転がる石のように
「……どうしたの、早耶香。何かあった?」
私は隣に座っている早耶香に声をかけた。
学校のお昼休み。
私たちは中庭のベンチに座って一緒にお弁当を食べていた。
最近、お昼は毎日そうしているのだが、早耶香は心ここにあらずといった調子で足元を見ていたので、心配になって声をかけた。
早耶香は私の声にハッと我に帰ったが、引きつった笑みを浮かべると首を振った。
「なんでもない。……ゴメンね」
私は早耶香の様子の訳を知っていたが、あえて何も言わずに頷いた。
「そう……ならいいけど。もし、辛いこととかあったら言って」
「うん、でも本当に大丈夫だから」
早耶香の様子を見て、私は胸が苦しくなったがそれと共に自分への冷笑もでてしまう。
あなたのせいでしょ、奈緒?
確かにそうだ。
恐らく早耶香が浮かない様子になっている理由は、桂木との関係だ。
上手く行ってないのだろう。
それはそうだ。
私は早耶香と日曜と木曜は会える約束をして、他の曜日は桂木と会ってもらうようにしているが、時々桂木と会い「アルバイト」の最中に色々と早耶香に関する注意を伝えている。
もちろん、桂木には早耶香とは今までどおりに接しろと言っているが、以前の様に「安全で都合のよい、欲望を満たすお人形」とは見えないだろう。
桂木は毎晩私と会いたがっていたが、拒否した。
そう言う所からぼろが出る。
早耶香に私と桂木のことを知られたら、流石にしゃれにならない。
早耶香を手に入れた後に桂木を刑務所に放り込んだらまあいいだろうけど、それまでは今のバランスを保たなければ。
そのため早耶香を優先するように桂木には言ってある。
「たまには彼女と会わないと、彼女が爆発する」と忠告して。
後は、私自身の心が持たない。
アイツの近くに居るだけでも吐きそうなのに……
お陰で、最近バスルームでも自分の裸を直視できなくなった。
ヘドロがこびりついているような気がして。
ああ……早耶香と抱き合えたなら。
そうすれば綺麗な身体に戻れそうな気がする。
ともかく、そのせいか早耶香は下手したら脅迫開始当初よりも憔悴しているように見える。
彼女からしたら、自分と桂木の間には「一見」何の障害も無いはずなのに、なぜか愛する桂木先生から避けられてるように映っているだろう。
「そう……でも、無理しないでね。あの……何か会ったら……言って?」
早耶香は無言で頷く。
私は同じく無言でそっと彼女の手の上に自分の手を置く。
早耶香は一瞬ピクリと手を動かしかけたが、やがて自ら私の手を握ってきた。
「……嬉しい」
私は心からそう言った。
こんな事……ほんの一ヶ月前には想像もしなかった。
早耶香がこんなにも私に頼ってくれている。
「あの……奈緒。実はね……ううん、やっぱりいい」
「何? 言って。あのね、私今までの事お詫びしたいの。あなたに辛い思いばかりさせてきた。だからこれからは早耶香の力になりたい。あなたを助けたい。桂木先生との事も応援したい……ほんとだよ。その証拠に約束守ってる。日曜と木曜だけにしてる。だから……聞かせて」
そう。
私は彼女との約束を守っていた。
しかも、その二日間も夜七時には家に帰している。
毎回、カフェやファストフード店で話す程度。
以前に比べたら、ありえないくらいソフトだが、何故か今のほうが心は満たされている。
早耶香は
「最近……桂木先生が……変なの」
やっぱり。
「変……って。それ、どういう事?」
「あの……えっとね……なんか、冷たいって言うか……事務的って言うか……まるで、先生のお人形とお話してるみたい。……なんで」
早耶香の話を聞いて、私は内心舌打ちをした。
桂木のやつ。
あれだけ今までと変わらず接しろと言ったのに分かりやすく距離をとり始めて……ほんと、使えない。
これじゃ早耶香が怪しみだしてしまう。
「そうなんだ……多分久々に会うから桂木先生も緊張してるんじゃないかな。大丈夫だよ。ねえ、今度は大丈夫だと思うからまた約束……してみたら?」
早耶香は無言で頷いた。
もっと桂木に念を押しとかないと。
そして、早く早耶香を私に依存させないといけない。
でないと、その前に桂木が早耶香を捨ててしまったら、まずいことになる。
下手したら早耶香が私のせいだと思いかねない。
そうなったら、憎悪に満ちた早耶香がどうするか。
やっと上手く行きかかってるのに。
とにかく……早く動こう。
私は周囲を見回し、誰も居ない事を確認した。
そして、早耶香におずおずと言う。
「ねえ……キスしても……いい? ほっぺに」
早耶香はちょっと驚いた顔をしたが小さく頷いた。
●○●○●○●○●○●○●○●○
早耶香の頬の感触を思い出しながら、私は校舎の中を歩いていた。
久しぶりに本でも読もう。
思えば、ずいぶん図書室にも行ってなかった。
忘れかけていた「それまでの私」をふいに思い出したくなって来た。
ああ……早く桂木を破滅させたい。
そして、早耶香と今のような関係を続けたい。
思えば、私は彼女とああなりたかったんだ。
ささやかで静かな愛……
そう思いながら図書室に入ろうとしたとき。
背後から「安住さん」と声をかけられた。
