古武道夜話 武蔵三十五箇条之解釈

泊瀬光延(はつせ こうえん)

第一条~第七条

#古武道夜話 #武蔵三十五箇条


 宮本武蔵の三十五ヶ条を柳生新陰流に残る口伝を交えて現代語注釈を書こうと思う。2016年に公開された町田輝雄著、「宮本武蔵筆『兵法三十五箇条』再現テクスト」があったので、この文をデジタル化されたテキストとして参考にさせて頂だこうと思う。著者に連絡を取り、利用を快諾して頂いた。


町田先生のテキストがPDFとしてパブリックドメインで公開されているURLは、

https://okofugu-shou.jp/niten/pdf/35kajo.pdf


 町田先生は武蔵流兵法の継承者ということだ。


 かつ岩波文庫の「五輪書」に付随する「兵法三十五箇条」とも読み合わせをする。注意すべきは現代生活に寄与するという目的ではなく、あくまでも兵法(主に剣術)の教えとして読み解く。柳生新陰流の技を知りたくば種々の会のHPをご覧になることを勧める。私が特に参考にする会派は下のHPにあるものであるが、他の会派のものでも問題はないと思う。


https://yagyu-shinkage-ryu.jp


 町田先生のテキストに、各条ごとに「五輪書」で対応する節の項目を付加されており、私もそれをそのまま使わせて戴いた。ここに深く感謝いたします。

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(序)


(原文) 兵法二刀の一流数年鍛錬仕処,今初て筆紙にのせ申事,前後不足の言のみ難申分候へ共,常々仕覚候兵法之太 刀筋心得以下,任存出大形書顕候者也


大要)2つの刀を使用する当流の鍛錬を続けてきた。ここにはじめてその大要を書き綴る。各条に書くことは順番としては前後するかもしれないし、書き残したこともあるかもしれないが、常々鍛錬の中で考えていたことや刀法についてを思いつくままに書き著した。


解釈) 岩波ではレ点が振ってあり、最後は「存出に任せおおかた書き表しそうろうものなり」と読める。思うに任せ書き連ねたとのことだが、これだけの武道の要点を常に修行のポイントとして考えていたということだ。

 この三十五箇条は柳生新陰流の中興に貢献した長岡桃嶺(1764~1849)の外伝(柳生家当主以外の人が書いた口伝書)の随所に現れるので明らかに両流派は関係を持っている。


 一説では、柳生兵庫の壮年時代に宮本武蔵が同じ尾張藩に士官しようとしていたと言われ、その頃からこの書は「円明流」書付として新陰流の高弟内に把握されていた可能性がある。


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一 此道二刀と名付事


原文)此道二刀として太刀を二ツ持儀,左の手にさして心なし。太刀を片手にて取ならはせん為なり。片手にて持得,,細道,石原,人籠,かけはしり,若左に武道具持たる時,不如意に候へば,片手にて取なり。軍陣、馬上、沼川、細道、石原、人籠、かけはしり、若左に武道具持ちたる時、不如意に候へば、片手にて取るなり。太刀を取候事,初はおもく覚れ共,後は自由に成候也。たとへば弓を射ならひて,其力つよく,馬に乗得ては,其力有。凡下之わざ水主はろかひを取て,其力有。土民はすきくはを取,其力強し。太刀も取習へば,力出来物也。但人々の強弱は,身に応じたる太刀を持べき物也。


大要)私は二刀を使うと言っているが、左手を重要視してはいない。太刀を片手(右手・利き腕であろう)で振るためだ。片手で持って、細い道や石がごろごろとしている所、人混み、走っている時など、もし左手に獲物を持っていてもうまく使うことが出来なければ片手で戦うのである。いくさ、馬上、沼や河原、狭い道、石原、人混み、走っているときなど、もし左手に獲物を持っていてもうまく使うことが出来なければ片手で戦うのである。太刀を振るのは最初は難しいが自由に振れるようになるまで修練するのである。弓を射る人は弓を射る力は強く、馬に乗る人は人馬一体となって力がある。水主(かこ)は櫓を持ってその力を発揮する。農民は鋤や鍬を持ってそれで自由に土を耕す。太刀も修練すれば相応の力がでる。ただしそれぞれの体格や臂力によって相応の太刀を使うべきである。


