第7話:中洲川【変死─5】
「現場って、どこの駅の近くとか分かる?」
「
地図アプリを開きながらの問いにも、すぐ巡査長は備忘録らしいノートを開いてくれた。
「浦和駅から十二キロくらいか。電車で一時間、歩けば三時間近く。なにをしに行ったんだと思う?」
「なにをって──なんでしょう?」
きょとんとした顔と声。巡査長は義理堅くも、首を傾げてくれる。
「ホームレスと決めつけての話だけどさ。あの人たちにも縄張りがあるんだよ」
「はあ」
「一万円に足らないくらいの現金、どうやって稼いだんだろうね。よく聞くのは空き缶とか古紙を集めるやり方だけど、好き勝手にやると袋叩きに遭う」
「なるほど、そういう縄張りですか」
浦和は大きな街だ。轢かれたという指扇駅付近は、北に大宮も越えた先へ当たる。その二つを跨いで稼ごうというなら、ほかのホームレスに漁場を荒らすなと咎められるはずだった。
「うーん。実際に文句をつけられた結果とか」
「だねえ、でもそこまでやるかなって気がして。それに殴られたような跡はないみたいだし」
「じゃあ単に散歩とか、どこか遊びに行こうとかですかね。もう少し行けば川越市ですし」
巡査長のデスクマットには、バイクでツーリングらしい写真が挟まれていた。仕事と趣味と、両方をきちんとできるのは幸福だと篤志は思う。
「それもないとは言えないけど、どうかな。一万円が小遣いならいいけど、全財産だったら。どうやって遊ぶ?」
飲食、買い物、アミューズメント。川越も賑やかだが、金銭を使わずに遊べるような場所は思いつかない。昨晩のあの男が、児童公園の遊具を楽しむはずもなし。
「ああ、いっそホームレスじゃないっていう説はどうですか」
「家の鍵は?」
「ああ……」
不定期に日雇いで働く人物という見方もある。だが昨今、住居もスマホもなしに受け付けてくれる企業は少ない。行政の斡旋を受けているなら、整理番号入りの証書を持っていなければおかしい。
「たしかに、なにをしに行くところだったんでしょう。中洲川警部補はどう思うんですか」
「いやあ、言ってもらったようなことしか俺にも思いつかなくて」
そう答えたことに、まったく嘘はなかった。そんなわけないだろとツッコんでくれるか、自分では思いつかない新説を期待していた。
結果として「お役に立てなくて」と後輩を凹ませてしまったが。
「そんなことないよ。なんか変だなって感覚が、おかしくないって保証してもらったわけでさ」
「なら、いいんですが」
あからさまな作り笑いで巡査長は応じ、大宮西署へ連絡しておくと言った。
この場でのフォローは難しいと判じた篤志は、また缶コーヒーでも奢ろうと決めて浦和署を出る。
通勤手段のビッグスクーターで走ること、約四十分。大宮西署の交通捜査係を訪ねると、同期の巡査部長が出迎えた。
「なんだか文句があるらしいな」
言葉の上では、随分なご挨拶を受け取った。うらはらに豪快な笑声とともに背中を叩かれ、そのまま肩をも抱かれる。
「文句なんか」
「冗談だって。遺体が見たいんだろ?」
二十人余りの同期の中で、接触の多かった相手ではない。こんな性格だったかと思い出そうとしても、材料となる記憶が乏しかった。
ともあれ話は早く、庁舎裏手の別棟となる検視室へ赴く。遺体は保護シートをかけられただけで、いまだ検視台に乗せられたまま。
白いビニールのシートを捲ると、写真で見た通りの姿がある。
「直に会ったって?」
「うん、ケンカの現場で。あれこれ騒いでいっただけだけど」
そのときの姿を思い出すと、一回り大きく見える。全身が
「そんな奴のなにが気になるって?」
「なにが気になるのか分からないのが気になってるんだよ」
「なんだそりゃ」
同期の巡査部長は三歩を離れ、遺体の周囲をぐるぐるとする篤志を眺めた。
「どこへ行くつもりだったかって、聞いたけどな。世の中、色んなやつがいるんだ。いちいち考えても分からないもんは分からないって」
「そう思うよ。でも気になったものは、どうにかしておきたいだろ? やっぱりなにも分からなかったってオチでも」
「まあな」
巡査部長の言い分はもっともだ。医師免許を持つでもない篤志が見たところで、検視の回数も桁違いの人々が出した結論と異なる見解は得られない。
「頭は?」
「潰れてるぞ」
「聞いた」
一応の親切心だろう。問うた巡査部長はやれやれとばかりにため息を吐き、検視台とは別の台を部屋の隅から動かした。
被せられた半透明のビニールを取り去れば、無惨な傷口を晒した人間の頭部がそこにある。
「下顎は砕け散っててな。集められるだけは集めたが」
頭部を乗せた半畳に満たない台の下から、巡査部長はビニール袋を取った。スーパーで購入した肉や魚のパックを入れる、小さな袋。あれと同じくらいの。
中を見れば、人間の皮膚が纏わりついたミンチという様相だった。伸ばしっ放しの、しかしまばらに生えた髭にあの男の面影を感じる。
つまり列車が轢いたのは下顎だったのだろう。上顎から頭頂までは、多少の擦過があるだけで無事だった。
しかしやはり浮腫んだ上に皮膚が引き攣れ、人相はひどいものとなっていた。だらしなく伸びた髪がなければ、篤志にもあの男とは思えなかったかもしれない。
「なにかお分かりで?」
「いやまったく」
気が済んだかと言いたげに、検視室の鍵をチャラチャラと鳴らす。それでも巡査部長は「おいおい」と、からかって笑ってくれる。
思い過ごしか。
よその署へのこのことやってきて、なにもありませんでしたと帰る。かなりの顰蹙ものだが気にするなと、篤志にはそう言われた心地だった。
その温情に従えば、ただの笑い話で終わる。
「うん、手間をかけて悪かっ──」
諦め、部屋の出口へ足を向けかけた。最後にぐるりと見回したとき、視界に映る物があった。
検視台から遠いテーブルに、プラスチックのバットが置かれていた。中にあるのは黄色の箱とポケットティッシュのようだ。
だからどう、と閃いてはいない。確認できるものは確認しておくべきと、先達に教わった通りにしただけだ。
「これ。所持品だよね」
「ああ、もちろん」
ポケットティッシュはくしゃくしゃに潰れていた。受け取ってすぐに押し込んでいたのだから、当然ではある。
風邪薬の箱が潰れているのも、主利が押しつけたからだろう。
そこまではいい。一つ、気になることが見つかった。
「風邪薬なんだけど、箱から出てるのは? 誰か出したのかな」
「んん? そのままだったぞ。上着のポケットに箱とシートが別々だった」
箱を見ると、二十カプセル入りとある。その通りに十カプセルを収容のシートが二つ、箱とは別になっていた。
しかも肝心のカプセルが、一つも残っていない。篤志は速やかに、主利へ電話をかける。
「あ、非番にごめん。ゆうべの現場のことだけど、風邪薬を渡したよね。あれ、どれくらい残ってた?」
「風邪薬というと、あの男に渡した件ですか。あれは一昨日買ったもので、新品でした」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます