川端清四郎物語
松下千尋
第1話 サクラチル
川端清四郎は、陸軍大学校合格者一覧の掲示板をじっくりと見て、やはり自分の名前が載っていないと再確認して、落胆した。掲示板を背に、ただでさえ小柄な身体をますますすぼめて歩く姿はさながら野良犬のようで、百人が百人見たとしても、誰一人としてこの男がその後戦争の英雄になると想像しないだろう。
「川端!」
ふと清四郎は声をかけられた方へ振り向くと、そこには竹馬の友である井上源一がこちらへ手を振っていた。
「井上!お前、どうだったんだ」
「ああ、それは……」
開口一番聞かれたくなかった話題を振られ、井上はばつの悪そうにそっぽを向きながら
「まぁきっと、お前と同じだろうが……もちろん不合格だった」
と言い、井上は開き直ってけらけらと笑った。
「まぁ俺は勉強が本当に苦手だったからな……?お前はどうするんだ?また一年勉強するのか?」
「ああ。俺の可能性を捨てたくないからな。川端、お前もそうだろう?」
井上はいつもと同じ能天気な顔でそう尋ねてきた。
「いや……やっぱり俺はいいや。俺は部隊で腕を磨く事にする。俺は勉強する為に軍隊に入った訳でもないしな。これが性に合ってるよ」
「い、良いのか!?それで!!」
井上は驚いた。例え陸軍幼年学校を出ていたとしても、陸軍大学校を卒業しなければ出世を諦めるのと同義なのだ。良くて中尉、地元で語り種になるような軍功を挙げても大尉がいいところである。つまり一生を小隊長として終える。
「俺なんかが何百何千の人間を率いたって、無駄に兵隊が死ぬだけさ。そういうのは井上みたいな奴がやればいい。俺みたいなのは、目に見える範囲の人間守れりゃあ十分だ」
清四郎は清々しい顔でそう言い放った。
「頑張れよ」
清四郎は井上の肩をポンと叩き、人混みに消えていった。布越しに伝わった彼の手のひらは、とても温かかった。
清四郎は江戸、改め東京にある、父の川端権左衛門の屋敷までやって来ていた。紋付き袴姿で、机を挟み胡座をかいて座る父の姿は、まさに威風堂々というような姿で、やや丈が長く不恰好な幼年学校の正装姿の清四郎と対極であった。
「で、陸軍大学校の試験はどうだったんだ?」
権左衛門が、お猪口を置いて重い口を開いた。清四郎はどきりとしたが、深呼吸をして目をつぶる。大丈夫だ。腹を括るって決めたじゃないか。そう自分に言い聞かせて、清四郎も口を開いた。
「ーー不合格でした。しかし、私は再度受験しない事にします」
「ほう?」
権左衛門の目の色が変わった。
「私は馬鹿です。それは知っています。人様の命を預かる仕事で、こんな馬鹿が指揮を執ったならば、どんな結果になるかは馬鹿でも分かります。馬鹿だから、未練たらしく大学校を出て出世しようなんて毛頭思っておりません。しかし!」
清四郎は拳を握り、背筋を伸ばした。
「私はこの手で、愛する人を、街を、国を守りたい。父上が認めて下さったこの腕で」
清四郎の父は、しばらく無言で息子の顔を見つめていたが、突然ふっと笑みをこぼし、傍らの脇差しを机の上に置いた。
「これは……?」
「それは俺の祖父さまの代から脈々と受け継がれて来た川端家家伝の脇差しだ。腹を切るならばそれで切れ。名刀だ、切れ味は保証する」
清四郎は脇差しを手に取った。小さな名刀はその身の大きさにしてはズッシリと重かった。
「……ありがとうございます!」
「いい男になったな。清四郎」
権左衛門は笑っていた。
清四郎は帰り道、何故この刀を受け取ったのが自分なのか、考えていた。何をやっても不器用で、他人よりも出来なくて。きっと達次郎兄上や公太郎兄上の方が腕は上だろう。でも、父上はそんな俺を、一番素質があると言ってくれた。お前は誰にも負けない侍になると言ってくれた。
星空の下にかざした抜き身に、自分の顔が映った。
「負けるものか」
清四郎は、そう誓った。
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