解釈)二刀を持つ時、「左手にさして心なし」と言い、現代人が映画などで期待する「二刀流」の刀法とは違うことを言っているようだ

 町田先生に「武蔵は主に片手一刀で戦った」ということもご示唆頂いた。


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一 兵法之道見立処之事 


原文)此道大分之兵法,一身之兵法に至迄,皆以て同意なるべし。今書付一身の兵法,たとへば心を大将とし,手足を臣下郎等と思ひ,胴体を歩卒土民となし,国を治め身を修る事,大小共に,兵法の道におなじ。兵法之仕立様,惣躰一同にして余る所なく,不足なる処なく、不強不弱,頭より足のうら迄,ひとしく心をくばり,片つりなき様に仕立る事也


大要)大義としての兵法の道、また個人として身につけるべき兵法の道は、全て同じものである。ここに書きつける個人としての兵法は、心を「大将」とし、手足を「家臣郎党」とみなし、胴体を歩兵・足軽とする。国を治める身であっても個人であっても兵法の道は同じである。兵法の心構えとして全体を一つにし心が行き届かないところはなく、足りないところもない。強くも弱くも執着するところなく。頭から足の裏まで等しく心を配り、偏るところがないようにせよ。



解釈)兵法の技ではなく、心構えについてである。自分の身体を心を「大将」にして他の部分を「兵卒」の如く使えと言っている。武蔵は32番目の「将卒の教え」で自分は「将」で敵は「兵卒」と見做しと、自分の思うがままに手足を「遣い」、敵は敵がやりたいことをやらせるな、と相似したことを言っている。それが一人で敵に向かう時も大軍勢の指揮を取る時も心構えは同じであると「五輪書」にもある。

 これは彼の「軍学」あるいは戦うときの「哲学」であり、穿ってみれば「責任はすべて自分にある」という覚悟を教えているように思える。


 多分ではあるが、「足の裏まできを配れ」というのは「五輪書」の「水之巻 第五節、一 足づかひの事」に書いてあることを頭に描いたのではないかと思われる。

 そこには「飛ぶ、足を浮かせる、腰を落として踏みつける、の三つはやってはいけない」とか「陰陽の足使いとは、片足だけを動かしてはならないということだ」とある。現代剣道は後ろ足を爪先立って足を運ぶが、真剣を持って戦う武道は少し違うのであろう。

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一 太刀取様之事    ③ (水:「太刀のもちやうの事」)


原文)太刀之取様は,大指人さし指を請て(岩波:浮けて),たけたか中,くすしゆびと小指をしめて持候也。太刀にも手にも,生死と云事有り。構る時,請る時,留る時などに,切る事をわすれて居付手,是れ死ぬると云也。生と云は,いつとなく,太刀も手も出合やすく,かたまらずして,切り能き様にやすらかなるを,是れ生る手と云也。手くびはからむ事なく,ひぢはのびすぎず,かゞみすぎず,うでの上筋弱く,下すぢ強く持也。能々吟味あるべし。


大要)太刀の持ち方は、親指人差し指を浮くようにして薬指と小指でしっかりと持つ。


「たけたか中」は中指のことで、「五輪書・水之巻」には次の文章がある。

「太刀のとりやうは大ゆび人指ひとさしを浮ける心にもち、丈高指(中指)はしめずゆるまず、くすし指小指をしむる心にして持つ也。」

 これを見ると「たけたか中指はしめずゆるまず」が逸失していると考えていいだろう。


 太刀を持つ時、斬る斬られるという状況を忘れると太刀は死ぬものだ。死ぬとは「居付く」ことであり、咄嗟の変化に対処できない状態である。太刀が生きるということは咄嗟の変化にも対応でき、縦横無尽の働きが出来ることである。手首を使って刀を振ることは一瞬の遅れとなる。肘は自然に伸び、腰は屈み過ぎず、腕の上側(引き上げる側)よりも下側(上から斬る側)の筋肉を重要視すべきである。


解釈)新陰流でも竹刀・刀を持つときは、この教えと同様に、両手下側二本の指でしっかりと握り、他の指はゆったりとすることが教えられている。指だけ見ると「盃を持つ」形になる。

 腕や肩に力を入れるとどうしても手首を使って刀を振ってしまう。最初の敵を斬ることが出来ても幾人もの敵がいるときは命運は尽きるだろう。

 上筋(うわすじ)・下筋(したすじ)の区別と下筋の重要視は新陰流の口伝にもある。

 肩に力が入っている状態を武蔵は「居付く」と呼ぶ。柔軟さが失われていて無駄な動きをしてしまう状態だ。無駄な動きにエネルギーを使えば複数の敵に対処することは難しくなるだろう。


