第18話 アルト⑷
黄色いパーカーを着たアルトは、駅舎の前で立っていた。
「おーっす、お待たせ」
声がした方を振り向くと、光太が青いジャージのポケットに両手を入れて、ゆっくりと歩いてきた。首から下げた白いお守りがぶらぶらと揺れている。
「遅い、一分遅刻だ。戦場では一秒の遅れでも命取りとなる。今後は気をつけるんだな」
「お前、何言ってんの?」
駅の構内に入ったアルトは、券売機で切符を買い、改札を通る人々の姿をじっと観察していた。なるほど、ゲートを通るには、あの板から吐き出される小さな紙が必要なのだな。
アルトは、券売機の前に立ち、両腕を組んだ。
「どうした? ぼーっと突っ立って」
「これは、どういう仕組みだ?」
「ほうほう、最初は自分一人でやるとか言ってたくせに、ここで俺に助けを求めるか?」
光太はニヤニヤした。
「助けを求めるのではなく、情報を得るための質問だ。はやく答えろ」
「はいはい、勇者様」
呆れ顔をした光太は、ジーンズのポケットから硬貨を取り出し、ジャリジャリと券売機に投入した。券売機の画面がタップされると、ビー、という音が鳴り、二枚の紙が排出された。
「ほら、あとで金返せよ」
アルトは、光太から切符を受け取った。指でつまみ、じろじろ眺める。表には文字と数字、裏は真っ黒。
「スマホがありゃ、切符を買う必要はないんだがな。まぁいいや。行くぞ、もうすぐ電車が来る」
改札に切符を投入すると、小さな門が素早く開いた。
プラットホームと呼ばれる場所には、人がまばらにいた。その中に、見覚えのある人物の姿を見つけた。ローズピンクの髪をした少女。
「げっ、美咲」
光太は露骨に嫌そうな顔をした。
「あら、アルトと光太じゃない。アンタたちどっか行くの?」
「ちょっと
「奇遇ね。アタシも貝戸に行くところ。で、商店街になんか用でもあるの?」
「すまほってやつを、取りに行く」
「アルト、スマホ買ったの?」
美咲がきょとんとした表情をした。
「いや、こいつのじゃなくて勇斗のスマホ。あいつのスマホ、水に浸かって壊れてたんだよ」
「修理が終わって、今から取りに行くところだ」
「へぇ。いつもならそういうの、勇斗のお母さんが全部してたのに」
美咲は人差し指を顎に当て、視線を上に向けた。
「彼女は今日、大事な用事があって出かけることになっている。だからボクが行くことにした。すまほってやつがないと、ここでの生活に支障が出るらしいからな」
「そうなんだ。で、何で光太もついてきてるわけ?」
「こいつ一人じゃ不安すぎる」
アルトの肩に、光太の手がポンと乗る。アルトは怪訝な表情をした。
『電車が到着します。黄色い線の内側でお待ちください』
構内アナウンスの、くぐもった低い声が流れてきた。しばらくすると、轟々とした音が迫ってきた。金切り声を上げつつ、電車が停車する。プシュウ、と扉が自動的に開いた。
目を点にしたアルトは、わなわなと巨大な鉄の塊を指差した。
「これがデンシャ?」
「そうだよ。さ、乗るぞ」
ゴゥン、と音を鳴らした電車は、ゆっくりと走り出した。
車両の座席は、アルトたち三人が座ると全て埋まってしまった。
景色が、流れていく。
停車した電車は、扉を開き、新たな乗客を招き入れた。そしてすぐに走り出した。
電車がカーブに差し掛かる。車内が揺れた。
アルトの視界の端で、老婆がふらついた。とっさに吊手を掴み、転倒はまぬがれていた。手にしている杖が、小刻みに震えている。
美咲が素早く立ち上がる。数秒遅れて光太も席を立った。
「おばあさん、どうぞ座ってください」
「あら、いいのよ。大丈夫よ」
「俺たち、次の駅で降りますので」
「そうかい、すまないねぇ」
老婆が、アルトの横にゆっくりと座った。
「おい、もうすぐ着くから行くぞ」
アルトは、光太に手を引っ張られ、扉の近くまで移動した。
「なぁ、お前たち、さっきはどうしてあんなことをした?」
眉をひそめ、アルトが尋ねる。電車がトンネルに入った。
「あんなことって、おばあさんに席を譲ったこと?」
「あぁ。自分の利益にはならないのに。そんなことに労力を使うのはムダじゃないのか?」
「利益にならないって――お前本当に勇者やってたのか? 困ってる人を見かけたら助けるのは当たり前だろ」