この声は……
振り返ると案の定、そこに立っていたのは同じクラスの「
「あ、横水さん」
彼女は私と同じでクラスでも影の薄いいわゆる「陰キャ」だ。
そしてこれも同じだが、他人との関わりにそこまで積極的ではなく、いつも休み時間やお昼休みは一人でスマホを見ている。
そのせいか、同じような境遇であるにも関わらず話をしたことはなく、こんな風に会話するのは本当にいつ以来だろう、と言う感じだ。
「あの……安住さん。最近、庵野さんと……仲いいよね」
「そう……かな。結構趣味が合うからかも」
「ふうん。そんな風に……えっと……見えないけど」
「私もビックリしてる。庵野さんが私なんかと仲良くしてくれてるなんて」
私は内心ドキドキしながらそう答える。
何? 何が言いたいの……
「それにさ……」
横水さんは口ごもりながら続けたが、その言葉に私は頭が真っ白になりそうだった。
「桂木先生とも……仲いいよね。この前……外、一緒に歩いてたよね」
見られてた……
でも、かなり注意して変装してたのに。
それに私が早耶香を見つけたときみたいにならないために、離れた駅で待ち合わせて奴の車で必ず移動してた。
なのに……なぜ。
「気のせいじゃない? 私、先生と何て一緒に歩いてないよ」
「……なに、それ? 私、職員室で良くお話ししてるな……って思っただけなのに」
横水さんはおかっぱの髪の下から節目がちに言った。
しまった……やっちゃった。
私はわざと怒ったように言う。
「……そんな言いかたしてたら、そう取るじゃん。そりゃ職員室ではよくお話ししてるよ。将来のこと心配だもん。あなたもそうだろうけど、もうちょっとクラスの子達とも上手くやりたいし。……ねえ、なんなの。私に絡んで楽しいの?」
険しい目つきで睨むと、横水さんは慌てたように首を振る。
「そんな事ない。ただ……私……」
「あんまり変なこと言ってると、この事先生に相談するけど」
「ごめん……なさい」
私は無言でその場を離れた。
これ以上話すと何処かでボロが出そうな気がして怖かったのだ。
●○●○●○●○●○●○●○●○
「ねえ、先生。私言ったよね。早耶香と普通に接してくれ、って。なんであからさまに距離を取ってるの?」
私は車の中で桂木に言った。
昼間の横水さんとの会話のせいだろうか。
冷静に、と思ってもつい口調が荒くなってしまう。
車は市外の国道を走っている。
周囲のビルのイルミネーションが川のように流れているが、その美しさも私には深く暗い海面のように感じられる。
「すまん。だが、最近アイツの様子が……な」
「なに、そりゃそうでしょ。あれだけ早耶香と距離を置いてたんだから、不安にもなるでしょ。そこを修正するために前みたいに接してくれって……」
「違うんだ。アイツと会うのが怖いんだ」
「はあ? そりゃ怖いに決まってるでしょ。だって、早耶香はあなたと会いたがってるんだから。先生の愛を得ようと一生懸命なんだから」
だが、桂木はなぜか無言で荒々しく息を吐いた。
「最近、無言で俺を見てる事が多いんだよ。それに何と言うか……やたら会うたびに俺にセックスを求めてくる」
私は無言で桂木をにらみつける。
そんな話……聞きたくない。
って言うか、やっぱり早耶香は桂木の事が……悔しい。
なんで、こんな男のことを?
客観的に見ても理解できないよ。
「とにかく早耶香と会って。前みたいに定期的に。不自然に距離を取るのはダメ。出ないと、あの子はあなたから離れないよ」
桂木は無言だった。
何なの、どいつもコイツも。
●○●○●○●○●○●○●○●○
桂木との「アルバイト」を終えた私は、一人駅から自宅へ夜道を歩いていた。
早く……早耶香の心を掴みたい。
そして、桂木をどうにかしたい。
でないと、このままじゃ……破綻してしまう。
桂木のメンタルが想像以上に弱いことに愕然としていた。
生徒に手を出すくらいだから、と思っていたがそれとこれは別みたいだ。
私が読み損なってたの?
桂木は思った以上に早耶香を重荷に感じ始めている。
今は私が桂木を掌握できてるからいい。
でも、アイツが私を必要としなくなったら……
または、早耶香と桂木が突っ込んで話すようになったら……
私は自分がきわどい局面に居るように感じ、冷や汗を感じた。
せっかく早耶香の心が私に向き始めてるのに。
そう思い、ため息をついたとき。
私は背後に妙な気配を感じて振り向いた。
今……誰かいた。
確かに誰かに見られてた。
でも、誰も居ない。
私は苦笑いを浮かべて歩き出した。
やっぱり私は参ってるのかもしれない。
桂木に駅の近くまで送ってもらった。
念のため、人通りの少ない駅裏に。
そこから三十分近くかけて家まで歩いている。
そんな状態で誰が後をつけられるというのか。
たまたま見つけたとしても、三十分は私一人で歩いている。
ただ、不審者の可能性もあるので、念のためスマホを握り締めて何度も背後を振り返りながら家まで帰った。
その夜はすぐにベッドに倒れこむと、いつの間にか夢も見ずに眠りに落ちてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます