第19話 ワインレッド

頬杖をついて曇り空を眺めながら、今日は何をしようかと考える。店を開けっぱなしにしておくことはできないから外に出ることはできない。普段と同じように本でも読もうかと立ち上がり本棚に向かう。今日は穏界の歴史の本の続きでも読もうかな。

 取ってきた本を持ち、いつもアラタさんがいるカウンターの内側に入る。皿やグラスが片付けられた小さな棚の上で本を広げる。


**



 穏界でも冬の日照時間は短く、午後四時ごろにはもう薄暗い。本を読んでいる間にかなり時間が立っていたようで、空腹も感じている。

「一人だし、簡単なものでいっか」

冷蔵庫を開け、食材を眺める。トマト缶とパスタの麺を取り出し、空いているスペースに置く。鍋に水を注ぎ、火にかけようとスイッチに手を伸ばした。

チリリリ~ン

視線を店の扉の方に向ける。そこには赤い髪の男が立っていた。俯いているためすぐに顔を確認できなかったが嫌な予感がした。

「っ、」

男が顔を上げる。その見覚えがありすぎる姿に体が硬直した。

古蔵忍だ。

予知を思い出す。あちらは私と初対面だ。平常心を保って、相手に悟られないようにしよう。

 相手に笑顔を向ける。

「こんばんは、すいませんが、今日は店主が不在でして……」

言い終わらないうちに男はこちらに近づいてくる。あの時の予知と同じ構図に、頭の中は真っ白になり冷や汗がそこら中から吹き出す。このまま男に顔を向けていればいつかボロが出てしまいそうで、咄嗟に視線を外す。

「古蔵忍といいます」

男がカウンターの前までやってきて、私の顔を覗き込む。

「いや、言わなくても分かってますって顔だな」

小気味悪い乾いた笑いが至近距離で聞こえた。そして同時に、私の顔は乱暴につかまれ、古蔵と目を合わせる形となった。

 その赤黒い目はアラタさんの目とは違った意味で吸い込まれそうだった。

「ストランによく似てるな」

「なっ……」

「その眉間に皺を寄せた顔、見飽きたぜ」

再び乱暴に突き放され、私は床に尻もちをついて倒れこんだ。背後の棚にぶつかって、食器やグラスが落ち、大きな音を立てて割れた。

見上げた時にはすでにカウンター内に侵入してきていた。

 古蔵は写真や予知で見た時よりも大きく、今にも人を殺めてしまいそうな殺気と威圧感を放っている。

 古蔵が一歩ずつ私の方へ向かってくる。その一挙手一同に視線が集中してしまう。

「……おい」

「ひっ」

古蔵がしゃがみこみ、私と同じ目線まで顔が近づいてくる。大きな手が片方の頬を包む。そのザラザラとした感触に悪寒が走った。

「あのシスコンのストランが見たら飛んでくるだろうなぁ」

私の目からいつの間にか涙がこぼれ落ちていたらしく、その雫をぬぐうように古蔵の親指が頬と擦れあう。そしてまじまじと私の顔を眺めまわした。

 身体が震えるのと同時に歯と歯がカチカチと音を立てている。

「ハハハ、そりゃ怯えるよな。俺はお前を簡単に俺の物にできる。知ってるだろ? 俺はお前の兄に復讐したいんだよ。そのためなら何でもやる。お前をこのまま誘拐することだってできる。こうやって、殺そうとすることだってな」

私の首に片手が回る。

少しずつ、少しずつ力が入ってきて呼吸ができなくなってくる。

古蔵は面白いものでも見ているかのように薄ら笑いを浮かべながら、私の顔と地面を懸命に蹴る足を交互に見ている。

「ぁ……、」

息ができず意識が朦朧とし始めたところで首から手が離れた。解放された私はえづきながら呼吸を整える。見上げるとまだ古蔵はそこにいて、上から私を見下ろしていた。天井の証明の逆行になり表情が見えず、何を考えているのかわからない。

「楽しみだ……」

それだけ言い残して古蔵は背を向けた。



 どれだけ同じ体制でいたのだろうか、両足のしびれを感じるようになってきた。しかし体が動かない。金縛りにあった時のように全身が硬直している。さらに全身が震えている。

 唯一動く脳で今までの予知との比較を始めた。体に反して脳は冷静だった。


予知と今回の古蔵の訪問は完全に一致はしていない。しかし彼の目的は変わっていないようだった。

 私の兄への復讐。そのためなら何でもやると言っていた。

 兄にも被害が及ばないなら私がどうなったっていい。しかし、アラタさんや穏界の知り合いにまで被害が及ぶのは避けたかった。

 古蔵忍は次に何をしてくるのだろうか。


チリリリーン


 扉の鈴の音に身体が大きく跳ねた。コツコツとこちらに近づいてくる足音が聞こえる。震える手で口元を押さえて声を殺した。古蔵が戻ってきたかもしれない。


「アオイちゃん……? 何してるの?」


 最も聞きなれた声が頭上から降ってきた。古蔵ではなかったことに安堵し、硬直した体がゆっくりと自由を手に入れ始め、顔を上げる事ができた。

 その時に床に散らばる食器やグラスが目に入った。何か言い訳を考えなければ。

「あ、あの、私ヘマしちゃって……。ごめんなさい、大切な食器とグラスを割ってしまいました」

えへへと笑って見せたがうまくできていただろうか。

「でも……、」

「大丈夫です、ケガはしてません」

私は手のひらを見せて笑って見せた。

しかし、その指先が自分でもわかるくらい震えていて、アラタさんを困惑させた。


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る