気付き
重い瞼をあけ、段々と現実が舞い込んでくる頭の浮遊感に浸る。今日もいい朝だ。カーテンの隙間から陽が差し込み、気持ちのよい目覚めを誘う。……なんて、いつも通りいくはずがない。頭に理性が巡っていくたび、嫌な現実が俺に自覚させようとする。いい朝なわけがない。下僕ができたのだから。
ゆっくりと体を起こして周りを見渡すが、あの少女はいない。カーテンが閉め切られている時点で、薄々感づいてはいた。あいつは下僕の部屋にいる。
下僕の部屋。意図的に設備を整えず放置されている、別名地獄の間。古いベッドに、曇りガラスの窓。埃だらけの床など、本当に環境が悪い。だからわざわざ、下僕は朝シャワーを浴び、清潔な状態で主人の世話をしに来る。勿論、シャワーは冷水だ。こんな事をするなら、別に汚い部屋で無くてもいいのに。もっと言うと、獣人が下僕で無ければいいのだ。
そう思いながら、服を着替える。今日は、濃紺ベースのスーツ型。俺の服は、基本青色ベースだ。鏡をみて髪を整えていると、急にドアが開いて焦る。しかし、入ってきたのはアライズだった。
「はよ~リアン。きまってんじゃん。」
後ろ手でドアを閉め、俺と並んで鏡に写る。俺を褒めつつ、アライズも完璧にきめていた。アライズには、本人直々に任命したヘアメイクがいる。兄弟の仲で、一番オシャレに気を遣うのはアライズだ。
朝からテンション高めな事に呆れつつ答える。
「アライズはド派手過ぎると思うけど。」
「そうかぁ?リアンが堅いんだよ。正式に王子になったんだから、銀の装飾でもつけてりゃいいんだ。」
普通はそういうものなのだろうか。アライズから見ると、俺は堅いらしい。首周りにファーをつけた奴に言われても、そっちが派手なだけだと思ってしまうが。まぁいつもの事なので、あまり気にせず話題を変える。
「アライズ、なんで来たんだよ?朝食が出来たなら、執事が呼びに来るだろ。」
「はぁー。お前は兄弟で雑談もしないのか?弟が兄に似てるなんて、俺が可哀想だと思わないか?」
わざとらしいため息に、俺もため息で返したくなる。そんな俺の顔を見て、アライズは両手を上げて降参のポーズをとった。
「はいはいわーったよ。お前の下僕、今日から一週間教育に回す。本格的につくのはその後だ。」
告げられた言葉に、軽く知ってはいたが目を輝かせてしまう。どうしてこんなに良い知らせをすぐに言わないんだ、アライズはやはり分かり合えない所がある。ガッツポーズまでしたい気分だが、ギリギリで堪えた。アライズを見ると、人間では無いものを見るような目で見られている。俺が、たまにアライズに向ける視線だ。
俺はやはり我慢できずに小さく拳を握った。
アライズが去って十分ほど経ってから、執事が俺を呼びに来た。これから食堂に集まり、家族で朝食が始まる。
食事の時間は完全プライベートで、空気が張り詰めているという感じでは無い。
俺がスクランブルエッグをスプーンですくっていると、父が俺に話しかけてきた。
「リアン。第三王子、おめでとう。」
そう言って父は、ステーキを口に運ぶ。
俺は実の息子だが、父に褒められ体が固まる。実の父ではあるが、普段国王としての父を見ているため、どうしたって緊張してしまうのだ。
「ありがとうございます、父上。」
「リアン、いつも言ってるだろう?食事の時間くらい父さんで良い、そう堅くなるな。」
父がそう言って笑う。父は、自分が国王である事がもたらす周りへの影響をあまり考えた事が無いらしい。こう言ってくれる事が優しいのだということは、隣国の王子と交流した際に分かってはいる。俺が苦笑いでしか返せないでいると、兄さんが言った。
「いいじゃないですか。俺も、父上の方がしっくりきます。」
上手く、真意を誤魔化したような文章だ。さすが長男。次期国王なだけある。
そのわちゃわちゃに混ざるように、母が言った。
「まぁまぁ三人とも。リアン、立派だったわ。」
そう褒められて、何だか気恥ずかしくなる。母の褒め方は、小学生に戻った気分になってしまうのだ。母性が強いという感じだ。
俺達の母親は、元々庶民の生まれだ。父が一目惚れして、ほぼ無理やり城に連れて来たらしい。そこから猛アプローチして母も好きになった、と聞かされた。この惚気話を、母から何度聞かされたことか……。だが、もし好きになって居なかったら、俺達は居ないかもしれないので、いつも最後まで聞くようにしている。
急にそんな事を思いながら、アライズに視線を移す。アライズが全く喋らないのはいつもの事だ。実は、父の前で一番緊張するのはアライズなのだ。
こうしていつも通り、朝食タイムは過ぎていった。
