第32話 社畜、休む。
激戦の果て、マサトは飛び出すように、誰よりも早く帰路についた。
「無理をしすぎた、か……」
魔王戦の反動が身体を蝕んでいた。
女神の祝福は、匂い立つ影さえ残っていない。
「体が、言うことをきかない……」
疲労が、身体を限界へと追い詰めていた。
だが、休むわけにはいかない。マサト自身が、それを許さなかった。
ここで止まれば、何かが壊れてしまう――
そんな予感だけが、彼を突き動かしていた。
「だから、前へ……うぐっ」
それでも、痛みを押し殺し、進み続ける。
『帰るべき場所』――その思いだけが、彼の足を前へと運んでいた。
ようやく、門が見えた――『いつもの町』だ。
「お、おい、大丈夫か、マサト?」
マサトの足元には、戦場の泥と血がこびりついたままだった。
どれだけ洗っても落ちない“働いた痕”――彼の道のりを物語っていた。
「通してください、帰るんです……」
門番は言葉を失い、ただ静かに道を開けた。
マサトは、大通りの石畳を、一歩ずつ踏みしめるように進んだ。
「目がかすむ、でも、あと少し」
あの人に、どうしても伝えたい言葉がある――
その想いだけを胸に、マサトは足を引きずるように歩を進めた。
そして、揺れる視界の彼方に、見慣れた看板が滲むように現れた。
いつもの喧騒も、かすかに耳をかすめる。
「あぁ、ギルド……か」
唾を飲み込み、ふらつきながら扉を押し開けた。
「マサト――!?」
冒険者たちの視線が一斉にマサトへ注がれる。
そしてすぐに、様子がおかしいと気づいた。
いつもの彼なら、すぐにカウンターへ駆け寄るはずだった。
だが今は、一歩も動かず、ただ立ち尽くしていた。
「大丈夫か……ッ!?」
冒険者たちは駆け寄り、声をかけた。
「もう……一歩も動けません……」
冒険者たちの間に、驚きと動揺が広がる。
マサトがそんなことを口にするなど――誰も想像したことすらなかった。
だからこそ、誰もが口々に「もういい、少し休め」と声をかける。
「でも、『マリーベル』に報告しないと……」
マサトは、今にも途切れそうな声で、それだけを絞り出した。
次の瞬間──冒険者たちが一斉に叫んだ。
「マリーベルさんッ! マサトが帰ってきたぞッ!」
冒険者たちの声がギルドを揺さぶった。
「えっ……マ、マサトさんッ!?」
呼ばれたマリーベルは、扉の前に倒れたマサトを見つけ――
「すぐ行きますッ!」
周囲に風を巻き起こす勢いで、マリーベルは駆け寄った。
そして――
「マサトさん……」
マリーベルは声を詰まらせ、目の前のマサトを見つめた。
そこにあったのは、生気の抜けた顔と、かすかな息遣いだけだった。
「ただいま……帰りま……」
振り絞った声が途切れ、マサトが崩れ落ちる。
「あぁっ!」
マリーベルは、崩れ落ちるマサトを受け止めた。
「しっかりして、マサトさんッ!」
彼の名を何度も呼びかけるが、返事はなかった。
残ったのは、腕に伝わるぬくもりと、かすかな呼吸だけだった。
それからどれだけの時間が経っただろうか――
「……う」
やがて、マサトがゆっくりと目を開けた。
「ここは……ギルドの宿舎、か」
本来なら、自分しかいないはずの場所。
だが、すぐそばで、
「あっ、目を覚ましたっ!」
聞き慣れた、マリーベルの声がした。
「いまは、静かにしててください……ほんと、大変だったんですから」
「あ、あぁ……」
どうにか事情を察したマサトは、
「ご迷惑をおかけしました」
かすれた声で、謝った。
「ふふっ、迷惑なんていつものことです」
マリーベルは、怒るでもなく優しく微笑んだ。
「とにかく、今はゆっくり休んでください」
「休む……」
マサトは、その言葉に少しだけ目を細めた。
いつもの彼であれば、そんな言葉には耳を貸さなかっただろう。
けれど、この時ばかりは違っていた。
「あたたかい……」
マリーベルの手が、そっと彼の指を包んでいた。
そのぬくもりが、静かに胸の奥へと染みていく。
「だって、こうしてないと、また飛び出していっちゃいそうで……」
マリーベルは、わずかに声を震わせながら言った。
頬には、気恥ずかしさと、言葉にできない想いの色が滲んでいた。
「私は、あなたのお目付け役なんです……よ?」
……少し伏せられた瞼の奥で揺れる視線が、何よりも彼女の想いを映していた。
「私が見てるから……安心して、休んでください」
もう、それを口にするだけで精いっぱいだった。
こらえていた涙が、そっとマサトの頬を湿らせた。
添えられた指先も、かすかに震えていた。
声は、なくとも、胸の内は、しっかりと届いている。
だから、マサトは――
「ありがとう……マリーベル」
目を見つめ、指先にそっと力を込め――
「君が、いてくれて、本当によかった……」
「……はい」
想いは、十分に伝わっていた。
もう、ふたりの間に、それ以上の言葉は必要なかった。
Fin.
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