第4話 介護申請と婚約破棄
「それで? 次の仕事とか見つかりそう?」
由真に尋ねられ、摩利はううううん、とうなり声とも返事ともつかぬ声を漏らした。
「もう福祉業界は無理だと思う」
「でしょうね。私でもあんたみたいな職員は雇わないわ」
由真にきっぱり言われ、ちょっとだけへこんだ。そうかな、と思っていたもののやっぱりそうか、と。
もともと小さな町だ。噂が流れるのは早い。そもそも全然関係ない由真にまで話が伝わっている。県が変わればどうかなと思うが、実際通勤するのに不便なのはいかがなものか。
「いまのところ、副業のほうで……食いつないで。ほとぼりが冷めたらまた復帰を考える」
もそもそと歯切れ悪く言う。
「こういうとき、副業ってありがたいわねぇ。あ、そうだ。今度の新刊予約したわよ」
「え? もう予約できるの?」
「Amazonで通知来たから、ポチッた」
言いながら、由真が屈託なく笑う。
「作者より先に予約しておかないと、また買えないから」
新刊が出ると見本誌が数冊頂戴できる。なので摩利はふたりの友人にいつも贈ろうとするのだが、『買う』とふたりとも言ってきかず、受け取り拒否され続けている。
「家賃は? 大丈夫そう? あなた結構いいところ住んでたでしょう」
相変わらず口調は変わらないものの心配がにじむ由真の声。本当に友とはありがたい、と思いながら摩利は返事をした。
「さすがにあそこは無理だから引っ越ししたの」
「引っ越ししたって……いつ」
「今日」
「は⁉ え! て、手伝いとかは⁉ 引っ越しの!」
由真がどもるなんて生まれて初めて聞いたかもと摩利自身も驚く。
「え? いやあの。家具とか家電はほとんど売ったのよ。新居に全部あってさ」
「新居どこ! 実家⁉ ……は、あれだよね。お兄さん夫婦がいたよね」
そう。
摩利の実家は、両親が他界したあと兄夫婦が住んでいる。上の子は中学生になる男子だ。とてもそんな家に転がり込むことはできない。
「夕凪商店街の中にある中島和菓子店ってわかる?」
「夕凪商店街はわかるけど……中島和菓子店?」
「えっとね。スーパーマルダイがあって、その隣に」
「お茶屋さんがあるでしょう? で、その隣が喫茶店で」
「その隣に古本屋があって、その隣」
「ああ! あれカフェじゃないの? なんかいつ見てもガラッガラだけど。おしゃれだよね。店内とか」
「最近、カフェ併設したんだって。そもそも和菓子屋なの。その店舗の上が居住区になってて、そこに引っ越した」
「へぇ。アパートになってるんだ」
「ううん。二世帯住宅。一階が店舗で二階、三階部分が住居」
「……ちょっと待って。よくわかんない。その居住区になんであんたが住んでるの?」
「本当はね、二階部分にお姑さん。三階部分に若夫婦……えーっとお姑さんの次男さん夫婦が住むんだったんだけど、お姑さんに介護が必要になっちゃってさ。若夫婦は結局わかれちゃって……」
「う……ん?」
「で、その若夫婦居住区部分を、電気水道代コミで月18,000円で借りれることになって」
「ちょ、ちょっと待って。なになになに。八木さんから話聞いたときも思ったけど、情報量が多い。なにそれ。なんでその和菓子屋の若夫婦の部屋にあんたが住むことになったわけ」
「地域包括支援センターで働いてた時の利用者だったの、その姑さん」
「ああー……」
「で、『今度辞めることになりましたが、中島さんにはお世話になりまして』って挨拶に行ったら、若夫婦の旦那さんの方から破局の話を聞いてね。なんか介護申請した直後には破棄されたから……1年半前には別れてたらしいの」
「うわー……」
「いや、実際、うわーとは私も思ったよ? だけど介護認定必要だったし、現に若旦那倒れかけだったし」
「で、介護保険申請して、介護が必要ってなったから若嫁さん出ていったってこと?」
「………まあ、結果的に」
「それをその若旦那はあんたのせいだと思っているわけ?」
「いや、それは違う……と思う」
若旦那であり、中島和菓子店の実質経営者である中島護からは、『雪山さんのせいではありません』と言われた。