それからの生活は、最高、とはいえやはり、下僕を意識しない訳にもいかなかった。俺の世話こそしないが、訓練されている音は、よく聞こえてきた。近々開催される舞踏会に備えて、例年より多くの事を覚えさせるらしい。
俺の方も、他国からの来客があるため、打ち合わせから所作の確認まで、大忙しだ。
第三王子の席に着いて1ヶ月程は、来客の対応で忙しくなると聞かされていはいたが、想像以上。
そんな日々に気を取られていたある日。具体的に言うと、舞踏会の1週間前。寝巻きに着替え、書斎で本を読んできた時、部屋にノックの音が響いた。急激に現実に引き戻された頭を押さえつつ、栞を挟みながら返事をする。
「入れ。」
俺が立ち上がりドアに近づく間に、尋ね人は扉を開けた。
「失礼致します。」
来たのは、メイドの教育係長だった。珍しい来客に、返事が一拍遅れる。俺の部屋にノックして来るのなんて、いつも同じ執事だ。そんな俺に気が付いたのか付いていないのか、メイドは話し始めた。
「リアン様に仕える、下僕の教育が終了致しました。大変申し上げにくいのですが……今までで一番の田舎者でして、教育に時間がかかってしまいました。申し訳ありません。」
そうして、深く頭を下げる。俺に詫びているようで、下僕を落とす様な言い回しだ。このメイドには、教養がある。きっと、この言い方もわざとなのだろう。いい役職につく代わりに、下僕との関わりを沢山持たされるのがこの城の暗黙の了解だ。
「構わない、俺が選んだから、俺の責任でもある。教育、ありがとう。」
そんな心中を察して、労いの言葉をかけた。兄二人の前ですると、王家の労いの貴重さについて熱く語られるため普段はしないが、特別だ。
するとメイドは、俯きながら頷いた。
「……リアン様のせいでは、ございません。」
一瞬、嫌だったかと焦ったが、俺が自分が選んだと言ったことに引っかかっていただけのようで安心する。また一礼をすると、メイドは去っていった。
要件が済んだと思い、ドアを閉めに一歩踏み出す。
「あの……。」
すると、扉の向こうから声が聞こえた。気のせいかと思い閉めようとすると、下僕が奥からひょっこりと顔を覗かせた。近くに獣人が居ることと、隠れていた事に驚き、部屋の中へ後ずさる。
「えっと……すみま、せん。」
下僕は姿を見せると、何故か、謝ってきた。その所作は、自信なさげな声音からは想像もつかない程、洗練されている。二週間弱でこれなら、予定から一週間は延びたものの、よく出来た方、という印象だ。
しかしそれはそれ。下僕にはこのまま帰ってもらおうとして口を開きかけた時、服の裾から覗く生々しい傷に気づき、俺は動きを止めた。何故か胸がズキズキと痛み、眩暈のような感覚に視界が揺らぐ。震えを誤魔化すように下僕を観察すると、身体のどこを見ても、血やアザでいっぱいだった。
どうしたんだ、と聞こうとして、止める。
分かっている事だった。分かり切っていた。これは、教育だ。俺がここ最近聞いて、でも聞こえないフリをしていた怒号と悲鳴に近い声は、こいつの教育。いくら獣人が下僕でも、嫌いでも、さすがに酷い有様だった。
「入れ。治癒魔法は得意ではないが、応急処置ならできる。」
気が付くと俺は、そんな言葉を発していた。下僕が綺麗な状態だって部屋に入れたく無いはずなのに。こんなにボロボロな状態を目の前にしても、俺は、こいつへの不快感を感じていなかった。
しかし、その提案を聞いた下僕は、ただモジモジしているだけで、俺の部屋に入ろうとしなかった。その時間が増える度に、失われていた不快感が蘇ってくる。下僕は通常、主人に絶対服従を基本原則とし、それを何より優先して教育される。あのメイドが、こんな重要なことを教え忘れたわけもないだろう。段々イライラしてきて、眉間にシワが寄りそうになった時、やっと下僕が口を開いた。
「お部屋が……汚れてしまいます……。」
「……は。」
下僕はそう言うと、お気遣いだけ受け取っておきますと付け足し、足を引きずりながら部屋へと帰っていった。
その姿が見えなくなっても、俺はその場から動けないでいた。ずっと、下僕には常識が無いのだと思っていた。人間と獣人の見えている世界には明確な境界線があり、自分の利益だけを考えて生きるのが獣人だと思っていた。でも。あいつは、自分の痛みより、俺の些細なこだわりを優先した。まるで、自分の血が俺にとって毒だと、認めている様に。
下僕が歩いていった方を見ると、電気が消え、漆黒に包まれている。
或いは……これもメイドの教育の賜物なのだろうか。そう思いつつ、あれが、このはの本心だとしたら、少しだけ嬉しいと思った。
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