光差す方へ(後編)

 夜の闇に包まれた緑地公園。

 その木々やブランコ等を覆う暗闇を、刃のように切り裂く街灯の光。

 そして静寂。


 そんな中で私は一人ベンチに座っていた。

 この緑地公園は周囲に民家も多いため、治安も良い。

 本来夜間の緑地公園など女子一人で居るには危険すぎるのだが、この公園についてはまだ安心できる。

 何よりも、今から会う彼女……横水香との話はこういうところでないと出来ない。


 そう……今から行う話は。


 もう全てにうんざりだった。

 自分で始めたことなのに、何故かそう思えなかった。

 何かの大きな力に絡め取られてしまったような……

 そんな不気味さに首をフンワリと締め付けられるのはもううんざりだ。

 身勝手で結構。

 私は自由になるんだ。


 早耶香には親戚が結婚するのでお祝いに行くから、と言ってある。

 嘘ではない。

 親戚が結婚するので、家族でお祝いに行くのは本当だ。

 ただ、私がそれに着いていかないだけ。


 こんな絶好の機会……最大のチャンスなんだ。

 絶対に早耶香を……切り捨てる。


 そんな事を考えていると、人の気配を感じた。

 顔を向けると、そこには……


「有難う、来てくれたんだね……横水さん」


 愛想笑いをする私を無表情で一瞥すると、横水さんは無言で歩いて私の隣に座った。


「あれ? 横水さんから近づいてくれるなんて、珍しいじゃん」


「……いいでしょ別に。で、何の用? 大事な話なんでしょ」


 私は小さく頷くと、ボイスレコーダーを取り出した。

 そして昨日録音したばかりの早耶香の言葉……横水香を殺そう、と言う提案の部分を聞かせた。


 そう。

 私の最後の一手。

 それは横水香を早耶香にぶつける事だった。

 明確な殺意を持たせて。


 そもそも横水さんからの脅迫ごときで今の早耶香が彼女になびくなんてありえない。

 そんな事分かりきっていた。

 最初の頃の早耶香ならともかく、今の彼女はありえないくらい別人だ。

 横水さんごとき、いくら脅したところでお話にもならない。


 ではなぜあんな事をしたのか?

 簡単だ。

 早耶香から、横水さんを殺すと言う一言を引っ張り出すため。

 そして……この時につなげるためだ。

 私は高鳴る胸の鼓動を沈めるように、淡々と言った。


「これ……分かるよね? 早耶香はあなたを殺そう、と言ったの。私に」


 横水さんはジッと黙り込んで足元を見つめている。


「信じられないよね? 私も……ビックリした。横水さんの事を話した途端に。多分、あなたが桂木の現場を見た……」


「どうして」


 私の言葉は、突然ポツリとつぶやいた横水さんの言葉によって断ち切られた。

 なんなの、この期に及んで。

 あなたのやる事は一つしか無いじゃない!


「え? そりゃ……早耶香があなたを邪魔だと……」


 私の言葉は途中で止まった。

 いや……正確には、言葉を発することが出来なかったのだ。


 そんな数秒間の沈黙の後、私の口から出たのは……絶叫だった。

 私の左の太ももにナイフが刺さったからだ。

 身体全体に駆け抜ける火花のような激痛。

 噴出す赤黒い血液。


 ベンチから転げ落ちた私は、悲鳴を上げながら森のほうに這いずった。

 そんな私の背中から横水香の声が聞こえる。

 それは声と言うより今まで聞いた事がないような……地の底から響くような「音」だった。


「どうして……あなたみたいなのが早耶香さんに愛されてたの? 屑。幸運に恵まれて、何も犠牲にせず早耶香さんの色んな物を、勝手に捧げて。そう、あなたが汚いゴミ。ゴミは私が掃除するんだ。早耶香さんのために」


「早耶香は……望んでない! 私を殺し……たら……早耶香が黙ってない!」


 泣きながらそう言うと、横水香はクスクスと笑った。


「ゴミ屑ってこんなに可愛そうだったんだ。笑える。ねえ……あなた分かってるの? 自分の事」


 自分の……事?


 思わず振り向いた私は顔を引きつらせヒュッ、っと息を呑んだ。

 横水さんが私の顔に向けて包丁を振り下ろしたのだ。

 横に転がったが、頬に焼けるような痛みが走る。


 これ……ドラマじゃ……ない? なんで?

 私は自分の思考が正常に働いてない事を感じながらも、そんな疑問が浮かんだ。

 なんで……私が?

 私、何もしてない!


「ねえ……お家……帰して。小説、読みたい……の。読みかけのがあるから……ね」


 引きつった笑顔でそう言うと、横水香は同じく笑顔で答えた。


「分かった。早耶香さんが入れてくれるよ。棺に」


 また包丁が振り下ろされる。

 私は必死に両手で顔を守ったが、手のひらに信じられないような痛みが走る。

 私は子供のように泣き叫んだ。


「助けて……ママ! やだ……嫌だ!」


 なんで私が……なんで!

