第27話 セバスチャン

「んっ……」


 耳元で響く声にぼんやりとした意識がゆっくりと覚醒する。かすかな寝息が聞こえる方に顔を向けると、最近だんだんと見慣れて来た赤髪の美少女弟子の寝顔がそこにあった。

 あどけない顔で眠る莉子は小さく丸まっていて、少しだけ伸ばされた右手で俺の寝間着ジャージすそを握りしめていた。


「はぁ……」


 昨晩も俺が寝た後から隣に入って寝たらしい。莉子と暮らすようになってからほぼ毎日だ。

 莉子が来て何日目かに理由を聞いた時には一人で寝ると悪夢を見るから嫌だと言っていた。迷宮孤児だとも聞いているし、デリケートな話かもしれないのでそれ以上は聞いていない。不慣れな環境での不安が少しでも和らぐのならこの程度の協力は構わない。


「よいしょっ、と」


 莉子を起こさないようゆっくりと身体を起こし、莉子の右手をほどく。


「ふみぃぃ……」


 寝言らしきものをつぶやく莉子がの頭を軽く撫でる。さらさらとした髪の手触りが心地よい。そのまま莉子を起こさないよう、そっとベッドから抜け出す


「よしっ」

 

 キッチンに移動し、軽く気合を入れてからやかんでお湯を沸かす。その間に陶器のドリッパーに軽く湿らせた紙フィルタをセットし、冷凍庫から出したコーヒー豆をカリカリと音を立てながら手動ミルで挽く。今日は濃いめのコーヒーの気分なので少し豆は多めだ。

 挽いた豆をフィルタに入れ、沸騰手前のお湯をゆっくりと豆に回しかけていく。膨らむ泡にちょっとずつお湯を垂らしていき、数杯分のコーヒーがサーバーに落ちたところでドリッパーをどかす。


「さて、今日の出来はどんなもんかね」


 ガラス製のサーバーからマグに注いだ淹れたてのコーヒーを口に含む。


「んー……65点ってとこかな」


 濃い目を狙ったにしても流石にちょっと濃すぎたかな。砂糖たっぷり入れても莉子は渋い顔をしそうだな……

 気分に合わせて淹れるせいか、なかなか安定して美味しい味にならない。コーヒー豆そのもののを仕入れるところから拘らないとかなぁ。


「AI、パソコン起動して」

『ユーザーログインをお願いします』

「田中悠太」

『声紋確認。ユーザー承認完了。起動します』


 音声指示で起動したデスクのパソコンでざっとメールチェックとニュースサイトの確認をする。


「フランスと中国で大規模なスタンピード!?」


 しかもフランスの方はS級ダンジョンのスタンピードらしいので、相当な規模の被害が予想される。


「世界中からS級とA級の探索者が派遣されるかもな……」


 スタンピードの対応は二段階に分けられる。第一段階がゲート近傍にいるボス級モンスターの討伐だ。これをしないとゲートから延々と溢れ続けてくる。雑魚を周囲が押さえて、精鋭が一気に接近して強襲・討伐するのが定石だ。

 第二段階が溢れ出たモンスターの駆除で、こっちは人手が要る。しかもS級ダンジョンのスタンピードだと、あまり低ランクの探索者だと溢れている一般のモンスターすらかなり強敵だ。


「ダンジョン内で戦う時よりは弱体化するとは言え、S級ダンジョンのボス級か……」


 前パーティー時代、一度だけS級ダンジョンを踏破したことがある。その時のボスはドラゴンの上位種だった。言葉での意思疎通ができ、呪術すら使っていたあれは古代竜エンシェントドラゴンの一種だったと思う。因縁のある相手だし、正直よく勝てたもんだと今でも思うほどには強敵だった。


