第40話 あの時はすでに過去

 三人で魔城の外に出た。閉鎖的な空間から外に出たのに気分が晴れるわけもなく、心の中はいつまでもズンと重いままだ。


(このまま、もし――)


 ジアラは目を閉じ、思い出の全てを思い浮かべる。ロックとの出会い、剣術を教わったこと、最初は迷惑そうだったけれど、だんだんと優しくなってくれたこと……それらが幸せだったなと。


(今、自分が逃げ出してしまえば――)


 彼はこの世界のどこかで生きていられるかも……そんな希望を抱く。ダメだとはわかっている。こんな事態を起こした彼をそのままにしておけないのは、わかっている。


(でも彼を失うことを思うと――!)


 悲しい。家族になりたかった、ただ一緒にいたかった。できたら子供もできて……にぎやかな家族になりたかった。


「ジアラ様、ロキ様、離れていて下さい。俺の魔力を解放して、奴を呼び寄せます……きっとすぐに狙ってくるでしょう」


 デグエドの促しに、ジアラは歯を食いしばる。動かなければ。わかっている。動かなければ……。


「ジアラ、行こう」


「……あぁ」


 ロキが手を背中に当て、優しく促してくる。ロキが触れている手とは反対の手に握りしめられている綺麗な結晶の欠片を見たら、力強く足は動いていた。シーガルトが魔法をかけてくれたのかも、そう思うことにした。


 やがて広けた地にデグエドは立つ。すぅっと息を吸い、魔力で大地を揺らすと城壁の一部が崩れた。


「俺はここにいるぞっ! 貴様から大事なものを奪い、苦しめた俺はここにいる!」


 デグエドは声高らかに叫ぶ。


「だが俺も貴様に大事なものを奪われた! この苦しみ、憎しみ! 互いにぶつけ合おうではないか! これ以上、失うものなどないのだからな!」


(デグエド……)


 彼はシーガルトを愛していた。ただ彼を手に入れたい一心だった。赤の族の実権を狙い、ロキをさらい、シーガルトを脅し、悪事を企てた。

 シーガルトもまた、ロキを取り戻すために一時はヴィラを使い、自分を陥れた。追い詰められたゆえの気の迷いとはいえ、シーガルトにロックを奪われた事実は……どんなに彼を許していると納得させても消える事実ではない。


『ごめんなさい』


 しかし、シーガルトは必死に謝った。あのシーガルトの悲しそうな声を思うと、彼は彼なりに耐えて、苦しくて、それでも強くあろうとして。それでも自分のことを愛してくれていた。

 みんな、それぞれの家族が欲しかっただけなのだ、自分だって――。


「ジアラ! あそこっ!」


 ロキが叫び、指差した先は空の上。どうやってあそこにいたのかは不明だが、そこから何かがすごい勢いで降りてくる。黒い物体……いや、だんだんと人の姿が見える。見たことのある鉄の軽鎧を身に着けた剣士だ。


(あ、あれは)

 

 剣士は剣を、刃を下に向けていた。その切っ先ははるか真下にいるデグエドに向けられている。たかが剣、この距離ならデグエドが離れればすぐ回避できる、そう思われたのだが。


「ぬっ! うっ、身体がっ!」


 デグエドは天を仰いだまま、固まったかのように動かず、自らの大剣を握ることもできない。徐々に距離は詰まり、降りてきた人物がはっきり誰なのかも確認ができた。


「デグエド!」


「ジアラ、ダメだ! 間に合わない!」


 デグエドは魔法によって身体の自由を失ったのだ。駆け寄ろうとしたが、すでに剣士はすぐそこに――。


「デグエドーッ!」


 自分達ですら何もできなかった。あまりにも驚きと焦りと、愛しい彼の姿を見た時の、胸の締めつけが強すぎて。

 降りてきたのは紛れもなくロックだ。

 ロックは牢屋で見た時と同様、髪を後ろで縛り、長くなった前髪で目元を隠していた。

 しかし、その口元は歯を見せ、笑みを浮かべている。


(ロック――)


 ジアラの動悸は止まらない。緊張に呼吸が乱れ、口から細かな息が漏れる。嘘だ、嘘だと思いたい、目を覆ってしまいたい、逃げたい。


「ロッ……ク……」


 なぜこんなことに。

 ロックの持つ剣は深々とデグエドの身体を貫いていた。魔族とて傷はつく。傷ついた場所が悪ければすぐに死ぬ。回復魔法は命までは治せない。身体を貫かれた傷なんて無理なのだ。


「ジアラ!」


 久しぶりの呼び声だ。心臓が大きく、とても大きくはずんだ。できればその嬉しそうに呼ぶ声を牢屋で再会した時に聞きたかった。


「会いたかった、俺はお前が大好きだ!」


「――!」


「あの時は怒ったりして悪かった! あの時の俺は自分に自信が持てなくて臆病だったんだ!」


 ロックは未だに笑っている。デグエドは立ったまま、身体が倒れぬように足を踏ん張っている。


「お前がいなくなった後、俺は絶望した。これまで絶望したことなんて何度も何度もあった。だけど、あの時が一番生きてきた中で一番苦しかった」


 それはヴィラに襲われ、離れ離れになった時のことだ。自分も一年間、身動きできず、彼を思って苦しかった。


「お前を奪われた後、俺は牢屋の中に放り込まれる前にお前にもらった、お前の角の欠片を身体の中に埋めた。奪われたくなかったんだ、これ以上、お前のこと……そうしたら俺の身体に変な力が宿った、強くなったんだ」


 その証拠と言わんばかりに、剣を握る手がわずかに動き、傷をえぐられたデグエドが低くうめく。以前のロックならデグエドに傷を負わせることさえできなかったはず。それが今は――。


「まぁ……お前のいない世界で強くなったって仕方ないと思って、牢の中では大人しくしていたけどな。ヴィラも一緒だったし、死なせたら嫌だし。最初はどんな苦しみを味合わせてやろうかと思ったけど、だんだんとどうでも良くなった」


 ロックの口から語られる、それは事実だ。牢の中でロックはヴィラを殺さなかった。許し難いことをされても弟は弟……命までも奪えなかったのだ。


「そんな中だ。お前が現れた。お前は俺の弟を助けてくれた。俺もすぐにお前を抱きしめたかったが、こんな俺を見たらと思ったら声はかけられなかった……そんな俺をお前は眠らせようとした。どうしようかと思ったよ……またお前と会えなくなる。永遠に……そう思ったら――あはは!」


 ロックは声高らかに笑った。その手に握った剣は一つの命を奪おうとしているのに。その状況すら、あざ笑うかのように。


「その時さ、身体を入れ替えさせてもらったんだ! それなら俺の憎いあいつは永遠の眠りにつく! 俺は一思いに目覚めて、お前を抱きしめてやろうと思い立ったから! しかも俺は強くなった、もう誰にも邪魔されないっ!」


 あれだけ優しかったロックの狂ったような言葉の数々に、ジアラは自身にも剣が突き刺さっているような痛みに襲われた。

 これまでのこと、全てがロックを変えてしまったのか。ヴィラに宿っていた鬼畜さが彼にも元からあったということか。

 なんにしても目の前にいる彼が今は全てである。聞きたくなくても言葉を聞き、彼を止めなくてはならない。


「ジアラ、俺はお前と家族になりたい」


 そこにずっと望んでいた魅力的な言葉があっても止めなくては。

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