第23話 スラム街

 地下水道を抜け、地上に出た勇斗は、悪臭に鼻を曲げた。

 

「ここが、スラム街」

 

 臭いの原因は、辺り一面に放置された大量のゴミだった。変な虫が足元を横切る。ここでじっとしているのは、衛生上良くない気がする。

 

 勇斗は狭い路地を抜け、広い通りに出た。今にも壊れてしまいそうな粗末な家が、ひしめき合っている。行き交う人々は皆、みすぼらしい服装をしていた。

 

「――誰だい、あの子」

 

「――金ピカの鎧を着て、こんなところでなにをしているんだ」

 

 周りから、ヒソヒソ声が聞こえてくる。

 

「おい、坊主」

 

 突然声をかけられた。振り向くと、痩せ型の中年男が立っていた。無精髭を触り、ニヤニヤ笑っている。

 

「だ、誰ですか?」

 

「オレは情報屋のシリ。お前、偽物勇者だろ?」

 

 鋭い眼光が突き刺さる。全身が固まった。

 

「どうして知っているのっていう顔をしているな。ハハッ、情報屋を舐めたらいけないぜ?」

 

 シリと名乗った情報屋は、ツギハギのコートから小さな葉巻を取り出し、火打石で火をつけた。

 

「僕を、売るのですか?」

 

「ハッ、そんなことしねぇよ。オレは城の連中が嫌いなんでね。アイツらから一銭も貰いたくねぇ。情報は奪うがな」

 

 シリはニッと笑った。

 

「この路地から出てきたってことは、牢屋から抜け出してきたんだろ? たまにいるんだよ。ほら、アイツだってそうだ」

 

 シリの視線の先には、傷だらけの男がいた。大きな剣が収められた鞘を大事そうに抱え、地面に座り込んでいる。目は虚だ。

 

「アイツは元々、城の騎士だったんだ。クラバンの悪事を暴こうとして、牢にぶち込まれたらしい。名残惜しいのか、剣だけは売らずに持ち続けてやがる」

 

 脳裏にゲジゲジ眉毛のいやらしい顔が浮かぶ。吐きそうになった。

 

「クラバン大臣って、何者なのですか」

 

「あのデブは、立場を利用して好き勝手してやがるクソだよ。女子供関係なく、目障りなやつを牢に入れて、こっそり拷問するのが趣味の、イカれた野郎だ」

 

 シリは、遠くに映る城を眺め、煙を吐いた。

 

「酷い――」

 

「あぁ、酷いやつさ」

 

 床に落とされた葉巻が、足で揉み消される。

 

「それで、お前はこれからどうすんだ? ここで暮らすのか? その剣と鎧を売ったら、しばらくは生活に困らないと思うぜ?」

 

「いや、僕には目的があります。仲間と合流して、ここから抜け出さなければいけないんだ」

 

 勇斗は震える手を握りしめ、シリの目をじっと見た。

 

「事情があるようだな。よし、抜け道を教えてやる」

 

「えっと、僕、今お金が」

 

「特別サービスだ。タダでいいよ。坊主、名前は?」

 

「勇斗です」

 

「ユートか。よし、じゃあついてこい」

 


 スラム街は、迷路のように入り組んでいた。早足で歩くシリの後ろ姿を、勇斗は必死に追う。

 

「あそこから外に出られる」

 

 シリは、スラム街を囲む石壁を指差した。一部分が崩れ、ぽっかりと穴が空いている。人ひとりなら余裕で通り抜けられそうだ。

 

「僕一人では行けない。仲間を待たないと」

 

 ここで待っていたら、みんな来てくれるだろうか。一度戻った方が良いだろうか?

