歪んだトライアングル

藤原くう

第1話

 あんずの口かられる声がわたしたち以外誰もいない保健室に響く。


一華いちかさま一華さまっ」


 あんずのすべてがわたしに絡みついてくる。その小さなからだで、わたしという存在と一体化するつもりなんじゃないかって思ってしまうくらい強く。


 でも、そうじゃない。わたしを食い入るように見つめるひとみは、その実、わたしなんかまったく見ていない。


 汗ばんだあんずが大きく震えると、おなかの中がキュンとして、パチンと泡が弾ける。


 押しよせる快楽の波は、あまりにも刺激が強すぎてクラクラする。


 遅れて降ってくる、山を登り切ったような倦怠けんたい感。


 わたしが息をついている間に、あんずは股の間から抜け出して、今度はわたしにもたれかかってきた。


 はらりと垂れた黒髪がわたしのからだをこぼれおち、真っ白なシーツへ広がっていく。


 あんずのからだは小さくて軽い。でも、その中にはブラックホールみたいな感情がぎっしりつまってる。でなければ、初対面のやつをハサミでおどしたりはしないと思う。


 そんなあんずはわたしのおっぱいに顔をうずめ、荒い呼吸を繰りかえしていた。終わった後はいつもこうだ。あの世から戻ってきたみたいに顔が真っ白で、心配になる。


「大丈夫……?」


 うつろな瞳が、わたしを射抜いぬく。


 天界の神様でも見ているような目は、現実へと戻ってくるなり、わたしという矮小わいしょうな存在をにらみつけてきた。


「黙れ」


 あんずは枕もとのハサミをつかみ、わたしの胸へと突きつけてくる。それ以上何か言いやがったら、その無意味な脂肪しぼう分をえぐりとってやるぞとばかりに。


 でも、それはわたしだってできた。しなかったってことを心にとめてほしい……んだけど聞いちゃくれないよね。


 わたしが頷けば、あんずはハサミ片手に抱きついてくる。


 金属製の刃が腕に当たって身も心もひんやりする。でも、口にはしない。今度こそ、何をされるか分かったもんじゃないし。


 生まれたままの姿をしたあんず。今にも折れてしまいそうな彼女の左手首には、包帯が巻かれている。


 白くて真っ白なそれをぼんやり見ていたら、あんずのぷにぷにした小さな口が近づいてくる。吹きつける生温かい吐息が訴えかけてくる。


 だから、わたしはゴミ箱みたいに口を開く。


 くちびるを、舌を、小さなからだとか行き場のない想いとか、それらすべてを受け止めるために。






「誰かに言ったら殺すから」


「殺されたくないから、だれにも言わないよ」


 そう返したら、あんずが鼻を鳴らした。先ほどまで乱れに乱れまくっていた彼女も今は制服を着ている。ってか、裸ばっかり見てるせいで、違和感すごいんだけど。


 行為が終わった後と前で、わたしへ向けられる目線はまるで違う。


 空虚くうきょだった瞳はわたしに対する嫌悪感にまみれていて、そこから照射される視線は鋭い。わたしは逃げるように保健室を出た。


 廊下はシンと静まりかえっている。今は六限目の途中で、先生も生徒も授業を受けている。


 そんな中、わたしたちは保健室で一時間は絡み合っていた。


「怒らせなきゃよかったかな」


 思わず出た言葉がむなしく響く。わたしの悪い癖だ。思ったことが簡単に口に出る。


 行為中に発したさっきの言葉もその一つで。


 こんなことになったきっかけだってそうだった――。






 あまりにも授業がつまらなくて、つまらないと呟いたらその声は思いのほか大きかったらしい。クラスメイトと先生の視線を一身に集めることになった。


 いやいやどうぞ、授業を続けて。


 そんな思いでわたしは教室からお腹を押さえながらまろびでて、静まりかえった学校を一人で歩いていた。自主休校でもしようか、それとも屋上で暇をつぶすか……。頭の中の天秤てんびんは早くも、病欠で早退する方向へ倒れようとしていた。


「よし、帰ろう」


 昇降口へ向かうべく保健室の横を通りすぎたとき、声がした。熱に浮かれているようなそんな声がどうにも気になった。好奇心は猫を殺す。そんな格言を知ってたら、近寄ろうとはしなかったのに。


「失礼します」


 呟きながら扉を開ける。保健室には、ぱっと見た感じ誰もいなかった。保健の先生までいないのはどういうことだ。


 というか声は……? 幽霊かと思ったのは一瞬だけ。まさかそんな非科学的なものがいるわけもなく、一番奥のカーテンに仕切られたベッドから声はしているらしかった。


 寄せては去っていく波のような声。フラフラとしていて、熱に浮かされているみたい。


 わたしは無意味にキョロキョロする。透明人間を探してみたけれど、そんなのいるわけない。


 ふたたび、奥のベッドへ視線を戻す。


 もしかして、高熱でうなされてるんじゃないか?


