しがない私ですが
もちころ
第1話 人間は熱帯魚のように簡単に死ねない
我が家では、夫の趣味で熱帯魚を飼っている。
種類は様々。ネオンテトラやグッピー、コリドラス、オスカー、プレコ…とエビ。挙げればきりがないくらい、我が家では熱帯魚+αを飼っているのである。
数多く飼っている分、死んでしまう熱帯魚も多い。
原因は不明だ。餌を与えすぎたか、水質が悪かったか、もともと体が弱かったのか、ストレスにさらされたのか…。いくら考えても、死んでしまったものは仕方がない。
日中は夫が仕事でいないため、在宅仕事である私が基本的に熱帯魚の面倒を見る。
餌やりの最中に、水槽の中で横たわっている魚がいれば、それはもう死体であるという合図だ。
最初の頃は悲しんだが、何匹も死んでいくうちに徐々に慣れた。
死体を水槽から網ですくって回収し、キッチンペーパーにくるんでゴミ箱の中に丁重に葬る。これが我が家なりの熱帯魚の弔い方なのである。
(ちなみに、ある程度死体を放置していると他の魚たちが内臓や目を突っつきまわして食べてしまうらしい)
こんな作業を繰り返して半年もたたない頃、私の中でふとこんな考えが浮かんだ。
「熱帯魚はいいよな。人間と違って深く関係を持つとかあまりないもの。飯を食べて、交尾をして、泳いで、子孫を増やして。たったそれだけでいい。体が弱いやつやストレスに耐えられないやつは死んだあとは仲間が食べてくれるから、人間より分かりやすい。その点、人間は死ぬ時ですらあれこれ気を遣わなきゃいけないし、なんなら社会とやらがそれを全力で止めに来る。」
荒唐無稽な考え方だと思う人もいるだろう。
実際、私も魚と人間の死を同列に扱うのはどうかなと思う時もある。
それでも、ふとメンタルが沈んでいる時に自由気ままに泳ぐ魚たちを見て、私は思う。
人間は、熱帯魚のようには簡単に死なせてもらえない。
だって同じ人間が、止めに来るから。
はてさて、この地球という水槽の中で、ストレスやその他もろもろの問題に直面している私という熱帯魚はいつまで泳げるのだろうか。
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