深夜の霊視カウンセラー ~終電後の都市伝説~
ソコニ
第1話 新しいクライアント
プロローグ「母からの贈り物」
白い病室に、夕暮れが差し込んでいた。
窓辺のカーテンが、誰もいないのに揺れる。美咲には見えていた。母の周りに集まる、安らかな気配。母が生涯をかけて救ってきた魂たちだ。
「美咲...これを」
母は震える手で、赤い布に包まれた水晶を差し出した。35年間、母の霊視の仕事を支えてきた品。その表面には、幾筋もの細かな傷。一つ一つが、救われた魂の証だった。
「でも、私には...」
「あなたにも見えているでしょう?」母は微笑む。「小さい頃から、誰もいない場所で話しかけていた相手。窓に映る影。そして、困っている人の想い」
美咲は黙って頷いた。
幼い頃の記憶が蘇る。庭の片隅で、見えない誰かと話す自分。母は決して止めなかった。ただ、遠くから優しく見守っていた。
中学生になり、友人の悩みが見えるようになった時も。高校で、クラスメイトの未来が垣間見えた時も。母は静かに寄り添い、時に導いてくれた。
「この水晶は、私の母から、そしてその母から、代々受け継がれてきたの」
母の声が続く。かすれているが、芯の強さは変わらない。
「明治時代、私たちの先祖が、とある山で見つけたと言われています。当時、その山では多くの人が事故で亡くなっていた。先祖は、この水晶を使って彼らの魂を鎮めたそうよ」
心電図の音が、静かに鳴り続ける。
「でも、気をつけて」母の表情が曇る。「この水晶には、大きな力がある。使い方を誤ると...」
20年前の事故の記憶が、美咲の脳裏をよぎる。母が担当していた相談者が、突然姿を消した日のこと。
「その時の...」
「ええ。あの方の怨念が、この水晶に封印されているの」母は苦しそうに目を閉じる。「でも、あなたなら...きっと」
言葉が途切れる。
「お母さん?」
返事はない。心電図が、一直線を描き始めた。
窓辺のカーテンが大きく揺れ、夕陽が部屋を赤く染める。母の周りに集まっていた気配が、ゆっくりと昇っていく。
最期まで、母は微笑んでいた。
一週間後。
美咲は六本木の高層ビルを見上げていた。商社で働き始めて5年。昼はOLとして懸命に働き、夜は時々、見えない存在の声を聞いていた。
今日から、また日常が始まる。
そして今夜から、新しい仕事も。
母の遺品を整理していた時、古い手帳が出てきた。そこには、母が救ってきた人々の記録が、びっしりと書き込まれていた。相談者の名前、日付、そして結末。
最後のページには、美咲へのメッセージが。
『この仕事は、決して楽ではありません。でも、あなたにしかできない。困っている人の心に、そっと寄り添ってあげてください』
バッグの中で、水晶が仄かに光を放つ。まるで、母の優しい微笑みのように。
美咲は深く息を吸い、高層ビルのエントランスをくぐった。
新しい朝が、始まろうとしていた。
第一話「新しいクライアント」
六本木の高層ビル、35階。
午後六時を過ぎても、営業部のフロアはまだ明るい。キーボードを打つ音、電話の呼び出し音が響く。美咲は画面に映る数字を見つめながら、ため息をつく。今月の売上ノルマまで、あと僅か。
「藤崎さん、今日も残業ですか?」
美咲は化粧室で口紅を直しながら、同僚の佐々木玲子に声をかけられた。蛍光灯の下で、彼女の疲れた表情が鏡に映る。
「ええ、今日は電話相談が入ってるから」
「また霊視の?」玲子は眉をひそめた。「あんまり無理しないでね」
美咲は苦笑いを浮かべる。霊能力のことを知っているのは、玲子だけだった。大学時代からの親友は、美咲の不思議な力を受け入れてくれた数少ない理解者だ。
「大丈夫よ。それより玲子こそ、婚活パーティーの準備は?」
「あ、今日はキャンセルしたの。なんか...気が進まなくて」
玲子の声が曇る。美咲は一瞬、友人の後ろに黒い影のようなものが見えた気がした。気になる気配だったが、今は別の仕事が待っている。
夜八時を過ぎ、オフィスはほぼ空になっていた。美咲はパソコンの電源を切り、カバンから御守りを取り出す。真っ赤な布に包まれた、母から譲り受けた水晶だ。その表面が、かすかに光を放っている。
携帯が震える。見知らぬ番号からのメッセージ。
『藤崎様、本日の相談者の山田優子です。23時にお伺いしても大丈夫でしょうか』
返信を打とうとした時、エレベーターホールから物音が聞こえた。
「玲子?まだいたの?」
返事はない。美咲は立ち上がり、音のする方へ向かう。廊下の蛍光灯が不規則に明滅している。
「誰かいますか?」
その時、背後で携帯が鳴った。山田優子からの着信だ。時計を見ると、まだ21時前。約束の時間より早い。
「はい、藤崎です」
「藤崎さん、助けて...」震える声。「私、もう限界です」