 何も悪いことしてない……ただ……

 両手で頭を抱えると、地面の草に顔を埋めた。


 助けて……誰でもいい。

 誰でもいいから。


 そのまま歯を食いしばって泣いていると、背後から鈍い何かをぶつけるような音が聞こえた。


 早く殺して……怖いの……やだ。

 泣きながら顔を振っていると、聞きなれた声が耳に飛び込んで来た。


「奈緒……」


 その声は……


 驚いて顔を上げると、そこには呆然とした表情で立っている横水香と、その背後で……大きなブロックを持っている早耶香がいた。


 横水さんは信じられないと言った表情で、顔を横に向けた。


「庵野……そう……か」


 そう言いかけたが、その言葉は再び振り下ろされたブロックが、彼女の頭部に当たった事で永遠に途切れた。


 横水さんは両目をあらぬ方向に向けると、顔中を血で濡らしてそのまま倒れた。


「早耶……香」


 私は呆然とつぶやいた。

 そんな私に早耶香はニッコリと微笑むと言った。


「奈緒……怪我……しちゃったね。ごめんね……来るの……遅れて」


 私はそんな早耶香の顔を見ると、身体を酷く震わせ早耶香の足元に這いずって行った。

 そして、彼女の足にしがみつくと大声で泣いた。


「有難う……ゴメン……」


「奈緒……言ったでしょ。あなたのためならなんでもする。例え……」


「もういい! もう……いいの。早耶香……大好き。もう離さない……で」


 そう言いながら泣きじゃくる私の背中を撫でながら早耶香は言った。


「ゴメンね、でも……無理かも。私……自首しなきゃ」


 え?


 呆然と顔を上げる私に早耶香は言った、


「これはハッキリと殺すつもりでした事。さすがにごまかせない。だから……」


「やだ……やだ!」


 私は早耶香に抱きついた。


「私……やっと分かったの……早耶香がいないと駄目なの。勝手なの分かってる……でも、一人じゃ……やだ。お願い! 私も頑張るから。だから……何とか、逃げよう……」


 でも、早耶香はゆっくりと首を振った。


「そしたら奈緒に迷惑が掛かる。それは嫌。ねえ、奈緒。じゃあ……代わりに約束してくれる?」


「なに……言って……なんでも」


「これからずっと私だけを愛して。私だけの奈緒で居て欲しいの」


「そんなの……決まってる。あなただけ……ずっと、愛してる」


「……嬉しい。忘れないでね、その言葉」


 私は言葉の代わりに早耶香を抱きしめた。

 そしてキスしようとした時。

 

 一瞬……ほんの一瞬、私は顔を止めた。

 

 急にある言葉が浮かんだのだ。

 腕に止まった蚊のように些細な……でも、意識に飛び込む程度の言葉。


 なぜ早耶香はここが分かったの?


 横水さんは私を殺すつもりだった。

 なのに早耶香にこの場所を言うはずない。

 じゃあ……


 だけど、その言葉はすぐに脳裏から消え去った。

 

 もういい。

 もう怖いのは嫌だ。

 早耶香は私を守ってくれた。

 それで充分だ。

 

 私は早耶香が離れていかないように強く抱きしめた。

 それが無駄だと分かっていても。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 それから半年後。


 私と早耶香は彼女のマンションで一緒に暮らしている。

 でも、取り巻く状況は大きく変わった。


 あの夜。

 すぐに早耶香は自首した。

 そして拘留されたが、殺されかけた私を守ろうとした、と言う事も加味され刑事責任を問われず無罪となった。


 だが、私と早耶香は学校で明らかに腫れ物に触るような扱いとなり、早耶香にいたっては両親から事実上勘当同然の扱いを受けた。

 

 それと共に、桂木との関係も噂されるようになり、早耶香は自ら高校を退学した。

 卒業まで半年も無かったのに。


 私のせいで早耶香は全てを失ったのだ。


 私も早耶香に続くように退学した。

 彼女一人が全てを背負うなんて耐えられない。

 これからは半分に分け合って行きたい。


 自分たちを覆う暗い影を忘れようとするかのように、毎日私たちはお互いを求め合った。

 そしてどちらから言うでもなく、お互い18歳になったら事実婚と言う形での繋がりを約束した。


 これから先、早耶香がどう思うかは分からない。

 でも、私の一生をかけて彼女の失ったたくさんの物を取り戻してあげたい。


 それが私の愛だから。


 人は普通じゃないと言うのかも知れない。

 きっとそうなんだろう。

 でもそれでいい。

 私は狂っているのかもしれない。


 でもそれでいい。

 早耶香と一生を共に出来て、彼女を幸せに出来るならそれでいい。


 そうだ。


 きっと私は狂っている。


【「エピローグ きっと私は狂っている」に続く】

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