「勇斗なら、オロオロしつつも席を譲ってたわね」
「あぁ、確かに」
光太と美咲は、くすくすと笑った。
トンネルを抜けた電車は、再び振動した。アルトは、吊り革をしっかりと握った。
老婆の方を見る。優しく微笑んでいる。窓ガラスから見える景色が、次々と流れていく。
『次は貝戸ー貝戸ー』
扉が開く。アルトは、美咲と光太の後に続き、ホームに降り立った。
電車は走っていった。
改札を出ると、目の前は人でごった返していた。アルトは額に手を当て、天を仰ぐ。看板がピカピカ光っている。映し出された絵が、次々と切り替わる。目がチカチカしそうになった。
「やっぱ休日となると、ここは人多いなぁー」
「まぁ、わたしたちが住んでいる町が田舎すぎるだけなんだけどね」
「ほら、アルト、スマホショップはあそこの商店街の中だ。行くぞ」
ボーッと突っ立ていたアルトの背中が叩かれる。
「光太、ちょい待ち」
美咲は、肩にかけた鞄から長方形の薄い板を取り出した。しなやかな指が、板の上で踊る。
「ミサキ、それは?」
「え? もしかしてアルト、スマホってどういうものか知らなかったの?」
「ああ。初めて見た。なるほど、それがすまほってやつか」
アルトは大きくうなずいたあと、美咲の指さばきを真剣に見つめた。
「アンタたち、時間あるんでしょ? いいとこ連れていってあげる」
「何でお前に付き合わなきゃいけないんだよ」
光太の太い眉毛が八の字になった。
「あっそ。アルト、あんなバカは放っておいて行くわよ」
アルトの手が、美咲に引っ張られた。
「おーいっ! アルトを誘拐すんな!」
美咲に連れられ到着したのは、『からうま一番』という一軒の店だった。行列ができている。
「唐揚げ専門店? こんなところにあったっけ?」
「最近できたのよ」
美咲はスマートフォンの画面を見せてきた。『オープン記念クーポン』の文字がでかでかと表示されている。
「すぐ戻るから、待っててね」
十分後、美咲は満面の笑みを浮かべ、ビニール袋を両手に下げて戻ってきた。
「お前、買いすぎだろ」
「え? だって唐揚げ美味しいじゃん。何個でもいけるわよ」
美咲は、ビニール袋から唐揚げの箱を取り出し、蓋を開ける。揚げたての香ばしい香りが、アルトの鼻腔を直撃した。
唐揚げが、次々と美咲の口に吸い込まれていく。
「うっふふ。外カリカリ中ジューシー。マジサイコー。やはり唐揚げは正義。神が考えた食べ物!」
美咲の顔がとろけていた。
「相変わらずよく食うよな、お前、すぐ太るぞ」
美咲の肘が、光太の顔面に直撃した。光太は両手で顔を押さえ、うずくまる。
「アルトも食べてみて。すっごく美味しいわよ」
「いや、ボクはいい」
「は? 唐揚げに喧嘩売る気? いいから食べなさい」
アルトの口に、唐揚げが押し込まれた。素早く咀嚼し、飲み込む。
「美味しいでしょ?」
アルトは無言でうなずいた。
「でしょ、でしょ? あ、写真撮ろ、写真」
アルトの肩に手を回した美咲は、スマートフォンのカメラを起動させた。カシャカシャという音が絶え間なく鳴る。
「アンタさぁ、笑いなさいよ。ぜーんぶ無表情じゃん。勇斗として振る舞うなら、もっと感情豊かにしなきゃ」
「笑うって?」
「こう、ニーッとね」
美咲は白い歯を見せ、口角を上げた。
「それ、シグネリアにも言われたな」
「シグネリアって、アタシに似ているっていう子?」
「あぁ、よく似ている。顔立ちも、髪の色も」
アルトはゆっくりと目を閉じ、ため息をついた。
「へぇ、どんな子なの?」
「――シグネリアは、ソレイン王国の王女だ。しょっちゅうボクの部屋に忍び込んできては、いろんな話をしてくれた。いい迷惑だったがな」
美咲は口元に手を当て、へぇぇー、と甲高い声を出した。
「おーい、そろそろ行くぞ」
光太は、赤くなった鼻を押さえながら立ち上がった。
「付き合わせて悪かったわね。じゃ、スマホショップに行きましょうか」
「お前、ついてくんのかよ」
修理された勇斗のスマホを受け取ったアルトは、店の外で美咲と別れた。光太と二人で駅に向かい、再び電車に揺られる。
「あのバカ女、思いっきり肘食らわしやがって。まだジンジンしてるっての」
「これからどうする?」
「とりあえず、うち来いよ。スマホの使い方教えてやるから」
