第4部

第25話 密林

「お、お母さんっ!?」

 

 勇斗の声が、深々とした緑の空間に響き渡った。

 

「――切れちゃった」

 

 スピーカー越しだが、母の声を聞けて安心した。胸がじわりと熱くなる。

 

 勇斗は鼻水をすすり、フォンタイトをマントの内側に収納した。


 そういや、前回に比べて、アルトと話しやすくなっていた気がする。近寄りがたいオーラが薄まっていたというか。相変わらず上から目線だったけど。


 時間の進み具合が違うのも気になった。こちらのほうが早く時間が進んでいるみたいだった。時間が経てば経つほど、元の世界に戻ったとき、変なことになりそうだ。それと――


「魔神」


 アルトは確かに魔神を倒したと言っていた。しかし、魔族の動きは未だに活発。どういうことなのだろう。


 勇斗は身震いをした。


「ユート、アルトと話していたのか?」

 

 蔦が複雑に絡まった木の影から、ランパが姿を現した。大きな実を両手に抱えている。

 

「うん。すぐにバッテリーが切れちゃったけどね、次に起動するのはいつだろう」

 

「さぁ? まぁ、気長に待ってればまた使えるようになるって。それより、これうまいぞ。すんごく甘い。ほっぺたとろけちゃう」

 

 自分の顔ほどの大きさがあるクリーム色の実に、ランパは口をつけた。じゅぼぼぼぼぼ、と勢いよく汁を吸い込む。プハっとしたあと、満面の笑みを浮かべた。

 

「ランパ、他のみんなは?」

 

「ワンコとソーマは食料を取りに行ってるぞ。この森にはいろんなキノコや果物があるから、それを使って料理してくれるんだってさ。オイラも行きたかったけど、ダメって言われた。なんでだろうな。ムカつくぞ!」

 

 それはおそらく、料理をする前に全部食べられてしまう事態を警戒したのだろう。

 

「ユート」

 

 チカップが浮かない顔をして話しかけてきた。ボサっとしたアッシュグレーの髪や、ベージュのコートをしきりに触り、落ち着きがない。

 

「本当に、この先に進むんスか?」

 

「このジャングルの奥に四大精霊の封印があるはずだからね。魔族も手強くなってるけど、行くしかない」

 

「そう――そうっスよね」

 

「お前、ソレイン王国を出てからずっと変だぞ?」

 

 ランパは流し目でチカップを見上げた。

 

「べ、別に変じゃないっスよ。気のせいっス。自分はいつも通りっスよ」

 

 チカップの口角が上がった。弱々しい笑いだった。

 

「ユート、大変ですわ!」

 

 ソーマが、背丈の高い草をかき分けながら走ってきた。ドレスについた汚れを払い落とし、勇斗に抱きついた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「魔族が襲ってきましたの。ざっと、大きいのが五匹。ミュールが応戦していますが、だいぶ苦しそうですわ」

 

 顔を下に向けると、ソーマの怯えた表情が見えた。

 

「わかった。ランパ、チカップ、行こう。ソーマは隠れていて。すぐ戻る」

 

 勇斗は、マントの内側からドラシガーを一本取り出し、ガントレットから放たれる青白い炎で底面を炭化させた。次に、ドラシガーを咥え、回転させながらふかして着火する。このやり方だとスピーディに着火できる。吸い口は、あらかじめカットしておいた。


 緑煙をまとった勇斗は、鞘から聖剣を抜き、駆けだした。

 


 魔族が次々と倒れ、消滅していく。

 

「ユート、そいつで最後だ!」

 

 ミュールが叫ぶ。

 

 勇斗は地面を蹴った。炎をまとった剣が、ワニのような魔族の体を真っ二つに切り裂いた。黒い液体が噴射する。

 

「ふーっ」

 

 勇斗は剣を鞘に納め、口から緑色の煙を吐いた。

 

「ユート、本当に強くなったよな。初めて魔族に会ったときはあんなにビビっていたのに」

 

 ランパがニッと笑った。

 

「そ、そうかな。みんなのおかげだよ」

 

 頬を赤くした勇斗は、再びドラシガーを咥えた。ランパから顔を背け、煙を吐き出す。

 

 視界の先にチカップの姿が見えた。目が合った瞬間、チカップは気まずそうに俯いた。

 

「そういやチカップ、何で魔法を使わないんだ? お前の魔法があればもっと早く倒せるのに」

 

 ミュールは尻尾を揺らしながら、両腕を組んだ。

 

