ほんの少し前の出来事の話
さて、俺の脳内シミュレーションにおいて俺の出した配属先変更願は悉くオペレーターの人力シュレッダーによって無かったことになったわけであるが、やはりいつまでも最前線を張り続けるのには限界があるというものだ。
って言うかあんな連中とずっと一緒に居たら俺の精神が保たない。
特に女帝だ、女帝。
祖国で暴君と恐れられつつも一方で名君として国を盛り立ててきた、まさに天上人と言える人が、自分の上司兼弟分にご執心のあまりポンコツを晒している様を見せつけられるとかどんな拷問だという話である。
国家元首としての自覚を持ってくれ、頼むから。
「……ハァ……」
「なーにデッカいため息ついてんのよ辛気臭い」
俺のため息に反応したのは、修道服の上に白衣という、一般的に見れば奇抜な、現在のセインツを基準にすれば極めてまともな格好の、ぼさついた亜麻色の髪を腰まで伸ばした女性。
セインツの誇る医療班のリーダーにして医務室の主人、そして俺と同じく、セインツの初期メンバーに数えられる一人でもある、フィル・ピリスその人である。
そんな彼女が、デスクに座ったまま身体を捻り、切れ長の蒼い目でこちらを睨め付けていた。
「いや、すまん。少し考え事をな」
「そんくらいわかるわよ。辛気臭いからやめろっつってんの」
「……わかった。やめよう。……それで? もう治ってるのか?」
「ったく……治ってるわよ。もう動いていいからあとはお好きにしなさいな」
身体に接続された様々な機器を引き抜き、無機質なベッドから立ち上がって、軽く体を動かしてみる。
基本的な動作には一切の違和感も無い。今回も医療班は完璧な仕事をしてくれたようだ。
「……ん?」
と、そこで、俺は医務室にフィル以外の人間の姿が見えないことに気付いた。
医療スタッフはフィルを含めて8人。そしてその8人は元々セインツのメンバーだったはずなのだが、これはどうしたことだろうか。
「他の医療スタッフは」
「居るわよ? 全員裏で書類と格闘してるわ。私はここがデスクってだけ」
「……あー……」
納得した。
セインツも一応は公機関。事の顛末やその間にあった諸々を、全て書類にして然るべき場所へ提出しなければならない。
かく言う俺もオペレーターに呼ばれるまではずっと書類と格闘していたクチだ。
とは言っても、俺はあくまで警備隊長なので、書くべきものもそこまで多くない。
その点で言うのならば、医療スタッフは俺の何千倍も忙しいはずだ。
この広い医務室の中に、一体何人が運び込まれ、何人が治療され、そして何人がここで死んだと言うのだろう。
何千だろうか、はたまた何万だろうか。
正確な数はわからない。ただ、この部屋だけでなく、廊下や他の空き部屋の床までもが患者たちがびっしりと敷き詰められているような状態が、何ヶ月と続いた事は明確に覚えている。
ただこの場で死んだ者達の名前を書き出すだけでも、気の遠くなるような作業だろう。
「…………」
改めて、ぐるりと医務室を見渡してみる。
そこら中が血と汚物で穢れ、息もできなくなるような臭気に満ち、患者達の苦悶の呻きと啜り泣く声が響いていた部屋は、今やいっそ恐怖すら抱いてしまうほど清潔で、仄かな塩素の匂いが香り、呼吸音すら響くような静寂に満ちていた。
「……平和だな」
「そうね。まだ全部が終わったわけじゃないけど」
その通りだろう。彼女の言う通り、まだ全てが終わったわけではない。
エイリアンどもは未だ少しずつとは言えこの星に飛来し続けているし、真の黒幕の存在も、ほぼ確実に居ると考えていいだろう。
俺たちの戦いは終わりを迎えるどころか、これから始まるのかも知れない。
だが、間違いなく今は平和だ。少なくとも、あの地獄よりかは。
「……邪魔したな。俺はもう戻らせてもらおう。書類に関しては頑張ってくれ」
「言われるまでもないわよ」
吐き捨てるような台詞を背中に感じながら自動ドアを開くと、これまたゾッとするほどに清潔で、しかし医務室よりかは幾分か飾り気のある廊下に出る。
「…………」