アルトは、石化した二匹の犬を警戒しつつ、夏野神社へと足を踏み入れた。
「ここがジンジャか。不思議な場所だな。コータはここに住んでいるのか?」
「まぁな」
足元に積もる黄色い葉を踏みしめながら、石の道を歩く。空気は澄んでいて、どこか懐かしい香りがした。しばらく歩くと、小さな祠が見えた。
「あれは何だ?」
「摂社と言ってな。本殿に祀られている主祭神とゆかりのある神様が祀られてるんだ」
光太が詳細を語り始めた。摂社には「テンピ様」が、本殿には「ヤト様」が祀られているという。テンピ様は救いの神で、光り輝く衣をまとっている。高日の地が未曾有の災害に見舞われた際、どこからともなく現れ、その力で災厄を鎮めた――という伝説が残されている。一方、ヤト様はこの地に古くから住まう守り神だ。背中には大きな翼が生えていると言われている。
「じゃ、そろそろ俺の家に行くぞ。家には俺の母ちゃんがいるからな。くれぐれも、お前は勇斗のふりをしとけよ」
「なぁ、ユートってどんなやつなんだ?」
両手を組んだアルトは、光太に視線を向けた。
「今頃聞くの? えっとな、ビビりで、優柔不断で、一人で何もできないひ弱なお坊ちゃん。でも、優しくて、意外と根性もある。そんなやつ」
光太は、ニッと笑った。
「そうか」
そんなやつが、仮にあの世界に行ってたとして、ちゃんと生きているのか? この世界のように、簡単に食料を調達したり、移動できたりする場所ではない。自分で考え、しっかり行動しないと、すぐに死んでしまう。そんな世界だ。
優しいだけでは、すぐに足をすくわれる。
サァァー、と木々が風で揺れた。銀杏の葉が舞い散る。
「――これは?」
険しい顔をしたアルトは、周囲を見回した。
「どうした?」
「マナを感じる」
アルトは困惑した。どういうことだ? この世界にはマナなど存在しないはずだった。しかし、意識を研ぎ澄ますと、確かに感じる。いったい、どこから?
「あそこか」
アルトは、山を見上げた。
「マナってあれか? ロープレでいう、魔法を使うために必要なエネルギーみたいなやつか?」
「大体合っている。コータ、あの山に何がある?」
「天陽山のてっぺんには御神木があるんだ。神様の宿る大きな樹。でも、あそこは」
光太が言い終わる前に、アルトは駆け出した。
「おい、ちょっと待てって」
野生動物のような身のこなしで、アルトは山を駆ける。獣道を突き抜けると、ひらけた場所に出た。
目の前には、ひっそりと佇む小屋があった。色褪せた木製の外壁が、木漏れ日に照らされている。
「ちょ、おまっ、はやすぎぃ」
肩で息をしながら歩いてきた光太は、どさっと地面に座り込んだ。
「あの小屋は?」
「あぁ、あれは秘密基地。俺と勇斗が小学生の頃に見つけたんだぜ。漫画とか、いろいろ持ち込んで遊んでたんだ」
「中に入っていいか?」
「いいけど、しばらく来てなかったから、中はどうなってるかわからねーぞ」
アルトは引き戸を開け、小屋の中に入った。窓から差し込む柔らかな光が、部屋全体を穏やかに照らしている。中央には小さな炉があった。
「お、全然変わってないな」
「ここは、どこか懐かしい感じがするな」
「懐かしい? そういや勇斗も昔そんなこと言ってたっけな」
「ぐっ」
アルトの右手首が痺れた。同時に、イージースラックスのポケットから陽気なメロディが流れてきた。
「おい、お前のスマホ鳴ってるぞ?」
アルトは、ポケットからスマートフォンを取り出した。着信画面には、夏野光太と表示されている。
「は? 俺のスマホから? な、何で? この前なくしたはずなのに。誰かが拾ったのか? いや、でも」
光太がおろおろと動き回る。
「これ、どうしたらいいんだ?」
「そこの緑のマークを指で押さえて、右にスライドさせると相手に繋がるんだけど。え、マジで出るの?」
アルトはためらいなく、人差し指で通話ボタンをスライドさせた。
画面が乱れ始めた。スピーカーから耳障りなノイズ音が発せられる。
「なんじゃこりゃ。スマホがこんな画面になるなんて」
光太の顔が青ざめる。
ノイズが消え、パッと画面が切り替わった。
「――ボク?」
画面に、アルトそっくりの顔が映し出された。
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