「――自分が魔法を使うと、みんなを巻き込んでしまうっス。だからなるべく使いたくないっス」

 

 勇斗は、チカップと最初に出会ったときのことを思い出した。放たれた魔法の軌道が大きく逸れ、当時のチカップの仲間に命中していた。蓋を開ければ、そいつらは人に化けた魔族だったのだけど。

 

「じゃあ、もっとコントロールできるように修行すればいいじゃないか。オレ、手伝ってやるぜ?」

 

 ミュールは白い歯を見せ、チカップの髪の毛をくしゃくしゃと掻き回した。

 

「ホッ! やめ、やめるっス!」

 

 チカップは小さなフクロウに変身した。バサバサと白い翼を羽ばたかせ、ジャングルの奥へと飛び去っていった。

 

「あ、あいつ! じーちゃんみたいに変身できたのか!」

 

 ミュールは、地面に落下した白い羽を拾い上げた。

 

 オル族はフクロウに変身できる能力を持つ。チカップも例外ではなかったようだ。そういえば、変身したところを見たのは、今日がはじめてだ。

 

「ソーマを拾って、追いかけるぞ!」

 

 眉間にしわを寄せたミュールは、唇を噛んだ。

 


 チカップを探しているうちに、仲間とはぐれてしまった。迂闊だった。

 

 勇斗は辺りを見回す。うっすらと霧のようなものが漂っている。あちこちに変な模様が描かれた石が見えた。

 

 特に印象的だったのが、朽ちた石碑だ。大きさは勇斗の倍以上はある。文字はかすれていて読めなかった。

 

 ドラシガーを咥えつつ、剣の柄に手をかけながら慎重に歩く。いつ魔族が襲ってくるかわからないから、気を抜けない。時折ドラシガーを口から離し、仲間の名前を叫ぶ。しばらく歩いていると、勇斗はあることに気づいた。

 

 この道、さっきも通ったような。

 

 勇斗の目の前には、朽ちた石碑がそびえていた。数分前に見たものと、全く同じだ。

 

「ここから先は、正しい道順で進まないといけないっスよ」

 

 振り返ると、大きな木の根元でチカップが三角座りをしていた。

 

「こんなところにいたんだ。急にどうしたの? みんな心配してたんだよ」

 

 チカップは俯き、ため息をついた。

 

「チカップ――」

 

 勇斗は無言のまま、チカップの隣に腰を下ろした。ドラシガーを咥え、頬をすぼめる。淡い緑色の煙が、勇斗の口と鼻から静かに吐き出された。

 

 父の行為を真似たものだった。自分が落ち込んでいたとき、父は黙ってそばにいてくれた。葉巻のやさしく甘い香りが、少しだけ心を軽くしてくれた。チカップがどう感じているかは、わからない。でも、こうして寄り添うことが、何もしないよりかはマシなはずだと、勇斗は信じていた。

 

 お互いに何も喋らないまま、時間だけが経過していく。風に吹かれて葉が揺れる音と、流れる小川の水音のみが耳を支配する。

 

 気まずい空気感。そういえば、チカップと二人きりで話したことはなかった。彼のことをほとんど知らない。何を話せば良いのだろう。家族や友達のことでも聞いてみようか。いや、好きな食べ物とかのほうがいいかな。

 

 勇斗が口を開こうとした時、チカップが顔を上げた。

 

「さっきは急にいなくなってごめんなさいっス」

 

 先に喋ってくれた。勇斗は内心ホッとした。

 

「い、いいんだよ。僕も嫌なことがあったらすぐに逃げ出すタイプだったから。それよりも、無事で本当に安心した」

 

「――ありがとう」

 

 チカップの表情が柔らかくなった。同時に勇斗の緊張もほぐれる。

 

 勇斗は煙を吐いた。煙の行方をチカップが目で追う。

 

「ユートはいつから葉巻を吸い始めたんスか?」

 

「この世界に来てからだね。でも、このドラシガーしか吸ったことがない。普通のタバコを吸うのは抵抗があるかな。僕のいた世界では、子供がタバコを吸ったらダメなんだ。お酒もタバコも二十歳になってから」

 

 真っ白な灰を地面に落とす。


 細めた目で、勇斗は緑煙の軌跡を眺めた。ドラシガーを吸うことに対する僅かなためらいは、煙のように消えていた。気づけば口と指が葉巻の重みを恋しがっている。


 ――慣れって、こうも早いのか。

 

「こことは決まりが違うんスね。ユートの世界、興味があるなぁ。もっといろいろ教えてほしいっス」

 