「落ち着いて。今どちらに?」
「オフィス...私のオフィスです。でも、何か変…」
通話が途切れた。美咲は直感的に悪い予感がした。相手の会社の場所を確認すると、なんとこの建物の32階。自分のオフィスのちょうど三階下だった。
美咲は急いでエレベーターに向かう。ボタンを押すと、すぐにドアが開いた。が、中は真っ暗だった。非常灯さえ消えている。
(これは…)
第六感が警告を発する。エレベーターには何かがいる。しかし、今は助けを求める人がいる。美咲は深く息を吸い、御守りを強く握りしめた。
「行きましょう」
暗闇の中へ、彼女の姿が消えていった。
エレベーターが32階で停止。扉が開くと、廊下には誰もいない。オフィスの蛍光灯が不規則に点滅している。
「山田さん?」
美咲の声が虚空に吸い込まれていく。正面の大きなガラス窓に、東京の夜景が広がっていた。その窓際に、一人の女性が立っている。
「山田さんですか?」
女性はゆっくりと振り返った。二十代後半。スーツ姿だが、髪は乱れ、化粧も崩れている。目の下にクマができ、頬はこけていた。
「藤崎さん...」山田優子の声が震える。「私、もうダメです」
「落ち着いて。ここで何が?」
その時、オフィス全体の温度が急激に下がった。美咲の息が白く凍る。窓ガラスが結露し始める。
「あの電話が...毎晩、私の携帯に」
山田の言葉が途切れた。彼女の後ろの窓に、何かが映り込んでいる。女性の姿。首から下が見えない。
「山田さん、そこから離れて!」
美咲は叫んだが、遅かった。窓に映る女性の腕が伸び、山田の肩に触れる。山田は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
「あぁ...」
美咲は急いで水晶を取り出す。それを掲げると、窓に映る女性の姿がはっきりと見えた。着物姿。苦しみに歪んだ表情。そして首には...。
(自殺...?)
窓に映る女性が美咲を見つめる。その目に、深い悲しみが浮かんでいた。
「お話を聞かせてください」
美咲は静かに語りかけた。水晶が淡く光を放つ。
「あなたの苦しみ、私に教えて」
美咲は山田を抱き起こし、近くのソファに寝かせた。窓に映る女性の姿は、まだそこにいる。
「あなたは...この会社で働いていた方?」
女性の姿がかすかに揺れる。肯定の仕草に見えた。
「辛かったのね」
美咲は水晶を通して、その魂の記憶を読み取ろうとする。映像が次々と浮かぶ。残業、パワハラ、孤独...。そして、ある深夜の出来事。誰もいないオフィスで、最後の電話をかけている女性の姿。
その時、美咲の携帯が鳴る。
「もしもし」
「藤崎さん、大変です!」玲子の声。「山田さんのこと、調べてみたの。彼女の前任者が...」
「ええ、分かってるわ」美咲は窓に映る女性を見つめながら答えた。「一年前の自殺事件よね」
「そう...同じ部署で、同じように深夜の電話に悩まされて...」
記録が蘇る。この会社で起きた連続する不幸。深夜の異常な電話。そして、次々と追い詰められていく女性社員たち。
「でも、もう十分です」
美咲は静かに語りかける。
「あなたの気持ち、私にはわかります。理不尽な仕打ち、誰にも相談できない孤独。でも、この子は関係ない」
窓に映る女性の表情が変わる。怒りから悲しみへ。そして...諦めへ。
「あなたが望んでいたのは、こんな復讐じゃない」
水晶が明るく輝く。
「本当に欲しかったのは、誰かに気付いてもらうこと。誰かに、あなたの痛みを分かってもらうこと」
女性の目から、透明な涙が流れる。
「もう大丈夫。私が、あなたの代わりに戦います。この会社を、少しずつでも変えていきます」
「安らかに、眠れますように」
水晶が眩い光を放ち、女性の姿が徐々に薄れていく。最後に、かすかな笑顔が見えた気がした。
深夜零時。山田が目を覚ました。
「私...」
「大丈夫です。もう終わりました」
美咲は疲れた表情で微笑む。山田の肩の痣が消えている。
「ありがとうございます...」
山田は泣きながら礼を言った。美咲は彼女を家まで送り届けた。
翌朝。
「藤崎さん、顔色悪いわよ」
化粧室で玲子に声をかけられる。
「ちょっと、寝不足で」
「また何かあったの?」
美咲は微笑んだ。
「ええ。でも、これも私の仕事だから」
鏡に映る自分の姿を見つめながら、美咲は考える。この建物には、まだ他にも救われない魂が彷徨っているかもしれない。そして、生きている人たちの中にも、救いを求める声が隠れている。
母から受け継いだ使命。それは、魂の声を聴き、光を照らすこと。
今日も、新しい一日が始まる。
(第一話 完)
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