「あの……」


 わたしがそう呼びかけると、声がぴたりとやんだ。まるで、近づいてくる人間に気がついたセミが鳴きやんだみたいに。


 なんで?


「大丈夫? 熱がひどいなら先生を――」


「や、やめて。へいき、だから」


 その声音は上ずっていて、おかしいところだらけ。イヤな想像が脳裏をよぎった。


 不審者が入りこんでいて保健室で眠っていた生徒に手を出してる――なんて考えすぎかもしれないけれど。


 保健室には隠れられそうなところはない。あのカーテンの向こう以外には。


 よし。


 わたしはベッドへそっと近づいていく。そこにいる誰かさんに気取られないよう慎重に。宝石を盗みに来た怪盗のように抜き足差し足忍び足で。


 ぐるりとベッドを取り囲むカーテンに手が届く距離までたどり着き、勢いよく開けば。


 そこには横になってる女の子がいた。


 でも、その子はなにも着てはいなかった。制服も下着も何もかも。


 生まれたままの姿の女の子が、そこでいけないことをしてたんだ。そのいけないことっていうのは、彼女の尊厳プライドのためにも教えられない。


 少なくとも、そこには彼女しかいなかったことだけは間違いない。


 わたしはぱちぱちとまばたきを何度もした。目の前の光景が幻かなんかだと思った。想像していたものとはあまりに違いすぎる。


 病に伏せる生徒も不審者もいない。


 光に照らされた磁器のような肌、そこに浮かぶ真珠のような汗、上気した顔。


 あでやかに赤くなった手は、彼女自らの大切なところへ伸びていた。


 口元には手があてがわれており、瞼もぎゅっと閉じられていた。出てしまう声を必死に我慢してるみたいに顔は赤い。


 そのすべてを、わたしはこの目で見てしまった。


 我知らず、のどが鳴る。その音は、静寂に包まれていた保健室に雷鳴のごとくとどろいた。


 びついたネジみたいにゆっくりゆっくりと、小さな顔がわたしを向く。


 最初に現れたのは驚きで、次の瞬間には顔はゆでだこみたいに赤くなったかと思えば、あおくなる。まるで信号機みたい。


 そんな表情の変化を楽しみつつ、見つめ合ってもいいけれども。


「どうぞごゆっくりー」


 わたしはカーテンを閉めた。


 キュッと回れ右。


 今のは見なかったことにしようそうしよう。別に、神聖なる学校でそういうことをしちゃいけないという法則はないわけだし? 女子高だし、男の人も少ないし。


 今の事象になんとか理屈をつけようと、あーでもないこーでもないと考えながら、足早に保健室を出ようとした。


 直後、カーテンが勢いよく開き、足音がペタペタ追いかけてきた。逃げようとしたけれど、やんぬるかな、手遅れだ。


 がっしと腰に手が回されたかと思ったら、ドーンと衝撃がやってくる。甥っ子にタックルされたみたいな。


 わたしはべたんと床へと押し倒された。


 痛みにうめいていたら、首筋に冷たいものが当たる。


 見れば、キラリと輝く刃があった。細長い銀色には、わたしの顔がゆがんで映りこんでいる。


 ハサミ。


 視線を動かせば、先ほどの子がわたしの背にまたがって、首筋にハサミをあてがっているのが辛うじて見えた。


「動くな」


 誰が動きたいか。刃物を向けられてるっていうのに。


「こっち向いて」


「どっち」


「アタシの方」


 動くなって言ったり、動けって言ったり……。


 文句は言いたかったけれど、そんなことを言った次の瞬間には、首筋から血をまきちらすかもしれないので、素直に従う。


 ゴロンと向き直れば、少女のからだが先ほどよりもよく見えた。


 脚、腰、腕、おっぱい、そして顔。何もかもが白日の下にさらけ出されている。


 蛍光灯を背にしているだけでは説明のつかないまばゆさがそこにはあって、わたしは目をそらしたくなる。


 後光を浴びてるみたいなそのからだが、小さく震えた。


「一華さま?」


 宇宙人かなにか激レア生物を見つけたみたいな声が、わたしの脳をぶち抜いていった。


 一華。


 その名前に、頭が痛む。古傷がうずくようにじくじくと。


「なんで、その名前を……?」


 黒々とした目が大きく見開かれた。わたしのことをまじまじと見つめるように、視線が上から下へと動いていく。


 その目つきがキッと鋭くなったかと思えば、ハサミを持つちいさな手に力がこもる。おいおい、もしかしてわたしを殺すつもりじゃないよね。


「誰かに話したら殺すから」


 えーと。


