第28話 風の塔

 チカップの過去を聞いた勇斗たちは、モリシの家で一晩を過ごした。


 翌日、風の大精霊が眠るとされる塔へ向かおうとした勇斗は、モリシから呼び止められた。


「ユートや、これを」


 勇斗がモリシから受け取ったものは、羽の形をした小さな耳飾りだった。


「モリシさん、これは?」


「――チカップが自身を見失った時、渡してやってほしい」


 モリシの視線は、さまよっていた。


「おーい、ユート、どうしたんだ。早く行くぞー!」


 外から、ランパの声が聞こえてきた。


「あ、うん。今行く」


 オル族の集落を北に進み、霧が深い林道を抜けると、殺風景な峡谷が姿を現した。茶色い景色が広がっている。岩肌を吹き抜ける風が、勇斗の赤いマントをバサバサと揺らした。


「ここから先は結界の外。魔族がうじゃうじゃいるはずっスよ!」


 勇斗たちは岩の大地を進む。気がつくと、背が高い岩壁に挟まれた狭い道を歩いていた。

 

「魔族が現れたら、次は自分も戦うっス!」


 チカップは、ボサボサしたアッシュグレーの髪を触りながら、大きな声を出した。


「チカップ、無理をしない方がいいよ」


「無理なんかしてないっス! 自分が本気を出したら魔族なんかあっという間に倒せるっス! なんたって、オレはあのコタ様の力を受け継いでいるんスから!」


 いつもより高い声を出したチカップは、腰に手を当て、口角を上げた。しかし、目は笑っていなかった。よく見ると、手足が微妙に震えている。

 

「――戦闘はオレたちに任せろ。チカップ、お前は道案内を頼む。ここからどうやって行けば塔まで行けるんだ?」


 ミュールは、チカップの肩を軽く叩いた。

 

「あぅ――自分もこっちに来るのは初めてだから、わからないっス」

 

「あちゃー」

 

 ミュールが、がりがりと頭を掻き回す。それを見たチカップは、申し訳なさそうな顔をした。

 

「チカップ、フクロウに変身して空から先を見てきてくれないかな? この辺、見通しが悪いから、きみの翼が役にたつと思う」

 

「えっ――わ、わかったっス」

 

 チカップは少し喉を詰まらせたあと、フクロウに変身して、白い翼を羽ばたかせた。

 

「頼んだよ」

 

 チカップに先導され、岩の迷路をしばらく歩くと、ひらけた場所に出た。

 

「あれが、大精霊が眠っている塔か」

 

 視界の先に、細長い建造物見える。古びた塔は、周りを谷に囲まれながら、静かにそびえ立っていた。

 

「おーい、なんか飛んできたぞー!」


 ランパが額に手を当て、空を仰いだ。

 

 上空から、魔族の群れが現れた。鳥型の魔族。漆黒の羽毛に覆われた体は細長く、くちばしは鉤のように湾曲していた。


「そこからも、何かの気配がしますわ!」


 周囲の岩陰から、獣型の魔族が姿を現した。茶色い体毛に覆われた屈強な体と、異様に発達した長い腕。鮮やかな紋様の浮かぶ顔には、邪悪な光を宿した瞳がぎらついている。


 鳥型と獣型を合わせて、およそ十匹。じわじわと包囲網が狭まっていく。

 

「来やがったな。全員ぶちのめしてやる」

 

 ミュールが爪付きのガントレットを装着し、構えた。

 

「チャチャッとやっちゃおーぜ!」

 

 ランパが持つ精霊樹の枝が輝き出した。

 

「ソーマとチカップは下がっていて」

 

 勇斗はドラシガーに火をつけた。淡い緑色の煙が周囲を渦巻く。鞘から聖剣クトネシスを引き抜き、両手でしっかりと握る。

 

「頑張ってくださいませ、ユート!」

 

「――」

 