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一 身のかゝりの事  ④ (水:「兵法の身なりの事」) 


原文)身のなり顔はうつむかず,余りあをのかず,かたはさゝず,ひづまず,胸を出さずして,腹を出し,こしをかゞめず,ひざをかためず,身をまむきにして,はたばり広く見する物也。常住兵法與(岩波:の)身,兵法常の身と云事,能々吟味在るべし。


大要)太刀を手にしたときの姿勢は、顔は俯かないで、顎は突き出さない。肩は狭くしてバランスが崩れてはいけない。胸は出さないで腹を出し、腰は前のめりにならない。膝はゆったりとさせて、体を敵に対し真正面にし、こちらが大きく見えるようにする。常に隙を見せずにいること、これは兵法の常の姿勢である。よく修練すべし。


解釈)この原文を読むと、通常はおかしいと思うだろう。胸はつぼめて腹を出せとは滑稽な風に聞こえる。だが、武道の常識はそうではない。これは武蔵の書きようの問題と思う。

 古武道大会などで達人と思われる人の姿勢をよく観察すると良い。「胸を張る」ということは西洋の軍隊式の立ち方から来ているが、武道の場合は背を伸ばして、ゆったりと重心を丹田の真下に落とし、肩は肩甲骨が自然に伸びるくらいにして立つことである。手は西洋式が腰の真横に着けるが、武道および日本人古来の立ち方は、手を鼠径部の横にそっと付けている姿勢である。顔は首筋を起こし、顎は少し引く。つまり敵を睥睨するように目線を保つということである。

 そしてそのままの姿勢でいつまでも立っていることが出来なくてはならない。新陰流でいう「無形」の位である。しかも体に力が入っていないので静から動へ即座に移行できる姿勢である。


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一 足ぶみの事  (水:「足づかひの事」,風:「他流に足つかひ有事」)


原文)足づかひ時々により,大小遅速は有れ共,常にあゆむがごとし。足に嫌ふ事,飛足,うき足,ふみすゆる足,ぬく足,おくれ先立つ足,是皆嫌ふ足也。足場いか成る難所なりとも,構なき様に慥(たしか)にふむべし。猶奥の書付にて能くしるゝ事也。


大要)敵と戦う時の足の動かし方は、その戦いの状況によりゆっくり・早くの違いはあるが「歩く」ようにするのである。やってはいけないことは、「飛ぶ」「足を浮かす」「踏みしめる」「足のどちらかに重心を完全に移してしまう」「刀を振るときに足が先に動いたり後から動いたりして刀と一体となっていない」などである。足場が悪いときでもそれらを忘れてはならない。この書の後の方にもこれについて書いておく。


解釈)現代剣道と異なる足遣いが書いてある。日本刀を持って戦う足遣いである。現代剣道は片足を常に前に出し、後ろ足は爪先立つ場合が多い。しかも体は常に正面を向いている。

 しかし武蔵の教えでは足は左右どちらでも前に出す、そして「歩く」ように刀を振るということである。これは武道は右上から左下に刀を振り下ろすときは右足を出す。左上からなら左の足を前に出して刀を振り下ろす、という「なんば」の動きを基本にしているからだ。そしてこの条での刀の使い方の前提は「振り下ろす」ことと考える。


 現代人にとって、明治以降、西洋式の体をひねる運動の方法が一般化しているので上の記述を読んでもピンと来ないのではないだろうか。


 「なんば」の動きは、体幹を中心とした肩の「回転」が伴う。体を正面に固定して右上から左下に刀を振り下ろす時と、肩を右回りに回転させながら振り下ろすときと威力が全く違う。肩の運動を刀の振り下ろしに連動させる。十分にそれが出来ないと、腕だけの力で刀を振ることになり「手打ちになっている」、と新陰流では注意される。


 このような体の働かせ方は古くから武道では「常識」であるが、武道が少数の人でしか行われなくなった現在は、この条を一般の人が読んでも理解に苦しむだろう。


 また足腰の動きであるが、刀を持った状態で「飛んだり」「跳ねたり」「足場を踏み固めるような踏み方」、「手と足がばらばらな動作で刀を振るうこと」は駄目だと武蔵は言っている。

