二章④ 無法魔術師はバレている

「朝食はまだだろう? これを食べて英気を養うといい」


 そう言ってライラが差し出してきた紙袋には、パン屋『水蝶』のトレードマークである水面に羽ばたく蝶のイラストが描かれていた。


 どうやら待ち合わせの前に立ち寄ってくれたらしい。


 さっそく紙袋を開けると中からホワッと焼きたてのパンの香りが漂ってきて、それを合図にしたかのように僕の胃袋が一気に空腹感を訴えはじめる。


「やはり、一日に一度はここの珈琲を飲まないとな」


 口許を緩めながら、ライラは珈琲の入ったマグカップをシュッと啜った。


 二番区の街角にある小洒落たオープンカフェ『サニーサイド』である。


 あれから無事に森の門まで迎えに来たライラと落ち合った僕は、打ち合わせをするためという名目でこの店を訪れていた。


 まあ、どんな理由であれ、朝食にありつけるならありがたい。


 さっそくいただこうと紙袋に手を突っ込むが、そんな僕を優しげな眼差しで見つめるライラが、不意に感情の欠落した奇妙な声音で訊いてくる。


「ところで、おまえとあのパン屋の店主は、どういう関係なのだ?」


 僕は硬直した。何故かは分からないが、もう全身が石化したのかというくらい完璧に硬直した。


 嫌な予感がする。


 これがもし鈴音さんやレイチェルに聞かれた言葉なら奥せず真実を伝えるところだが、何故かライラ相手にそれをすることは躊躇われた。


 僕だってこれまでに女性からヤキモチを妬かれたことくらいはある。とくに、鈴音さんなんかはその傾向が強い。


 だが、目の前で色のない瞳をこちらに向けるライラから感じる情念は『ヤキモチ』などという甘っちょろいものではなかった。


 理屈でなく本能でそう感じる。対応を間違えた先に待つのは、ひょっとしたら『死』ですらあるかもしれない。


「な、なんで?」


 冷や汗を流しながら、ひとまず僕はそう聞き返した。


 ライラは感情の読めない瞳で僕を見つめながら、薄く口の端を歪める。


「いや、やけにおまえのことを気にしている様子だったからな。すでに釈放されて、今は森の自宅に戻っていると伝えたら随分と安心しているようだったが、どうしてだろうと少し気になったのだ」


 さすが刑事さんだ。なかなか鋭い観察眼をしていらっしゃる。


 だが、その程度ならこちらにも言い分があるぞ。


「あそこの店長さんは、僕の恩人である魔術師の古くからの友人なんだ。それで、以前から身の回りの世話とかをしてくれていて……そう、家族みたいな存在なんだよ」

「恩人の魔術師?」

「ほら、あのボロ小屋のもともとの家主だよ。街の外で行き倒れていた僕をこの街に連れてきてくれたんだ。もう随分と前に亡くなってしまったんだけどね」

「そうだったのか……」


 僕の言い訳に、ライラは神妙な顔で頷いた。


 突拍子もない話ではあるが、決して嘘ではない。僕を拾ってきた魔術師とサーシャさんが幼馴染という話も本当のことで、実際にそれがきっかけで僕たちは関係を持つことになったのだ。


 しかし、次にライラが告げた言葉は、さらに突拍子もないことだった。


「……であれば、わたしにとっても家族のようなものだな」


 ど、どういうことだろうか。


 ひょっとして、ライラの中ではもうそこまで話が進んでしまっているのか……?


「今度、改めてご挨拶に向かうとしよう。昨日はあのような悶着があったことだし、わたしについてもいろいろと誤解されているかもしれないからな」

「べ、別に気にしなくてもいいんじゃないかな。それに、急に挨拶されたら店長さんだってびっくりしちゃうかもしれないし」

「いや、挨拶は大事だぞ。それに、何事も先手を打っておくことが重要だ。このまま後塵を拝することになってもいかんからな」

「……先手? 後塵?」


 少し違和感のある物言いに首を傾げていると、ライラがニッコリと不気味な笑みを浮かべながら底の見えない瞳で僕の顔を覗き込んできた。


「他にも挨拶が必要な者はいるか? そうだ、先ほど門番をしていた守衛隊の女性からも仄かにおまえと同じ匂いがしていたな。それに、確か昨夜にパスタ屋で会った守衛隊の女性とも随分と仲が良さそうだった。彼女たちにも挨拶の必要はあるか? ん?」


 口許の笑みは絶やさぬまま、瞳に深い闇を湛えてズイッズイッと詰め寄ってくる。


 ま、マズい。間違いなくこれまで僕の周りにはいなかったタイプだ。


 こういった場合の対処法を僕は知らない。


 せめて何か……何か一つくらいでもいいから言い訳をしなくては……。


「まさかおまえがそのように奔放な男だったとはな……だが、安心しろ。別に騙されたと悲嘆しているわけでも、おまえに失望しているわけでもない」


 しかし、僕が口を開くよりも先にライラが言葉を続けた。

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