 静かな死刑宣告に、わたしの視線はさまよった。


 さっきまでの雰囲気はどこへやら。その子の目はたかのように鋭い。その理由も聞きたいところだけど、一番聞いてみたいのは名前。


 この子はいったい誰なんだ――少しでも情報を集めようと、情報量にとぼしいからだを見れば、左手首に巻かれた包帯に気がついた。


 1個下に中二病の子がいる。


 いつだったかクラスメイトがそんなことを話してたっけ。


 名前は確か、あざみあんず。


 目線を顔へと戻す。そうか、この子が、あんずって後輩なのか。それにしても中二病って感じはしないんだけどなあ、なんてしげしげと見つめていたら、あんずの目が揺れた。


 それはもう、大嵐の中を行く小舟かってくらいに。


「……こっち見んな」


「え、あ、ごめんなさい」


 なんでわたしが謝ってるんだろう。でも、謝りたくなっちゃうくらい、あんずには迫力がある。全裸の子に迫られてるって状況を抜きにしても。


 今にもハサミを動かして、わたしの頸動けいどう脈を切りいてしまうのではないかと戦々恐々としちゃうくらいには恐ろしい。


「喋るな、叫ぶな、聞くな」


 それって、どっかにいる3匹のおさるさんみたいだなって思ってたら、あんずが腰を下ろしてくる。


 マウントポジションよりもさらに深く。わたしとあんずの距離は縮まって、お人形のようなからだがのしかかってくる。


 その人形のように整った顔が、わたしに降ってくる。


 キスされた。


 ついばむような、触れるだけのキス。


 あまりに一瞬の出来事。あまりにも一瞬すぎて、それがキスだと認識するのにも時間がかかった。


「へ……なんで」


 疑問をそのまま言葉にしたら、回答の代わりに口がやってくる。うるさい口をふさぐように訪れたそれは、今度は深くがむしゃらでひたむき。舌の根元までをもめとられた。


 呼吸ができないほどに激しくて、思考がホワイトアウトしていく。


 誰か一人に対してささげられた愛情表現に、わたしはさらわれて溺れる。


 あれよあれよと身ぐるみはがされて、襲われた。






「そういえば、あの時も言ってたっけ」


 ――殺すから。


 あんずはいつだってそう言う。わたしが、いやわたしだけじゃなくて全人類が命令に従ってくれると思い込んでいるみたいに。


 あの子の右袖にはいつだって、ハサミが仕込まれている。今は冬服だからいいけれど、夏はどこに隠すつもりなのか、気になるような気にならないような。


「というか、そこまで関係が続くとは思いたくないなあ」


 関係。


 クラスメイト、先輩後輩、恋人。階段を一足どころか何足も飛んだ、ただれた関係はやめた方がいいと思うんだ。


 先生に見つかったら大目玉もいいところ。最悪退学かもしれない。退学になった生徒なんて知らないから想像なんだけど。


「サボってえっちはヤバいよ」


 ついたため息が、風にあおられて吹き飛んでいく。


 屋上にはわたし以外だれもいなかった。そりゃそうだ、みんな授業を受けてるんだから。でも、セーフティネットの一つもない屋上は授業中も開いてて、サボり魔だって入れた。うちの学校がいかに平和か証明してるみたいだ。


 保健室を追い出されると、屋上へ逃げることにしていた。火照ったからだを冷ますにはちょうどいいし、授業中にはだれも来ないしね。暇を突っつきまわすのにはうってつけの場所だ。


 わたしは手すりに近づいて、下を覗きこむ。4階下の中庭。真下には花壇かだんがあって、チューリップが春風にそよいでいる。


 あそこに落ちたら、みんなびっくりするかな。


 なんて、思うだけで実際にはしないんだけどさ。


 ため息をついて、視線を向かいの校舎へ向ける。うちの高校は『口』のかたちをしている。中庭の向こう、3年生の教室にわたしと同じ顔が座って授業を受けていた。


 不意に、その顔がこっちを向いた。


 にっこりと。こっちが見えているわけでもないのに笑っている生徒会長さん。


 あんずが想いを寄せる相手である、夜鈴よすず一華いちか


 わたしの姉。


 視線が交錯こうさくしてたのは、ほんの一瞬だけ。


 次の瞬間には、一華さんは黒板のある方向へと向き直って、手を挙げている。その横顔は殴りたいくらいに綺麗きれいで。


「……やっぱ死んじゃおっかな」


 半分くらいは、本気でそう思った。

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