 体が宙に浮けば降りるまで出来ることは少なくなる。


 映画やアニメで見るように「飛んで」相手に飛び込むのは一つの戦法ではあると思う。しかし飛ぶ事は「一か八か」のリスクを負っている。生死を一瞬のリスクに晒すのは、決闘自体がすでに大きなリスク持っている以上、考えるべきである。一般的な巌流島の戦いのイメージでは武蔵は跳躍して小次郎の頭を割ったとされるが、全くの嘘ということが武蔵自身が書いたこの書で分かるのである。


 さらにこの条の裏に書かれていることを考えると、「刀と足の動きは一体である」ということになる。

 「歩くように」せよとは単に刀を差して歩くことではない。刀を持って「戦う」ときの話である。


 刀を先に振り出したり、足を先に動かして、例えば野球のバッティングの様に、力を溜めるように刀を降り出すのは、武道では「適切」ではない。

 特にバットを持ってバッティングのように振ると、バットの先端より先に「拳」が相手の真ん前に来ることを知るべきだ。バットが相手の腹を打つ前に先に拳を撃たれたら、相手に慣性でバットが当たり打撃を与られえても、こちらは拳や指を潰され、確実にその後の戦闘能力を失うことになる。武道で「適切」でないということは、いつかは戦いに負けて死に至る可能性があるということである。


 この条を読み解くには、三条目の「太刀取様之事」も参照いただきたい。

 スポーツではフェンシングのように、体を前のめりにしたり捻ったりして勝ち点を取れるかも知れないが、日本刀を持って生死を争う場合に、体の自由を自ら制限するような姿勢になるのは危険である。相手が倒れずまた襲ってきたり、あるいは複数の敵がいればどうなるだろうか。


 斬るときは勝算を持って斬りに行き、必ず敵を倒さねばならないのだ。かつ次の相手への用意も出来ている。これは「死闘」を生き抜いた武蔵だから言えることかも知れない。よくよく、武蔵が何故こう書いたのかを考えて欲しい。


 新陰流の明治大正期の宗家や門人の写真を見ると、立った姿で足の親指を立たせている。これは「土踏まずを踏む」という足の状態の教えを表しており、上に挙げた足の使い方と直截関係している。武蔵は別の一条を設けるつもりなのだろう。


 新陰流の門人に剣道七段、八段の方々がおられる。しかし剣道での使い方と新陰流の使い方とは分けて考えているという人もいる。もちろん双方から学ぶべきことも多々あると思う。

 「歩む」ように刀を振る、ということがどういうことか疑問の読者は柳生新陰流の演武の動画などを見ることを勧める。


別稿)この条の解説は非常に長文を要することが分かったので簡略に書く。特筆すべきは現代剣道の足の使い方と武蔵が戦う時の足の使い方はまったく違うということである。

 足が違えば刀の使い方も全く違う。新陰流の門人に剣道七段、八段の方々がおられるが剣道での使い方と新陰流の使い方とは分けて考えているという人もいる。もちろん双方から学ぶべきことである。

「歩む」ように刀を振る、ということがどういうことか疑問の方は柳生新陰流の演武の動画などを見ることを勧める。

 下の動画の13分54秒から、武蔵が書いた「歩むように」刀を遣う姿、を見ることが出来る。これを真剣を持っても出来るようになるのが修行である。


https://www.youtube.com/watch?v=ow6nWJZc4TM


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一 目付之事  ⑥ (水:「兵法の目付と云事」)


原文)

目を付と云所,昔は色々在るなれ共,今伝る処の目付は,大體顔に付るなり。目のおさめ様は,常の目よりもすこし細様にして,うらやかに見る也。目の玉を不動,敵合近く共,いか程も,遠く見る目也。其目にて見れば,敵のわざは不及申,両脇迄も見ゆる也。観見二ツの見様,観の目つよく,見の目よはく見るべし。若又敵に知らすると云目在り。意は目に付,心は不付物也。能々吟味有べし。


大要)敵と対する時、視線をどこに付けるかは昔の教えは色々あるが、今私(武蔵)が伝えるのは殆どの場合、敵の顔に視線を向けることである。見るときは普段より少し目を細めて、うらやかに、恐れを見せることなく見る。敵が近づいて来ても視線を動かさず、まるで遠くを見るようにする。ここで大事なのは視線を動かさなくても敵の腕(脇)を見ていることである。「観見(かんけん)」は「観る」と「見る」の二つのことであるが、相手を「見る」よりも相手の挙動を「目の脇で感じる」(観る)ことが大事である。逆に、相手も同じ様にこちらを見ているわけなので、視線をわざと動かして相手を欺くことも出来る。こちらの作戦を目でわざと知らせ、心は動ぜず相手の体の動きを把握して勝つのである。よく吟味せよ。


