東雲アリスはバズれない
えふけー
第1話 あの日、私を包んだ物
幼気で鮮烈な、朧気で克明な。
今に連なる、無数の足跡の出発点
――そう、忘れもしないあの日の事
「うぅ、ひっぐ……うえぇぇええええん!!」
「あ、あーちゃん……なかないで……」
悲しみの拡散が、柔らかな壁紙に突き刺さる。
泣きわめく少女が一人、寄り添う少女がもう一人。しめて二人の幼い少女が、それの中心となっていた。
見れば、泣きわめく彼女が小さな身体の全てを使って何かを抱きしめている。
それは一冊の本、僅かに年季の入った装丁の、鮮やかで可愛らしい表紙で彩られた
――薄茶色の雫がポツポツと垂れ落ちてしまっている、この世で一冊の彼女の絵本
「ちょっとちょっと、アリスちゃん大丈夫?」
「う゛うぇええぇん、アリスのごほんが、ごほんがあぁ!」
「先生、先生!あのね、あーちゃんのね、絵本が、えっと、えっと……!」
必死に伝えようとする黒髪の少女によれば、アリスと呼ばれた金髪の少女が自身の愛読書へ茶吞みを倒してしまったらしい。
自身の過失による自身の悲劇。しかし、それを受け止めるには彼女は余りに幼く、その絵本は余りに長い時間を共に歩んでしまっていた。
「うぅ……ひっぐ、ごめんね……ごめんなさい……」
しかして覆水は器に返らず、ゆえにアリスの嗚咽は未だ止まず。しかし、隣であわあわと黒髪を揺らす彼女にも、必死に宥める保育士にすら出来る事は余りに少なかった。
その場の誰もが察していたからだ、これはアリスという少女の悲劇だということを。
それは胸に刻むべき失敗とも大人への通過儀礼とも言える、もっと端的に言えば成長痛。そのようなものだと。だからこそ碌な解決法を持たない黒髪の少女はもとより、子供を守る職責のあるはず保育士も、その職責ゆえにアリスの悲しみを否定せず、和らげる程度に声を掛けるのみであった。
ゆえに、これはアリスにとって無数の痛みの出発点。これより先の人生における、少し悲しげなだけの第一歩となるはずだった。
――ここに、彼女がいなければ
「…………え?」
暖かい何かが背に触れている。
服越しに人の温もりを伝えてくるそれは、アリスのよく知る黒髪の少女や保育士の先生の物とは違っていた。大きく、細く、揺らがぬ芯を感じる手。何時しかアリスは自分が泣き止んでいた事に気付く。
「落ち着かれたかしら、アリスさん?」
聞かれて思わず声の、手の主の方へ顔を向ける。
吹き抜けるような蒼眼と目が合った。優し気な顔立ちに浮かぶ笑みが、アリスの心に安心する感覚を与える。同じ色の蒼髪と森を思わせる薄緑の衣装は自然と身を委ねたくなるような気持ちにさせ、自称しっかり者のアリスでなければそのまますやすやとしてしまいそうであった。
「……お姉ちゃん、だれ?」
「おや、私を知らないとはモグリですね」
なーんて、と口元に手を添えて、くすくすと碧眼を薄く細める。
すると、少し遅れて正気に戻った黒髪の少女がそそくさと寄ってささやきかけた。
「あ、あーちゃん、この人ボランティアの人だよっ」
「ぼら……?」
言われてみれば、何だか朝方にそんな挨拶と共に蒼っぽい誰かと黒っぽい何かに手を振られた記憶がないでもない。寝ぼけまなこだった当時の記憶を掘り返しつつ、アリスは恐る恐る尋ねる。
「えと、ぼらんてぃあ?のお姉ちゃんがなんで……?」
「ふふ、そうですね……」
しかし、アリスにとっての彼女の存在は
「貴女を笑顔にする為に来たのですよ」
その一言で充分だった。
「……!ホントに!?ねえ、お姉ちゃんホントにごほんなおせるの!?」
時として、子供の読解力は懇々と積み上げた大人のそれをいとも簡単に飛び越える。
「ねえお願い!あの子はアリスのとっても大切なお友達で、だからおねがい――」
