2.

 ──3月8日


 病室に入れば、いつも通り母がいた。


「あら、今日は随分早いわね」


「大学受験も終わったし、暇だから」


「暇人なのね。そういえば祈ちゃんも貴方と同じ大学なのよ〜。運命感じるわね」


「感じてるのはお母さんだけだよ。祈さんは今日は居ないの?」


「この前手術があって、今リハビリ中よ」


「そうなんだ」


「貴方たち仲良いから会いに行ってみたら?」


「後で行くよ」


 母とバイト先の事だったり、裕太の事を話してあげた。ゲラゲラ笑ったり、大きな声で驚いたり、ほんとに元気だった。


「それじゃ、俺は帰るよ」


「はいはい。祈ちゃんに挨拶するのよ〜」


「分かってる」


 長い廊下を一人で歩く。嫌という程、足音がうるさく響く。しばらく歩いて、窓ガラス越しにリハビリを受けている祈さんが見えた。


 入院生活で足の筋肉が衰えたのか立つのが精一杯のようだ。それに、以前会った時より少し痩せているようにも見えた。


 しばらくするとリハビリが終わり、車椅子に乗った祈さんが部屋から出てくる。


「あ、久しぶり康介くん。居たんだね」


「久しぶり。リハビリ頑張ってるな」


「きついよ〜。でも、頑張らないと後悔しそうだから」


「応援するよ」


「ありがと」


 出会った時のように明るい笑顔は見えないが、優しく微笑む彼女はいつまでも変わらなかった。


「そういえば、大学一緒なんだよな?」


「私も綾子さんから聞いたよ。すごい偶然だね」


「だな。大学で会うの楽しみだよ」


 そう言うと彼女の顔は困ったような、何かを噛み締めるような顔をしていた。


「どうかしたか?」


「いや、なんでもないよ」


「そうか」


「早く部屋戻ろう」


 頷いで車椅子を押す。もう何度も押してきたはずの車椅子だが、前よりも軽く感じた。


「ちょっと散歩しない?」


「いいよ〜」


 車椅子を押して、綺麗な花が咲いている中庭に向かう。いつもは花を見て綺麗だとはしゃいでいた彼女も今は綺麗と呟いて、静かに眺めるだけだった。


「その花綺麗だよな」


「うん。この花大好き」


「俺も大好きなんだよ」


 そう言うと驚いた様子で後ろを振り向き、目が合う。


「どうした?」


「い、いや。急に大好きとか言い出すからびっくりして」


「ごめん。花が綺麗で」


 そう言うとまた花に視線を送る。


「ところで康介くんはさ、好きな子とか居るの?」


「……うん、居るよ」


「だよね。その子、どんな子?」


「全部が可愛いんだよ。明るくて一緒に居ると元気になる」


「……へぇー、良かったじゃん! いい人が見つかって安心したよ」


「そんな心配されなくても、もう大学生だ」


 俺は祈さんが好きだ。


 母の事と勉強でいっぱいいっぱいだった生活の中に神様が蜘蛛の糸を下ろしてくれた。その神様がこの人だ。その蜘蛛の糸を使って苦痛という心の洞窟を上がり切ったんだ。


 彼女と一緒にいると心が楽になった。幸せだった。笑顔が増えた。病院に行く度に母の心配をしなくて良くなった。勉強も根詰め過ぎないようになった。


 生活が変わっていき、毎日が楽しく感じた。だけど、まだ今はこの気持ちを伝えれていない。彼女の負担になりたくないからだ。


 手術でメンタルも削られる。精神的にもきつい中でこんな平和ボケした気持ちを伝えるなんて出来ない。


「逆に好きな人いるの?」


「うん、居るよ。大好きな人」


 俺はショックで言葉に詰まる。失恋が呆気なさすぎて魂が抜けそうになった。幸い病院にいるため倒れても大丈夫だ。俺はぎこちなく返事をする。


「へ、へぇ。良かったじゃん。結ばれるといいな」


「どうかな……病気でいつまで一緒に過ごせるか分からない人と付き合うかな?」


「大丈夫だよ。好きになってくれる人は居るから」


「……そう簡単に言わないでよ」


 力が籠った声に少し怖気ずく。確かに発言が軽率だった。


「す、すまん。悪気は無かったんだ」


「私に構わずにその好きな子に構ってあげな?」


 そう言って優しく微笑む。俺は見ていて辛くなった。もう、伝えた方がいいんじゃないか?


「俺さ、祈さんが好きなんだよ」


 俺はとんでもないことを口走った気がする。

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