解釈)「意は目に付,心は不付物也」の解釈は人によって違うと思うが、前文の趣意に従った形で現代文にしてみた。

 新陰流では初心者は相手の目を見ると恐れが起こるので、まずは相手の拳を見よ、との教えがある。相手がこちらを攻撃する時にまず先に動くのが拳であるからだ。

 武蔵は、もともと恐れ知らずであるのか、熟練者に書いているのか分からないが、相手の顔を見よとしてかつ、視線を動かさず横目で相手の「脇」を観よ、と言っている様だ。確かに相手が攻撃してくれば脇と腕が上がるので、拳を見よ、との共通性はある。


 ただ、この条だけで相手に勝てるわけはない。武蔵はこの「三十五箇条」でも「五輪書」でも項目に分けて、その条項のみについての教えを書いている。つまり、一つの条だけでなく、すべての条を横櫛を指すように統合して読み解いていかないと、武蔵の教えたいことにたどり着かないのだ。「五輪書」で武蔵は「この書だけを信じて修行せよ」としているのは、そういう意味からだ。


 ここで筆者(泊瀬)が、この条の前提となる事と考えるのは「間合い」である。武蔵がなぜ相手の顔と書いたのか、分からないがこの「顔」は相手の「目」の他はないだろう。口や鼻を見ても無意味である。後半に目で相手を操る術を書いているからには、こちらも相手の目を見ていると解したほうが合理的である。


 新陰流は目のことを「二星」と呼び、間境を「水月」と呼ぶ。水面に叢雲から出てきた月の影が出た瞬間(敵が近寄ってきて一足踏み出せばお互いに刃が当たる距離に来た時)が勝負するところという意味だ。これを剣豪小説では「見切り」といい、達人のみが到達する技と吹聴しているが、武道は絶えずこの見切りをしながら稽古している。

 相手との距離を正しく計るには体幹の上に乗っている二つの「星」を見続けるしかない。目を逸らせばその瞬間、斬り掛かられる、ということは剣道の試合でも起こることである。


 武蔵の書かなかったことはもう一つある。「観」とは敵と相対した時に、体格、相手の獲物の長さ、歩幅、などを一瞥で記憶する事も含まれるだろう。そうでなくてはこの条の意味はない。

 金春流の能に「一足一見の大事(たいじ)」という伝えがあり(現在は伝えとしては逸失してしまったようだ)、石舟斎の弟子だった金春七郎が、新陰流に伝えたという逸話がある。能面は小さな二つの孔が空いているだけなので、能楽師は舞台の全体を舞台に出た瞬間、一瞥で知らねばならない。武蔵もそれを考えていたと思うが、あまりに深く言葉多くなるので、後回しにしたのではないだろうか。



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一 間積りの事  ⑦ (***)


原文)間を積る様,他には色々在れ共,兵法に居付心在によって,今伝る処,別の心あるべからず。何れの道なりとも,其事になるれば,能知る物なり。大形は我太刀人にあたる程の時は,人の太刀も,我にあたらんと思ふべし。人を討んとすれば,我身を忘るゝ物也。能々工夫あるべし。


大要)敵と相対し互いに近寄り勝負どころを見つけること(間積り)は、武道によって(例えば槍とか杖)色々あるだろうが、兵法(武蔵の剣術)には心に置いておかねばならないことがあり、今伝えたいことは、別のことは考えてはいけないということだ。どんな武道もその間積りの極意があり、それをやっている人は熟知している。太刀を取って戦うときは、自分が踏み込んで相手を斬れると思った距離は、相手にとっても同じことである。敵を討とうと焦っていると、それを忘れて反対に切られてしまう可能性がある。よく工夫せよ。


解釈)六の解釈で書いた「間境(まざかい)」あるいは「水月」に関しての一条だが、重要なのは、間境でうかうかしていると「相打ち」あるいは「斬られてしまう」危険性があるということだろうか。

 武蔵がいう「道」は武道だけではないが、色々な「事」に「間境」があるという哲学も入っていると思われる。後半、突如、太刀での戦いの話になるのは御愛嬌か。


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