コール音を数える。6回鳴らして出なかったらそれはもうそういうことなんだと通話を切るためだけの言い訳を考えていたら。
無情にもコール4つでつながった。
「はい、護です。どうしました、雪山さん?」
重ねて早口に護が言う。
「また体調悪いんですか? 車出します?」
「いやとんでもない! 違うんです、あの。絵のことでちょっとご相談が……」
「絵? それは……」
なんの?とまでは言われなかったが、彼の中ではすっかり忘却された感じらしい。
「翼さんの、です」
「あ! あ、邪魔ですか⁉ 捨てましょう! 持ってきてください!」
勢い込んで今度はそんなこと言うから、落ち着いてと心の中で訴える。
「違うんです。ちょっと聞いてほしいことがあって。もしご迷惑でなければ、いま話せますか? 外出されてます?」
「いえ。店の製菓場であんこの仕込みをしてて……。いま、終わったところです」
「じゃあ、いまからお店に回っていいですか?」
「わかりました。じゃあ、入れるように少しだけシャッター上げるので、くぐって来てもらえますか?」
「わかりました。じゃ、一旦切ります」
摩利は通知を切り、デニムのポケットにスマホをねじ込んで玄関を出る。
外階段を一階まで降りた。もう夕方というより夜が近い。逢魔が時とはこういう時間を言うのだろうか。駐車場が影に沈み、路地も夜影に飲まれ始めていて、摩利は本能的に小走りに店に回る。
護に言われた通り、シャッターは少しだけ開いている。自動ドアも開けてくれているようだ。腰を曲げてくぐると、照明をつけた店内に、ラフな格好をした護がいた。
「こんにちは……かな、こんばんは?」
護が真面目に言うから少し可笑しくなる。摩利は笑い、「こんばんは、護さん」と返した。
「明日また、お会いした時に相談してもいいかと思ったんですが、ルイさんもいますし。お店には里奈さんもいらっしゃるでしょうから。あの、プライベートな時間にすみません」
頭を下げると、護がひどく恐縮した。
「そんな、全然いいですよ。プライベートったってなにもすることないし。え、で。そのお話というのは……」
「その、翼さんからいただいた絵なんですが」
なんとなく「お祝いの」とは言えなかった。
そして由真から聞いた絵についての説明を行う。
最初興味深そうに聞いていた護だが、徐々に顔が険しくなっていき、最後には眉根にはっきりと不快感のしわを刻んでいた。
「あいつ……。最悪だな」
「いやあの。あくまでひとつの解釈ですし、こういうのってそう見えてしまったらそうとしか見えないところもあって……」
「だとしても悪意がそこにあることは確実でしょう? 例えば、糸杉だけならなんとも思わないけど、そんな不吉なイメージをあおるものがいくつもいくつもあるなら、それはもう確信犯ですよ」
「でも……その翼さん、自分で望んで出て行ったんですよね? なんでいまさらこんな悪ふざけというか」
「悪ふざけの域を超えてますって。これ、もう
強い口調で言っていたのに、急に護が口を閉じた。
「護さん?」
不思議に思って名を呼ぶと、我に返ったように肩を震わせ、丸めたこぶしで口元を隠してなにかを繰り返している。
「あの、護さん?」
「いやあの。呪詛」
急にそんなことを言いだした。
「呪詛? ええ……っと、あの絵が翼さんからの呪詛だってことですか?」
いまさらどうして翼がこの家を呪うのだ。
「そう、呪詛。あの絵が来た時、母がずっと言っていたじゃないですか。繰り返し繰り返し」
「ルイさん? えー……っと、あれか。なんか不穏になったままデイから帰宅して、いきなり掃除を……」
「そう」
護は頷く。
「すそ、って言いだして」
「すそ。ええ、すそって……」
言いながら気づく。
摩利もぽかんと口を開いたまましばらく護を見つめていた。
「
ゆっくりと護が言う。
「すそ」
摩利が呟いた。
「あの絵の……ことを母は言ってたんでしょうか」
護が問う。
しばらく無言だった摩利だが、「まさか」とつとめて明るく否定した。
「そんな……確かに似てますけど、語感。だけどそんな」
「あのとき母はお国言葉を話していました。なんかこう……記憶が混乱して昔の……その母が親しんだ言葉で言ったのかも。すそ、って。それって」
護が前のめりで摩利に訴える。摩利は背中をそらしながらも首を横に振った。
「ないですよ。だいたいルイさんは絵をみていないんですよ? 翼さんが来たことにも気づいていない。そんな呪詛をかけられたなんて。考えすぎですよ」
「だけど」
その護の語尾を切るように、シャッターが揺れる音がした。
「ごめんください、千谷川警察署の生田ですが。護さん、いらっしゃいます?」
ほとんど閉められたシャッターの向こうからあの警官の声が聞こえてきた。
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