少し前は、当然のようにここにも患者たちは敷き詰められていた。
俺は何度もやられては医務室で治療を受け、この道を通っていたので、よく覚えている。
腕や脚を喪った人。目を潰された人。体が腐敗した人。狂気に飲まれてしまった人。
既に死んでいるであろう人も、何人も見受けられた。
そのような状況を作り上げたのも、やはりエイリアンだ。
エイリアン共は、この星の生物を根絶する手段として、この星の物ではない細菌やウィルスを用いたのだ。
おかげで通常の医療機関では治療ができないどころか、その被害を増大させるのみ。
だからこそ特殊な人材と設備が世界で唯一揃っていたこの舟での治療が必要だったのだが、しかしエイリアン共の無差別かつ無慈悲な攻撃による患者の増加はこの舟の許容量を大きく超過していた。
その結果が、あの地獄絵図だった。
現在、この医務室が使われていないのは、そのウィルスや細菌に感染した生物が確認できる限り全て治療されたか死滅しており、そして新たな感染者を出さないよう、我々セインツが調査と並行し、徹底してエイリアンを駆除しているからに他ならない。
……まぁ、ここ最近、その駆除活動に俺が貢献できているかは微妙なところであるが。
「…………ハァ…………」
やめると言ったばかりだというのに、再びため息が漏れてしまう。
……別に、俺は自分が全く価値のない人間であるなどとは微塵も思っていないのだ。
この組織に警備隊長として就任した以上、それだけの才能と実績は持ち合わせていると自負している。
だが、それだけなのだ。
言い換えれば、俺はその程度の才能と実績しか持ち合わせていない。
力に自信があるとは言えど大地を砕くほどの力は持ち合わせていないし、足は速い方であるが雷より速く走るなど無理。空なんて飛べるはずがないし、天を裂くほどの強大なエネルギー波など出せる訳もない。
つまるところ、俺は彼らと住んでいる世界というものが違うのだ。
俺が蟻であるとするならば彼らは竜であり、俺が鼈だというのならば彼らは月で、俺が泥だというのならば彼らは雲なのだ。
事実として、どうだ。俺が一発食らうだけで立つのもやっとというレベルの攻撃も、彼らは平気な顔をして耐えてしまう。
俺がいくら時間をかけても倒せないような敵を、彼らはほんの数発だけで倒してしまう。
自信も失くすというものだ。
文字通り、格が違うのだから。
「……………………ハァ…………」
またも惨めな気分になってしまい、そんな自分への呆れにまたため息が漏れる。
そしてやめると言った側から2回もため息をついてしまったという事実に更に呆れながら、詰所の扉を開いて中へと入った。
「お、来やがったな」
すると、中に居たのは中折れ帽を被り、スーツの上にコートを羽織った、いかにも怪しそうな風体の男。
俺の椅子に座り、帽子の奥から金色の瞳を覗かせるその男は、セインツ情報部のリーダーにして、俺やフィルと同じ初期メンバーの一人、トビであった。
「お前、こんなところに来るだけの余裕はあったのか?」
「無いな。だがオペレーターに伝言を頼まれてな。せっかくの休憩チャンスって事で抜け出してきたところだ」
「お前……」
後々で痛い目を見るのはお前とその部下だろうが、とは敢えて言わないことにした。
その代わりに顎で続きを話すように示す。
「いや何、ようやっと俺たちの最初の目的を達成してすぐって事なわけだが、ちょいと面倒な事が起きたらしくてな。それをオペレーターに伝えたところ、こんな言葉を預かった。『やったねセン、新しいイベントだよ!』……だってさ」
「…………………………」
オペレーターからの伝言を聞いた瞬間、脱力感とでもいうのだろうか。そんなものが一気に俺の体に押し寄せて来た。
そうして次に込み上げてくるのは、様々な形の負の感情。
「………………ハァァァアァァアアア………………」
俺はそれらを、本日最大級のため息に変えて身体の外へ押し流した。
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