 前のめりの姿勢で目をキラキラと輝かせているソーマの傍らで、チカップは肩をすくめて俯いていた。


 ランパの精霊術によって生み出された蔦が、鳥型の体を絡め取り、地面に叩き落とす。


「ユート、今だ」


 煙をまとった勇斗は、残像すら残さない動きで、敵を次々と切り裂いていく。羽を失った鳥型が、悲痛な叫び声を上げた。


「うおおおおおっ」


 ミュールは雄叫びを上げ、獣型に突進した。跳躍し、獣型の頭上から拳を叩きつける。一匹仕留めると、素早く次の敵に視線を向ける。ローキックからの蓮撃コンボを決めた。


 ミュールの蓮撃により、獣型が一箇所に集められる。刹那、煙の檻が獣型の集団を囲んだ。


「ユート、まとめてドカンだ!」


 ランパが無邪気な声を上げた。


 勇斗の掌が、獣型に向けられる。煙が赤く染まり、熱を帯びた。次の瞬間、大爆発が引き起こされる。


 勇斗はドラシガーを右手に持ち、煙を天に向かって勢いよく吐き出した。


「決まったな、ユート」


 ミュールが拳を差し出す。ためらいつつ、勇斗も拳を差し出した。コッ、と金属同士が接触する。


 勇斗は、短くなったドラシガーを惜しむように吸った。白い灰が茶色い地面に落ちる。ドラシガーは、吸い口付近に取り付けられたリングのみを残して消滅した。戦いながら吸っていると、どうしても燃焼時間が早くなる。


「あれっ?」


 一瞬、立ちくらみがした。


「どうした?」


「いや、何でもない。ちょっと張り切りすぎたかな?」


 唇を噛んだ勇斗は、マントの隠しポケットを探った。ドラシガーはもうなかった。あぁ、またランパに作ってもらわないと。


 澄んだ空を見上げると、巨大な影が横切った。


「きゃぁーっ!」

 

「ピャアアアアアアッ」

 

 頭が二つある巨大な怪鳥が、深紫の翼を大きく広げ、空を切るように羽ばたいていた。粉塵が舞う。二つの黄色く鋭いくちばしには、それぞれソーマとランパが咥えられていた。

 

「ちょっと、冗談じゃなくってよ。助けて、ユート!」

 

「オッ、オイラを食ってもうまくないぞーっ!」


 上空から二人の叫びが聞こえる。


「くそっ」


 焦った勇斗は、掌から炎の精霊術を放った。燃え盛る火球が、怪鳥目掛けて飛ぶ。


 しかし、素早くかわされた。


 必死に抗おうとする二人をものともせず、怪鳥は悠然と空を舞う。やがて、彼方へと姿を消した。


「あの鳥、塔の頂上に飛んでいきやがった」

 

「二人を助けないと。行こう、ミュール、チカップ!」


 勇斗たちは、大地を蹴った。

 


 塔の内部は静かで、魔族の気配はなかった。いたるところが崩れていて、ちょっとの揺れで倒壊しないか心配になるほどだった。

 

 螺旋状の階段を駆け上がる。早くしないとランパとソーマが危ない。ランパはともかく、ソーマは戦う力を持っていない。最悪の事態が頭をよぎる。無事でいてほしい。

 

 三階へと到着した。息を整える。ここまで登ってきてわかったのは、内部構造が見張りの塔によく似ているということだ。同じ人が建てたのだろうか。

 

「ミュール、チカップは?」

 

「あれ、まだ来てないのか。オレたち、早すぎた?」

 

「おーい」

 

 階段下から声がした。ややあって、チカップが姿を見せた。一歩一歩、ゆっくりと階段を登ってきている。

 

「ユート、ミュール、早いっスよ」

 

 チカップは肩で息をしていた。足が小刻みに震えていて、今にも倒れてしまいそうだ。

 

 勇斗は、チカップに少し前の自分を重ねた。この世界に来たばかりで、体力のかけらもなかった頃に行われた塔での修行。あのときの自分も、今のチカップのような状態だった。階段を登るたびに、意識を失いそうになっていた。彼も体力がないのだろう。この急な階段を一気に駆け上がることの困難さは、よくわかる。

 

「少し、休もうか」

 

「でも、そうしているうちにチビスケが食べられてしまうぞ」

 

 ミュールの言うとおりだ。もたもたしていると、怪鳥に捕まった二人の命が危ない。


「ここで待ってる?」


「嫌っス。自分も行くっス」


 チカップは、ふらふらと歩き出した。しかし、すぐに膝を折ってしまう。


「フクロウに変身して飛んだらどうだ?」

 

「あれも、結構体力を使うんス。休憩を挟まないと、連続して飛べない」

 