 

 ソワソワしながら周囲を見渡していると、甲高い声が飛んできた。

 

「あんちゃん!」

 

 小柄な少年が、目を輝かせながら走ってきた。

 

「きみは、確か」

 

 城下町で、ランパとぶつかった少年だった。無事だったみたいだ。もし捕まっていたら、この子も牢屋行きだったのだろうか。想像しただけでおぞましい。

 

「よう、イメル。ユートと知り合いだったのか?」

 

「うん。この前、逃げるのを手伝ってくれたんだ」

 

「あぁ、そういや話してたな」

 

「そうだ、今日はこれだけ稼いだんだよ」

 

「ほぉ、大したもんだ」

 

 シリとイメルが笑い合っている。

 

「二人は親子なのですか?」

 

 あまりにも仲が良さそうだったので、何気なく尋ねてみた。

 

「いいや、他人だよ。まぁ、このスラム街では、みんな家族のようなものだけどな」

 

「みんな協力し合って、なんとか生きてるんだよ! えらい人たちはなにもしてくれないからね。ボクも働いているんだ!」

 

 イメルの笑顔が、眩しかった。よく見ると、顔には小さな傷や痣がたくさん付いている。こんな小さな子でも、生きるのに必死なのか。元の世界での何不自由ない生活が、急に疎ましく思った。

 

「そういや、ユピーはまだ帰ってきてないのか?」

 

「兄ちゃん、まだ戻らない」

 

「イメルくん、お兄さんがいるの?」

 

「うん。ユピー兄ちゃん、街の外に出て行ったきり戻らないんだ。たんまり稼いですぐに戻ってくるって言ってたけど、全然帰ってこない」

 

 イメルの表情が暗くなった。

 

「イメルの兄はな、仲間と一緒に危険な仕事を引き受けたんだ。旅人を襲って金目のものを奪う、非合法な仕事さ」

 

 ヒソヒソと、耳元で囁かれる。

 

 ふと、ものがつっかえた感じを覚えた。

 

「やれやれ、散々な目に遭ったよ」

 

 壁に空いた穴から、一人の男が姿を現した。

 

「えっ」

 

 勇斗は言葉を失った。

 

 男の服装には見覚えがあった。黒マント。山で襲ってきた連中と、同じ服装だ。

 

「おう、ようやく帰ったか。つーかひでえ怪我だな。ユピーはどうした」

 

「あいつは――」

 

 男は沈黙したあと、勇斗の顔を見た。

 

「あ、てめえは!」

 

 男の顔がみるみる険しくなる。

 

「この金ピカの鎧のガキに、ユピーが殺されたっ! こいつが――ぐっ」

 

 男は叫んだあと、倒れた。

 

「おい、大丈夫かっ! 誰か、医者を呼べ!」

 

 シリが大声を上げる。周囲がざわつく。


 山道で人を殺してしまった時の状況が思い出される。

 

「僕が、僕が殺したのは――」

 

 勇斗は両手で頭を抱え、両膝を折った。体の震えが止まらない。過呼吸。思考が乱れる。

 

「あんちゃん」

 

 顔を上げると、眉をひそめたイメルの顔があった。目は、どす黒く曇っている。

 

「あんちゃん、ユピー兄ちゃんを殺したの? 本当なの? なんで? 兄ちゃんはもういないの? もう会えないの?」

 

 イメルは、抑揚のない声で、淡々と言葉を発した。

 

「あれは、仕方がなかったんだ。やらなきゃ、僕が死んでいた」

 

 勇斗の声が震える。

 

「どうして兄ちゃんが死ななきゃいけないの? どうして、どうして――」

 

 イメルの小さな手が小刻みに振動する。

 

「ごめんなさい、ごめ、ごめんっ――」

 

 勇斗の顔が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになる。

 

「――――」

 

 黙り込んだイメルは、倒れた男に歩み寄り、黒いマントの中を漁り出した。

 

「殺してやる――」

 

 イメルが、ゆっくりと振り向いた。手には、ダガーが握られていた。

 

「しね、死んでしまえぇっ!」

 

 イメルの雄叫びが、スラム街に響き渡った。

 