言われたし、事実あそこで介護保険という行政サービスが介入しないと護は疲労困憊で倒れていた可能性はある。ひいては中島和菓子店は閉店。最悪の場合は護とその母ふたりして生活保護ということになりかねなかった。
「で。現在、護さんはお母さんと二階部分に住んでいるから、三階部分が空いてるんだって。で、お母さんのデイサービスの送り出しとお迎え、それから閉店までの見守りをしてくれるのなら、三階部分を電気水道代だけで貸してくれるって言ってくれて」
そう。
中島和菓子店の大奥様である中島ルイは、介護保険の認定調査を受けたのだが、予想に反して要介護1という軽い認定が出たのだ。直後、認定の見直しを摩利は提案した。
介護保険はその度合いによって使えるサービスが違う。限度額が違うのだ。
中島ルイには問題行動がいくつかあり、日中支援できる家族が護をおいてほぼいない。
もちろん自費で支払えばいくらでもサービスを受けることはできる。だがその自費を支えるのは護ただひとりだ。
ルイにはもうひとり実子であり長男の譲がいるのだが、他県で所帯を構えているため、ほぼ弟の護に任せっきりになっていた。また譲の配偶者は中国人で、日本語がほぼ話せないという。そのあたりもネックになって、介護は護が一手に担っていた。その護の負担を減らすためにも介護サービスを提供していきたい。
そう摩利は訴えたのだが、護は首を横に振った。
『自費負担が増える分にはなんの問題もありません。それよりも、「介護保険が必要である」と判断してもらえたことにほっとしました』
彼は心底安堵したようにそう言ったのだ。
例えば介護の苦労を誰かに話したとする。
すると「そんなの、高齢者ならみんなそうよ」
「うちもそうだったわ。でもわたしが一人で面倒見たの。それに比べたら」と誰かの自慢話にすり替わってしまうことは多々ある。
だから専門家に「このひとは介護が必要である」と認定されれば、「ああ、このしんどさはやはりそこからくるのだ」とおもえて、家族がほっとすることもあるのだ。
そこで摩利は再認定はやめ、ケアプランを作成。要介護認定がおりたことにより、そのプランは護と契約した民間のケアマネージャーに引き継がれることになって摩利の手から離れることになった。
だが、折々には護から年賀状や暑中見舞いのはがきが届き、その都度簡単な近況報告のカードは業務の合間に中島和菓子店のポストにいれていた。
そんな縁が今回の提案につながったのかもしれない。
『無人のままにしておくと部屋もいたみますし……。ぼくも母の介護を手伝ってくれる人を探していたので、受けてくださると助かるんですが』
退職の挨拶の折、おずおずと護からそんな提案があったのだ。
というのも。
現在、中島ルイは週6でデイサービスを利用している。
公費負担はそのうち1日。あとは自費負担。
デイサービスの利用時間は、朝9時から夕方の5時。そこから閉店までの2時間は民間の家政婦派遣所と契約し、見守りと掃除を依頼しているのだという。
当初聞いたとき、摩利は正直、ぞっとした。これは相当カネのかかることだ、と。
本来、人に家族の世話を頼むのだ。相応のカネは必要になってくる。
だがそうでもしないと目が離せない状況なのだろう。
『水道代と電気代相当をいただければ家賃はほんと、無料で……。あの、家具とか家電も備え付けがあるので、それを使ってください』
そう言われたとき、摩利は断れないと思った。
このプランのおおもとを作ったのは自分だ。
ひいてはこの現状を作り出したのは摩利自身でもある。
悔しいが、もし課長の言うとおり介護申請をしなければ、若夫婦は結婚し、姑は家にいながらも若嫁が対応していたかもしれない。
だが摩利は護の負担を考えて介護認定調査を依頼した。結果、介護認定がなされ、「この人には介護が必要です」と公的宣言を受けた。
結果、若嫁は家を離れ、護はいくばくかの公的サービスを受けられるものの多大な自費負担で実母を介護することになってしまったのだ。
『では……。私の次の仕事が見つかるまで、お言葉に甘えてもよろしいですか?』
ついそう言ってしまったのだ。
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