 チカップは泣きそうな顔をしていた。

 

「仕方ないな、ほら、掴まれ」

 

「ホッ?」

 

 ミュールは腰を屈め、両手を後ろに出した。

 

「早くしろって!」

 

「でもミュール、大変じゃないっスか?」

 

「昔、ひ弱な弟をよく背負って山を走ってたんだよ。お前と同じ歳だったかな。背丈も似ている。大丈夫だから安心しろ。絶対落とさないから」

 

 ミュールが白い歯をこぼす。

 

「――役立たずで、ごめんなさいっス」

 

 チカップは呟いたあと、ミュールの肩を両手で掴んだ。

 

「気にすんなって。よし、行くぞ。ユート、ついてこいよ!」

 


 塔の頂上へと到達した。瓦礫が散乱した、広い円形の開放された空間。外周には崩れた欄干がわずかに残っている。

 

「うっ」

 

 強い風が吹き荒れた。踏ん張り、空を仰ぐ。塔の上空には、灰色の雲が垂れ込めていた。

 

「ユートーッ!」

 

 ソーマの声がした。厚い雲を突き破り、二頭を持つ怪鳥が姿を現す。深紫色の大きな翼を羽ばたかせながら、こちらを睨みつけてきた。背中にはソーマとランパの姿が見える。

 

「この子、泡吹いて失神しちゃいまして、全く役に立たないですの! 早く助けてくださいませ!」

 

 ソーマは右手で怪鳥の羽毛を掴み、左手で動かなくなったランパを押さえつけていた。

 

「今助ける!」

 

 勇斗は掌を怪鳥に向けた。ここから精霊術の炎を当て、落ちてきたところを剣で切り裂く――といったプランを頭の中で構築する。さっきは避けられたが、今度こそ。

 

「あれっ?」

 

 精霊術は、発動しなかった。


 地上での戦闘で、体内のマナを使い果たしていたのだった。マナを回復するためにはドラシガーを吸う必要がある。慌ててマントの隠しポケットに手を入れる。

 

「あっ」

 

 ドラシガーを切らしていたことに気づいた。生成しようにも、ランパは怪鳥の背中で気絶している。


 勇斗は青ざめた。ドラシガーがないと、まともに戦えない。


「くっそ、あの鳥が近づいてこない限り、攻撃を当てられねぇ」


 ミュールが険しい顔をする。舌打ちの音も聞こえてきた。


「ユート、避けてっ!」

 

 ソーマの声が聞こえた瞬間、目の前が真っ白になった。

 

 轟音と衝撃。勇斗の身体が、二発の雷に撃ち抜かれた。二頭を持つ怪鳥による魔法だった。


「ぎゃあああああっ!」

 

 熱い、熱い。全身を引き裂くような激しい痛みが全身を高速で駆け巡る。意識がぐらつく。

 

「うっ、うっ――」


 勇斗は片膝をついていた。全身から黒い煙が吹き上がり、両耳からは血がだらだらと流れていた。

 

「ユート、立てるか」


「な、なんとか」


 勇斗は、ミュールに肩を貸される形で立ち上がった。


「あの鳥、人質を取りながら安全地帯から攻撃してきやがる。卑怯だ」


 ミュールがぎりぎりと歯軋りをした。


 この状況で、唯一攻撃ができるのは――


 勇斗は、虚な目でチカップを見た。


「自分、自分、やるっス。やってやるっス。足手まといには絶対、絶対にならないっス」


 歯を食いしばったチカップは、コートのポケットから羽ペンを取り出した。震える手で、魔法陣を描く。


 魔法陣が完成したとき、チカップの周囲を黒い風が渦巻いた。


「な、なんスか、これ――うああああっ」


 チカップは叫んだあと、大きくうなだれた。手足をだらんとさせ、両膝をつく。


「チカップ、どうした?」


 ギェェェェェェェッ!


 二頭を持つ怪鳥が、鋭い雄叫びを上げた。その声に呼応するように、チカップを取り巻く黒い風が激しさを増していく。


「うああああっ! たす、たすけ――」


「チカップ!」


 風が吹き荒れる。勇斗とミュールは、飛ばされないよう立っているのが精一杯だった。


 魔法の暴走。モリシから聞いた儀式での出来事が、勇斗の脳裏に浮かんだ。

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