 憎悪に満ちた刃が迫ってくる。スローモーション。避ける資格なんてないと、体が言っている。でも、これは、仕方のないこと――

 

「ユートーっ!」

 

 目の前に、エメラルドグリーンの髪が飛び込んできた。

 

「うがぁぁぁぁっ!」

 

 ランパの腹部に、短剣が深々と刺さっていた。じわりと、赤いシミが広がる。

 

「ランパ――」

 

「間に合って、よかった。危なかったな」

 

 ランパは、突き刺さった短剣を抜き、放り投げた。

 

「どうして」

 

「絶対に助けるって、前にも言ったろ? ユートは生きて元の世界に戻るんだ」

 

 ランパはニッと笑った。

 

「助ける――」

 

 イメルの目が、一瞬だけ潤んだ。

 

「くそっ」

 

「待て、イメル!」

 

 シリの声かけを無視したイメルは、壁の外に姿を消した。

 

 辺りが静寂に包まれる。

 

「がふっ」

 

 ランパは血を吐き、膝を折った。

 

「いてぇ。クラクラする」

 

「ランパ、血がこんなにも」

 

「泣くなよ。オイラ精霊だから、これくらいで、死にはしないって。しばらくしたら、治るから」

 

 息も絶え絶えに、ランパは言う。

 

「うわあああああああああっ!」

 

 壁の外側から、イメルの悲鳴が聞こえた。

 

「ちっ、魔族だ。騎士団の連中め、狩り損ねたのか? それともわざとこの辺だけ残してやがったのか?」

 

 穴から外を覗いているシリが舌打ちをする。

 

「ユート」

 

 フラフラと立ち上がったランパは、勇斗のマントの内側に手を伸ばし、魔法の葉巻――ドラシガーを一本取り出した。

 

「ユート、行け」

 

 勇斗の掌にドラシガーが乗せられた。吸い口は綺麗にカットされている。

 

「でも、僕は――」

 

 勇斗の視線がさまよう。

 

「今、あいつを助けてやれるのは、ユートだけだぞ。誰かを助けるのに、理由なんていらないんだ。迷うなよ」

 

 ランパは、口角を上げ、サムズアップをした。

 

「――うん」

 

 勇斗は立ち上がり、ガントレットに埋め込まれた宝石から放たれる青白い炎で、ドラシガーに火をつけた。淡い緑色の煙が、真っ直ぐ立ち昇る。

 

「ちゃんと帰ってこいよー」

 

 ランパは、ふらっと地面に倒れ込んだ。

 

「うん」

 

 勇斗はドラシガーを咥え、駆け出した。

 


 イメルは、魔族に囲まれていた。牛のような頭をした、筋肉質な人型。一匹は何も持っていないが、もう一匹の手には斧が握られている。

 

「た、助けて――」

 

 地面に座り込んだイメルは、ガタガタと震えている。真弘くんが不良たちに絡まれている状況と重なった。あの頃の自分は、電柱の影で尻込んでいるだけだった。しかし、今は違う。もう迷わない。

 

 剣を抜き、両手で構える。咥えたドラシガーから煙を吸引する。マナが体内を駆け巡る感覚。口の隙間から煙を一気に放出する。

 

 全身に煙を纏った勇斗は、瞬く間にイメルの前へと移動した。

 

 金属音。

 

 イメル目掛けて振り下ろされた斧を、聖剣クトネシスの刃が受け止めていた。

 

「あ、あんちゃん」

 

 腕に力を集中させ、斧を押し返す。牛頭がよろけた。すかさず左の掌を突き出す。炎が、牛頭の身体を激しく焼く。

 

 今にうちに逃げて、と叫びたかったが、ドラシガーを咥えているせいで、うまく言葉にならなかった。

 

「イメル、走れ!」

 

 シリの叫び声が聞こえた。イメルはぎこちない動作で立ち上がり、スラム街の方を向く。

 

 もう一匹の牛頭が反応した。太い腕が、イメルに向かって伸びる。

 