飛び越えた先に見た希望、それを離すまいとアリスは懸命に、文字通りの意味に迫るほどの鬼気を携えて、
「あの子を、助けて!」
ただ、願う。ともすれば代替出来たそれを、かけがえのないものとしたアリスの
「えぇ、貴女が――『君がそれを願うなら』」
承諾、それに続く言葉と共に理非の光がこの場に満ち
「『ただ、それこそを願おう』」
――同時に、支配した
「『数多に過ち救えぬもの。幾度も煌めく貴きもの。我が業、我が罪、私の願い」」
紡がれる声音は粛然、詠われる言葉は荘厳。人生で初めて詠唱を目の当たりにしたアリスは、しかし直感的に理解した。
これを妨げてはいけない。
「……かみさま……!」
その日、アリスは初めて神に祈った。あるいは、縋った。
悟っていたからだ。もう、自分に出来る事は何もないと。
何よりも大切な物の運命は、既に自分の手のひらから離れてしまっていると。
微かな後悔と無力感を、自己責任という感情に溶かして飲み込んで
――それを許さなかったのは、きっと彼女の意地だったのかもしれない
「『ここに捧ぐは我が身のすべて、ここに願うは私達の想い』」
変わった。
アリスは無意識にそう感じ、同時に理解がそこで停止した
――目の前に差し出された手の平が、そうさせた
「さぁ、共に」
向けられていた手が目の前の非現実と重なる。理解は届かず、意味も解せず。しかしその手だけは、間違いなくアリスに向けられていた。
戸惑い、恐れた。揺らいで、怖れた。
それでも
「ご想像を、貴女の愛したこの子の全てを」
――そう言われて、黙っていられるアリスではなかった
「……っ!!」
試すような目と言葉へ抗うように、思いつくまま溢れるままに記憶の引き出しを開け放つ。
それは記憶に咲く喜楽の表情であり
それは孤独を包む子守唄であり
それは思い出から溢れ出る想いの丈の限りであった。
次々に浮かぶそれらを、導かれる感覚のままに解き放つ。そのたびに光が濃く、厚く、強くなっていく。
「『軌跡はここに、奇跡たりうる輝跡を示す。願いは力へ、力は器へ、故に器は願いを叶えん。』」
応えるように、光が収斂の兆しを見せる。支えるように、寄り添うように、願いの奔流がその本懐を果たそうと。
「『其は円環。其は裂刃。其の名に刻むは逆世の祝福。今ここに、全ての枷は放たれた』」
瞬間、光は溢れ、震え、そして
――奇跡が生まれる
「『
「……あ」
時間と空間の感覚が現実に戻る
夢のような、未だに信じることが難しいほどの非現実。しかし、それが間違いなく現実に起きたことなのだと――無垢な絵本がそう語る
「わぁ、うわあああぁぁぁぁぁぁ!すごい、すごい!!」
跳ねる気持ちを言葉に乗せて、アリスの感情が爆発する。
「ありがとう、ありがとう!魔法使いのお姉ちゃん!!」
「まぁ、ふふ、どういたしまして」
「ほんとうにありがとう……!おれいにわたし、なんでもするよ!!」
「…………あら、まぁ」
答えに窮する。もとより頼まれて披露するような術でもなく、子供相手に対価を求めるほど腐ってもいない。用意の無い問いに思わず目を泳がせ――ふと、可愛らしい装丁が目に入る
「そう、ですね……それでは」
と、絵本にそっと指を向ける
「そちらの絵本を、読み聞かせ頂けますか?」
「ふぇ?そんなことでいいの?」
「はい。アリスさんが何としてもと願われた絵本ですので、興味関心もひとしお、です」
「……わかった!ごほんよんだげるね!」
言い回しの半分も理解できなかったが、自分の大好きなごほんをこのお姉ちゃんもすごく読みたいのだという(若干誇張された)意志だけは理解した。
「えっとね、まずこの子の名前は――」
それからの時間は、瞬きの間に過ぎ去って。
「……あら、もうこんな時間」
「ふぇ?」
気付けば黄昏、別れが近く。
