第9話 プリティ魔王女エネミラちゃん登場!
一人、村を出発したジゼルは、人気のない雑木林に足を踏み入れ、始めこそ小動物たちに手を振る余裕もあったのだが、やがて狩人すら億劫がる獣道へと入り込み、丈夫な草木や木々の根っこで歩きにくい中、止まることなくどんどん突き進んでいった。
「うーむ、二十五人もの若者が通ったようには、とても思えない道だが、村長の言うことならば絶対だろう。この先をまっすぐ行けば目的地に着くだなんて、案外長旅というものは、楽チンなのだな」
隣村と、その先にある町しか行ったことがないジゼルにとって、それ以上の距離は未知であり、だいたいの間隔すら想像できないのだった。
背の高い雑草をかき分けて、獣道を突き進んでゆく。初めて入る道、初めて肌に触れる見たこともない草木……考えなしに用意したお弁当は、さっき食べてしまって、残り少ない。
母の形見のエプロンドレスに、鼻にツンとくる青臭い草の汁が付着していた。
「私よりも雑草の方が背が高くて、視界が悪いな……私は、ちゃんとまっすぐ歩けているんだろうか……」
「ねえ」
「ん? 誰かいるのか?」
ジゼルの背中に不意に投げられたのは、子供の声だった。呆れたような、それでいて、からかっているふうな、何とも言えない甘ったるい声だった。
「ねえちょっと、その先をまっすぐ行ったら崖よ? あんた空飛べないでしょ? なのに、そんなとこ突っ込んでってどうすんの?」
「崖……?」
辺りを見回しても、子供らしき人物どころか、人間すら見当たらない。そもそも動物の気配がしない。声だけが、後ろから投げられ続けている。
「ねえ、引き返せば? 進みたいなら勝手にすればいいけど〜」
「これはご親切に、案内してくれて感謝する。この辺りに詳しいのか?」
「あんたよりかはね。それで、引き返す気にはなった?」
「私の村の村長が、この先をずっとまっすぐ進めば目的地にたどり着けると言っていたのだ。もう少しだけ、進んでみたい」
「へえ、そうなんだ。でもさ、こんなに鬱蒼と追い茂ってる森の中に入っちゃって、誰の足跡もないし、誰かがうっかり枝葉を折っちゃったりした痕跡もないし、あんた、自分が騙されてるんじゃないかとか、村長が言い間違えしたかもとか、そういうの疑わないわけ?」
「疑う? では逆に聞こう、なぜ村長は私を騙す必要があるのだ? 常日頃から鍛錬を怠らず、常に村のため、みんなのために考えて走り回っている私を、騙して崖下に落としたい理由は何だ? 私の村の村長は、無意味な殺生はしない人だ。とても良い人だから、機会があったら村にも遊びに来るといい。この道を逆にまっすぐ進むと、たどり着けるぞ。畑ばかりで、退屈してしまうかもしれないがな」
周りから必要とされる人間が、無意味に貶められる理由がない、とのジゼルの主張。
声の主は、肯定も否定もしない「ふーん?」という返事のみだった。
ジゼルは太めの眉毛をピクリと持ち上げる。今まで自分のやりたいことを、大声で反対されることは多かれど、曖昧な返事で対応されることは、あんまりなかったから。
「ふふ、なんだか新鮮だ。うまく言えないが、初めての感覚だな」
「え? なにニヤニヤしてんの〜?」
「私にもわからないが、今、不思議と嫌な感じではないんだ。気を悪くしないでくれ」
「ふーん……やっぱりというか、変なヤツね」
呆れているようで、面白がっているような、そんな声。ジゼルも自然と笑顔になった。
そして、姿の見えない声の主と共に、ひたすらに雑草の束を手でかき分けて進んでいった。
急に視界が開けたと思ったら、その先には、足場になりそうな物が何もなかった。巨人が切り取ったかのような、断崖。地平線の彼方まで森林が続き、まるで世界が一望できるような、絶景が広がっていた。