 勇斗は体勢を変え、イメルを捕まえようとしている牛頭の右腕に剣を振り下ろした。太い腕に刃が食い込む。肉と骨を断つ感触が伝わってきた。ありったけの力を込める。

 

 牛頭の右腕が切り落とされ、地面に転がった。切断面からは黒い液体が吹き出している。

 

 右腕を失った牛頭は、低く唸りながら、左腕で殴りかかってきた。即座に煙で視界を奪い、攻撃を躱す。

 

 標的を見失った牛頭の背後に回る。煙で相手を拘束し、勢いよく刃を背中に突き刺す。刹那、剣身が紅い光を帯びた。素早く剣を引き抜くと、傷口から炎が噴き上がった。

 

 火だるまになった牛頭は、その場に倒れ、やがて消滅した。

 

 ドラシガーは本当に不思議なアイテムだ。煙を吸いながら動くと、戦い方が次々と身体にインストールされる。精霊術の使い方も、煙の操り方も、自然とわかる。

 

 突然、左肩に衝撃が走った。

 

 斧が鎧の肩当てを砕き、刃が肉へと到達していた。口からドラシガーが離れそうになったが、強く噛み、煙を吸い込む。痛みが中和される。ここで倒れるわけにはいかない。

 

 振り向くと、最初に焼いた牛頭が咆哮していた。まだ動けたようだ。油断した。

 

 再び斧が振り下ろされる前に、煙で相手の視界を奪う。空振りした斧が地面に突き刺さり、牛頭の動きが一瞬止まる。すかさず懐へ潜り込み、首元に刃を当てる。

 

 牛のような頭部が、宙を舞った。

 

 スラム街の方を見る。シリが、イメルを抱えていた。傍には、ミュールとチカップとソーマの姿も見える。

 

 剣を納め、右手でドラシガーを掴み、頬をそっとへこませる。

 

 淡い緑色の煙が、勇斗の口から穏やかに吐き出された。

 


 シリの家で一夜を明かし、再び壁の外へと出た。

 

「ランパ、もう大丈夫なの?」

 

「おう、もう平気だ!」

 

 ランパは服をめくった。刺された箇所は綺麗に塞がっている。

 

 安堵の胸を撫で下ろすよう、大きく息をついていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、シリが険しい表情をしていた。

 

「ユート、ユピーのことは他の連中から聞いた。正直、オレも同じような状況だったら、自分の命を優先していた。人間の持つ本能。これは魔族にも言えることか」

 

 シリは、髪の毛をボリボリとかきむしった。

 

「お前はこれからユピーを殺したことを背負っていく必要がある。忘れてしまったら、それはただの狂人だ。辛いだろうけど、頑張れよ」

 

「――はい」

 

 勇斗は左の掌を眺めたあと、その手を固く握りしめた。

 

「あ、あの、イメルは」

 

「お前の顔は見たくないってよ。でも、伝えてほしいことがあるって、依頼されちまった」

 

「伝えたいこと?」

 

「助けてくれてありがとう、だとよ」

 

 全身の力がぬけ、一瞬気が遠くなった。複雑な感情が一緒くたに押し寄せる。

 

 大粒の涙が、勇斗の頬を伝った。

 

「おーい、ユート! 見てくれ!」

 

 ランパの大声が飛んでくる。慌てて涙を拭い、振り返る。精霊樹の枝から、一本の細い光が放たれていた。

 

「これは、何ですの?」

 

 ソーマが首を傾げる。

 

「この光の先に、四大精霊の封印があるんだよ」

 

 勇斗は、草原の彼方を指差した。

 

「まぁ。それでは早く行きましょう」

 

「次はどんなとこなんだろーな。うまいもんあるかなー?」

 

「チビスケはいつもこうだな」

 

「そうだね。あれ? チカップ、どうしたの?」

 

「あの先は――」

 

 光が伸びていく方角を見つめるチカップの表情は、どこか曇っていた。

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