狼の耳としっぽ、そして私

加加阿 葵

プロローグ 「私は、彼女と旅をした」

 風が草原を撫でて進むたび、エニの耳が小さく揺れていた。

 私の隣で膝を抱えた彼女は、遠くの空を見つめている。夕焼けの境界線の色が彼女の瞳に映り込み、銀色の髪がほんのりと茜色に染まる。

 銀色の耳がピクピクと動き、尻尾がわずかに揺れる。彼女は静かに鼻を動かし、風の匂いを探っていた。

 

「とーこ……もう少しだけ、ここにいてもいい?」


 エニがそっと私の袖を引いた。


「もちろん。急ぐ理由なんてないしね」


 私は彼女の隣に腰を下ろした。エニは体を少し傾けると、そっと肩を預けてくる。

 こうして寄り添ってくるのは珍しくない。

 彼女の耳が私の頬に触れるたびに、くすぐったさが広がる。隣では、ふわふわの尻尾が小さく揺れていた。


「エニ、耳冷たくなってない?」


 私はそう言いながら、彼女の頭の上に生えている耳にそっと指を触れる。銀色の毛並みはほんのり冷たく、触れるとぴくっと小さく動いた。

 

「……ちょっとだけ」


 私はそのまま彼女の耳を優しく包み込むように撫でた。


「とーこ、また撫でてる……」


 エニは少しだけ眉をひそめたが、嫌がる素振りはない。

 むしろ、耳を動かしながらどこか気持ちよさそうにしている。


「だって、エニの耳、気持ちいいんだもん」


 くすくす笑いながら言うと、エニはふいっとそっぽを向く。


「……とーこって、撫でるの好きだよね」


 拗ねたような声とともに、ふわりと銀色の尻尾が持ち上がる。毛先は白色になっていて、夕陽に照らされて優しく光っている。


 ――ぽすん。


 エニの尻尾が、私の膝の上に乗せられた。


「……エニ? この尻尾わざと?」

「わざとじゃないけど……とーこが撫でたいなら、別にいいよ」


 頬をうっすら赤らめながら、エニは視線を外す。

 私はそっと手を伸ばし、ふわふわの尻尾を指先で撫でてみる。


「……優しくして」


 小さな声で呟いたエニの仕草があまりにも愛おしくて、私はつい笑ってしまった。

 

 ふと、彼女の耳がピンと立つ。狼が何かの気配を察知するような、そんな動き。


「ねえ、とーこ……次はどこに行く?」


 エニがぽつりと呟く。その声は小さくて、まるで風に溶けてしまいそうだった。


「どこにでも行けるよ。エニが行きたいところがあれば、そこにしよう」


 風が少し強く吹き、草がざわざわと揺れる音が耳に心地よい。どこからか鳥の鳴き声が聞こえ、それがこの世界の静けさをさらに引き立てていた。

 私たちが座っている草原の先には、小さな村がぽつんと見える。

 夕焼けの光に照らされたその屋根は、どこか懐かしさを感じさせる色をしていた。

 空が茜色から紫色へと変わりゆく。草原を渡る風が少し冷たくなってきた。エニが私の腕にそっと触れながら、ぽつりと呟く。


「……ずっとこうしていられるといいのにね」

「うん。私もそう思う」

 

 彼女の声は静かで、まるで祈るようだった。

 私たちの旅はどこまでも続いていくように思えた。でも、こうして並んでいると、この瞬間が永遠に続いてほしいと思ってしまう。



 風がそっと吹き抜ける中で、私はエニと目が合った。


 彼女と出会えて、本当によかった。

 まだこの世界に来たばかりで、右も左もわからなかったあの日。銀の狼が私の運命を変えた。


 ――エニとの出会いが私の、私たちの旅の始まりだった。

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