清々しいほどに、人の気配を生じさせる何もかもが、何もなかった。もはやここから王都を目指そうなどという考えは、よほどの頭の作りをした人間でなければ、考えつかないだろう。
「うわ〜、あんたの村長も、酷いことするわね〜。見渡す限りの樹海、樹海! 崖から落ちちゃっても危ないのに、運良く生き残れたって、樹海でどうやって生活していくの?」
「……なるほど、これしきの高さを攻略できないのなら、王都へ向かう資格はないということか」
「へ? ちょ、ちょっと! 下り始めるんじゃないわよ!」
命綱もなしに、鋭利な崖の先端から片足を下ろし始め、不安定に突き出たわずかな凹凸に手をかけながら、とんでもない高さをジゼルは地道に下り始めた。
「大丈夫だ、こう見えて鍛えている! 少し突風が気になるが、なんのこれしきだ!」
少しどころではない突風が、ジゼルのポニーテールを顔の前まで持ち上げてきて、あっという間に前が見えなくなってしまった。
「うお!?」
「ほらもう、早く上がったら〜? 今ならまだ間に合うかもよ?」
「そう言えば、名前を聞いていなかったな。私はジゼル・マドリアだ。ここまで付いて来てもらって今更だが、なぜ崖から降りてゆく私のすぐ横から、声が聞こえるんだ? あなたはいったい、どこから私に話しかけているんだ?」
「流暢にしゃべってるように見えるけど、手がプルップルじゃん。あんた、自分の限界ってもんがわかんないの〜?」
「限界など、ただの概念だ! そんなもの決めなければ、どこまでも進めるぞ!」
限界も限度も、そもそも把握する気がないジゼルだった。気合と根性、だが冷たい突風にかじかむ手は次第に感覚を失い、ついに限界を迎えてしまった。
「おおお!?」
本気で驚いた顔をしながら、宙に投げ出された。
まさか落下するとは、ジゼルは微塵も考えていなかったのである。とっさに伸ばした手は、既に何も掴めないほど遠くなっていて、世界がものすごい速度で急浮上していく。否、ジゼルが落下していってるだけだった。
ジゼルは冷静に両腕を組む。
「なんと、私の鍛錬はまだまだ足りなかったのだな。これまでの鍛錬のメニューを見直さなければ。一度地面に着地してから、考えよう」
「この高さから安全に着地できるって、信じてるんだ〜」
「何事も、信じるところから全てが始まるのだ」
「あんたって、名言クラッシャーよね」
声が、右耳のすぐそばの空気を揺らしていた。落下してゆくジゼルの心に、不穏なものが湧いてきた……だが、言語化できない感情はジゼルの中であっけなく消えてしまう。
「んん? よくわからないが、クラッシャーという響きが、なかなかかっこいいな! 気に入ったぞ!」
声の主へ振り向くと、猛禽類のような縦に細長い漆黒が、満月のような黄色い眼球の中でジゼルを捕らえていた。凄まじい風圧に舞い上がっていた橙色の長い髪には、黒いメッシュがいくつも入っていて、肩紐賑やかなカラフルなキャミソールの下からは透けるような白い肌が覗いていた。
ジゼルが町でも見たことがない、不思議な召し物だった。まとう物だけでなく、少女を形作るその全てが、まったくの異次元。
やがて激しい風の音が止み、空中に二人、並んでいた。すぐ足元には、鋭利な枝葉をのびのびと伸ばす樹林がひしめき合っている。
乱れた髪を手櫛で整えるジゼル。ふと、少女の側頭部に作られたお団子ヘアーに、目を奪われた。その髪型は、彼女自身の湾曲したツノを使って作られていたのだ。羊のように、くるくるとした太いツノだ。
ジゼルの瞳いっぱいに、少女が鋭い犬歯でニッと笑った笑顔が映り込む。
「アタシも、あんたが気に入ったわ。なーんかおもしろいもん!」
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