「そうだなぁ。こことは違って不便な事はあまりないし、テレビとか漫画とかゲームとか、楽しいものがたくさんあるよ」

 

「へぇ」

 

 その後も、いろいろ質問された。住んでいる町のことや、友達のこと。勇斗が答えるたび、チカップは羽ペンを動かしてメモを取っていた。

 

「ところで、ユートは好きな子とかいるんスか?」

 

 突然の質問に、勇斗は持っていたドラシガーを落としかけた。何だ急に、と心の中で戸惑いが広がる。

 

「い、いないよ」

 

「え? でもソーマとは仲良さそうっスよね。よくイチャイチャしてるし」

 

「そ、そんなことない! あれは向こうが勝手に」

 

 勇斗の顔が、急に赤くなった。異性を意識したことなんて、これまで一度もなかった。それなのに、ソーマと出会ってからは、彼女のことを考えるたびに胸が騒ぐ。

 

「チカップは、好きな子、いるの?」

 

 チカップは少しの間、沈黙した。表情がふと硬くなる。

 

「――いたっスよ。来年、結婚する約束もしていたっス」

 

「け、結婚!?」

 

 勇斗は目を見開いた。まさか、ひとつ年下のチカップからそんな言葉が出るなんて、思いもよらなかった。

 

「凄いね。僕、そんなこと一度も考えたことなかったよ」

 

 将来のことなんて全く考えていないことに気づかされ、勇斗は急に不安を覚えた。それに比べ、チカップは未来の約束をしている。

 

 チカップが、急に大人に見えたような気がした。

 

「凄くなんか、ないっスよ。自分からしたら、ユートのほうが凄いっス。魔族に臆することなく立ち向かえるなんて。死ぬのが怖くないんスか?」

 

「――怖いよ。でも、立ち止まっていたら、何も解決しない」


 勇斗は、真っ直ぐに煙を吐いた。

 

「やっぱり、凄いっスね。自分はこの先に行くのが怖いっス」


 チカップは、重苦しいため息をついた。

 

「この先には何があるの? きみはさっき、正しい道順で進まないといけないって言った。あれはどういうこと?」

 

「自分の故郷――オル族の集落があるっス」

 

 故郷。確かチカップは故郷を追われたと言っていた。だから憂鬱そうな瞳をしていたのだろうか。

 

「帰りたくないの? ここで待ってる?」

 

「いや、行くっス。ここから先、集落に行くには正しい道を通る必要がある。自分なら案内できるっス。それに、ユートたちの探している大精霊の封印は集落にあるから」

 

「大精霊の封印のこと、知っていたの?」

 

 チカップは俯き、黙り込んだ。

 

「――何か理由があるんだね。無理して言わなくてもいいよ」

 

「ごめんなさいっス」

 

「おーい、ユートー!」


 ランパたちが駆け寄ってきた。

 

「みんな」

 

「お、チカップも一緒だったか。この野郎、心配させやがって」

 

 ミュールは屈み、チカップと目線を合わせ、ニッと白い歯をこぼした。

 

「さっきはごめんな。嫌な思いさせちゃったみたいで」

 

「いいんスよ。大丈夫っス。ありがとうミュール」

 

 チカップは微笑み、差し出されたミュールの手をとった。

 

「この先の集落に大精霊の封印があるみたいなんだ。行こう、みんな」

 

 勇斗は立ち上がり、口から淡い緑色の煙を吐き出した。

 


 チカップに案内され、濃い霧の迷路を進む。


 十分ほど歩くと、ひらけた場所に出た。霧はすっかり晴れている。石造りの大きな門が、目の前に出現した。

 

「うわっ」

 

 一陣の風が、勇斗の顔面に直撃した。思わず目を瞑り、右腕で顔を守る。

 

「おい、お前たち、何者だ」

 

 まぶたを開くと、目の前に一羽の茶色いフクロウが降り立っていた。フクロウは人型に姿を変えると、三つの目でギョロッと睨んできた。

 

「お前たち、どうやって来た? オル族以外はここまでたどり着けないはずなのだが」

 

 オル族の男が、腕くみをしながら近づいてきた。

 

「えっと、僕たちは」

 

「風の大精霊様の封印を解くため、オレが連れてきたっス」

 

 勇斗の言葉を遮り、チカップが前に出た。

 

「お前、チカップ――」

 

 オル族の男の表情が、みるみる険しくなっていく。

 

「どうして戻ってきやがった! この、呪いの子め!」

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