第4話:中洲川【変死─2】

「酔っ払いなら、また簡単に済みそうですね」


 現場までの車中。今宵を最後の相棒、隣田となりだ巡査長は言った。

 たしかに酔客が刃物まで抜いたとなると、その場での面子の問題だろう。そういう場合は警察が来るとか大ごとになるとか、お構いなしに居残ってくれることが多い。

 逃げた犯人を捜す手間のない分、篤志も簡単という言葉に異論はなかった。が、素直に頷くことを避けた。


「というと?」

「そりゃあ、中洲川警部補との最後の当番なんで。綺麗に終わりたいでしょう」


 篤志よりも歳上の、四十前の巡査長は、最初の論旨を捨てたらしい。現場を甘く見ているとか、咎めるつもりはなかったが。


「ですね。すぐ終わってくれればいいんですが」


 決めつけてものごとを見るな、と。以前に付いていた、師匠と仰ぐ元上司は常に言った。

 理屈では分かっていても、それで実際に痛い目を見たこともあった。


 などと仔細を語っている場合でなし、浦和署員同士の通話に用いる所轄系しょかつけい無線が鳴った。


『浦和駅前から本署ほんしょ、ケンカの現場に到着しました。詳細の確認中ですが、当事者の一方は既に逃走の模様。刃物を持った当事者が逃走の模様』


 言わぬことでない。顔面をごしごしと擦りたい欲求に、篤志は堪えた。ハンドルを握る隣田巡査長を見ることも。

 浦和駅付近に到着したのは、それから三分ほどの後。ただし現場である飲み屋街は、歩行者天国状態の路地のただ中だ。


 さらに一、二分を自らの脚で駆け、人だかりに突っ込む。

 先に到着していた受け持ちの交番員が、手分けをして聞き込みに精を出す。と言っても無責任にスマホを向ける野次馬から、有益な情報を引き出せる可能性は限りなく低い。


「主利部長、どうなった?」

「今、訊いているところです」


 受け持ち区域としては隣の交番に当たる主利が、アスファルトへ寝そべる男と話していた。

 おそらく当事者の一方だろう。一見して流血はなく、殺人や傷害といった罪名は消えそうだった。


「だからぁ、どこのどいつか知らねえって。そこの店で飲んでたらよぉ、調子よく話してきたから一緒に飲んだだけ」

「それだけの相手から、刃物なんて出てくるのはおかしいじゃないですか」


 日曜日にも出勤をしたサラリーマンという風体。三十代半ばというところの男は、少し呂律を怪しくしていた。しかし主利の問いには、すぐに応じてくれる。


「俺に言われても知らねって」

「なにか口論になるきっかけが?」

「さあ、なぁんかあったかねえ──あ、そうだ。サッカーの話になってよぉ、ヴェルダースの。それで急にだ、表ぇ出ろって」


 贔屓のチームを貶された、というケンカは珍しくない。けれども多くは、シーズンが押し迫ってからだ。

 よほどの熱狂的ファンか、血の気の多い人物か。逃げた個人をつきとめる材料としては厳しい。


「なにか悪口でも言ったんですか」

「いやぁ、まあ、よく負けるとかなんとか言ったけどよぉ。そんなんで刺されてもなぁ」

「刺されたんですか?」

「いやぁ。キャンプとかに持ってくナイフあるだろぉ。あれを『馬鹿』とか、小学生みたいに言ってリュックから出しただけだぁ」


 怪我はないと示し、当事者の男は自分の胸や腹を叩いて見せる。「ナイフにはケースが付いていましたか」と、重ねて問う主利に「入れたままだなぁ」と応じた。

 いわゆる銃刀法違反は確定。しかしここまでの話では、殺人未遂などには問えない。


「もう一度訊きます。その男は二十歳前後で、ボサボサ頭。それから黄色の上着のほかに覚えていることは?」


 篤志が到着するまでに、被疑者の特徴は無線に載せられていた。

 二十歳くらいのボサボサ頭など履いて捨てるほどいるし、派手な上着をリュックに隠すのは容易。

 この男の言い分を借りれば、どこのどいつかなにも分からないも同然だった。


「さあなぁ、本人を見りゃあ分かるけどなぁ」


 難しそうだ。問い方を変えて粘る主利に任せ、辺りに防犯カメラでもないかと篤志は見回す。

 車を一台通すのがやっとの幅。道の左右には何十年前からの店構えばかりが軒を連ねる。店内ならばともかく、屋外を映すものは期待ができない。


「隣田さん、この人の飲んだ店のカメラを」

「了解です」


 経験豊富なベテラン刑事に、これだけの指示でも余計だったろう。しかし隣田は機敏に、直前の居酒屋へ入っていった。使われた食器やテーブルを調べてもくれるはずだ。


 さて、この場でできることがほかにあるか。考える篤志の周囲は、賑やかな飲み屋街でもひときわ騒がしかった。

 野次馬の雑談に、「しっかりやれよ税金泥棒」等々の無責任な罵倒。これ以上は面白いこともなさそうだと、去っていく者の馬鹿騒ぎ。

 それらがあってなお、多くの者が眼を向けずにいられない大声が響いた。


「おいおいポリさん、なにやってんだ! 道を塞ぐんじゃねえよ!」


 浦和駅とは反対方向から、その男はやってくる。いかにも安物の黒いビニールの上着に、目のチカチカするようなピンクのシャツを着て。

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