「ナァー……」

「ん?」


 足元から甘えたような声が聞こえ、温かな何かが足をスリスリしてくる。


「シロさん、おはよう。今日は早いね」


 莉子が来てからは俺よりも莉子に甘えることの多いシロさんが俺のところに来るということは……


「朝飯の要求かねぇ。ちょっと待ってね」


 キッチンに移動して収納棚からちょっとお高めの猫缶を取り出す。

 優花からはシロさんは何でも食べると言われていたので、猫缶かキャットフードを与えている。


「はいはい、お待たせシロさん」

「ナァァァー」


 シロさんは違いの分かるお猫様なので、お高めの猫缶のときはなかなかご機嫌だ。キャットフードだと気分次第じゃ見向きもしないが。

 ガツガツと食べ始めたシロさんを眺めていると、ガチャリと音がして俺の寝室の扉が開く。まだ半分ぐらい寝ていそうな莉子がふらふらしながら起きて来た。


「おはようー……ございますー……」

「ぉ、莉子。おはよう。早めだね」

「はぃー……お出かけする予定なのでー……がんばって早起きーしましたー……」


 そんなことを言いながらふらふらと洗面所へ歩いていく。寝間着のショートパンツからのぞく莉子の白い太腿に視線が行きそうになるのを我慢し、俺の方もキッチンに向かう。

 菫さんからは朝に迎えが行くとしか言われていない。朝飯食べ終わったら俺もシャワー浴びて着替えておかないとな。



 ◇



 トーストとサラダ、カップスープの簡単な朝ごはんを終え、シャワーと着替えが終わった頃、タイミングを見計らったかのようにチャイムが鳴る。

 ドアを開けると、そこには絵にかいたような執事さんがいた。タキシードのような執事服と白い手袋をつけ、グレイヘアに眼鏡をかけた初老の男性である。

 

「田中様、赤根様。おはようございます。お待たせいたしました。すみれお嬢様からの使いでお迎えにあがりました」

「お、おはようございます……」


 耳ざわりの良いバリトンボイスでそう言った執事さんが優雅な仕草で胸に手を当てながら深く頭を下げる。洗練されたそのスマートな立ち居振る舞いに少し圧倒されてしまい、しどろもどろに挨拶だけ返す。


「まだお時間に余裕はございますが、出立の準備はお済みでしょうか?」

「は、はい。準備は大丈夫です。あ、でも買い物だとしか聞いてなかったんで、こんな服ですけど大丈夫ですか?」


 その辺のショッピングモールか探索者向け装備品を扱う店にでも行くのだと思っていた。なので俺はスラックスとシャツ、莉子は春物のワンピースに薄手の上着を羽織っているぐらいのカジュアルな格好だ。


「そうでございましたか。服装に関しては問題ございません。お嬢様の御客人をとやかく言うようであればこちらで対処致します」


 眼鏡をクイっとしつつさり気なく怖いことを言われた気もするが、流石に初対面の執事さんには突っ込めない。 


「わ、分かりました。今日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いしますっ」


 横に立つ莉子と一緒に頭を下げる。

 顔を上げると柔和な笑顔で執事さんが言葉を継ぐ。


「はい。わたくしも皆さまに心地よくすごして頂けるよう、全力を尽くす所存です。気になることがございましたら何なりと御申しつけ下さい」

「分かりました。えっと……」

「はい。セバスチャン、あるいはセバスとお呼び下さい」


 やっぱりセバスチャンなんだ……

 まぁ日本人に見えるし、偽名というか職業上の呼び名な気はするが。


「ちなみに今日はどこに行くんでしょうか?」

「お嬢様からは、立松様の工房に向かうとお聞きしております」

「ぁー……立松さんのところか……」

「何かあるんですか?」


 ハテナ顔の莉子が首をかしげてこちらを見ている。立松さんは業界的には有名人の部類だが、莉子は流石に知らないかな?


「立松さんは前のパーティーの頃によくお世話になってた鍛冶師ブラックスミスさんだよ」

「はい。国内最高峰の鍛冶師でございます。元探索者ですが今は引退されて、鍛冶師に専念されております」


 セバスさんが補足説明してくれた。引退云々については、探索者時代に鍛冶匠マスタースミスのジョブを得て引退を決めたと聞いたことがある。

 そして俺が立松さんにちょっと会いたくない理由は、前のパーティーを抜けた頃に大喧嘩をしたからだ。

 無理なお願いをして、そのまま色々押し付けて逃げ出したから――


「俺は今日、殺されるかもしれん」

「ぇぇ……?」

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