「アリスさん、そろそろお開きにいたしましょうか」
「え〜まだ半分も読んでないのに〜」
「ええ、驚きです。本当に」
1ページに10分も20分もかけて意味を見出す子供の読解力に舌を巻きつつ、そそくさと帰る準備を始めてしまう。
――改めて、蒼髪の彼女自身自分の行為が自己満足の域を出ない物と理解し、アリスから自分への感情も『都合のいい女』ぐらいが精々だろうと思っていた。
「それでは、本日はありがとう――」
「お姉ちゃん!!!」
だから、それは彼女の予想の外を行った。
「あのね、私、私……!」
衝動を言葉にする自分にすらもどかしさを感じつつ、アリスはそれを全霊でぶつける。
「私も、お姉ちゃんみたいな魔法使いになるね!!」
「……まぁ」
この日、その蒼眸が初めて意外、という丸みを帯びた。
「私みたいに、ですか」
「うん!お姉ちゃんみたいな、すごい魔法使いになるの!!」
するとその目が先ほどのように、しかし今度は本当に困り果てたように薄くなる。やがて彼女は観念した、と言わんばかりに静かに語り始めた。
「……白状いたしますと」
「?」
「私、魔法使いではありませんの」
「え」
止まった時間。破るのは少女の驚声。
「ええええぇぇ!!お姉ちゃん魔法使いじゃないの!?」
「ないの、です。
目指していた物への梯子が外され、不安の只中に放り出される。しかし――
「大丈夫ですよ」
今、アリスは確かに見られていた。彼女の理想を象る蒼の全てが、彼女を見据えて、離さずにいた。
身長差が、年齢差が、歩んできた道の長さが違う筈の二人。しかし、今確かに彼女達は同じ場所で、同じ目線で言葉を交わしていた。
「アリスさんなら、きっとすぐになれますよ」
そう肯定する声音は、微かにも揺らがぬ未来を示す。
そうして彼女は、少し誇るように
「だって私は、未だ未熟で若輩な、ただただ小さなひとかどの」
そう、告げた
「――冒険者、ですから」
あれから、少女の残滓が微かに残るほどになるまで時が経った。
アリスは当たり前のように冒険者を志し、その過程の中で多くの当たり前を飲み込んだ。
そして思い知らされた。あの日の光景が、この嘘みたいな世界ですら非現実的な事に。
アリスは知っている
魔法は、『スキル』は未だに新しいものが見つかる程に数多く、人を治すスキルも存在する。が、壊れた物を、それも完全に治すようなスキルの存在は未だに確認されていない事を
アリスは知っている
魔力のない場所においてスキルは使うことすらままならず、魔力のまの字すら存在しなかったあの場で、尚且つ恐らくピンポイントの詠唱改変というトンデモ精度の魔力操作で発動する事など有り得ないという事を
――けれど、アリスは知っている
この世界には、そんな理屈が紙屑に思える程の未知に溢れていると、この身と本が証明している事を
だからアリスは、それと同時に志したのだ
魔法使いになる事を。
魔導士でも付与術士でも呪術士でもなく、魔法使いになる事を。
だから
だからこそ、アリスは
「――東雲アリスの生配信へよーこそー!!!」
今日もカメラに向けて、弾けるような笑顔を振りまく
レンズに映る内装には、マジカルステッキといったファンシーな物から、やたら古そうな謎の壺まで。
それらを横目に鎮座するは、箱とマイクとレンズ付きディスプレイ。しかも専門店で見繕ったそこそこお高い奴である。
その上でアリスはいつも通り、流れるコメントに応えるべく腹と背中に力を入れる。
『流石に今回はだいぶ方向性違くない?』とか言う心の声から全力で目を背けながら
東雲アリスはバズれない えふけー @the_Fainal-Kuzu
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