第39話 月とスッポンのダンス

 深刻そうに女ヶ沢は眉間にしわを寄せる。



「お前ら、コラボ行く前にだ……」



 女ヶ沢の前に並んだ三人は二戸坂のベッド上で膝を抱え、固唾を呑む。

 震える二つの視線とボヤっとした眼差しを受けながら、女ヶ沢は神妙な面持ちで告げる。



「テストがある――!」



 最初に悲鳴を上げたのは広世だった。闘牛のような悶絶の声を上げてジタバタと転がる。



「ヤダよルーさん、テストだなんて……」


「ミミはそんなに勉強苦手じゃなかっただろ」


「興味のない学問はとことんダメなの!」



 頭を抱え、広世は早口で訴えかける。アレルギーレベルの拒否反応を見せながら、彼女は女ヶ沢の袖にしがみつく。



「国語とか、社会系は得意だよ? 創作に生きてるし、興味あるから自然と……でも英語と数学は無理! あと化学も! けど英語はただの暗記になっちゃうのがつまらないし、化学は計算ばっかで面白くない……数学とかアレルギー反応で発疹が出ちゃう」


「お前は情熱が原動力だからな」


「つまり熱なきところにミミちゃんなし。数字とか見た瞬間に気絶ものだよ……確定申告も思い出すし」



 絶望の海で広世は揺蕩う。が、女ヶ沢がそこに救いの浮き輪を投げ込む。



「丁度いい。ウチは真反対に理数系や英語は得意なんだけど、ちょっと世界史が今怪しいんだ。ミミ、お互いに教え合わないか?」


「ルーさん、あんた最高だよ!」


「どーも。けど問題は……」



 女ヶ沢は恐る恐る、広世の横へ顔を向ける。ゴーストメリィ一番の不安材料は、今壊れた玩具のロボットのように天井を凝視していた。



「ウチのリーダーだよな」



 二戸坂は覇気の失せた目、ブリキのように固まった体で舌だけを出し入れして動かす。

 おもちゃ屋さんの貯金箱みたい、とツンツン指でつつく笹佐間はコメントしていた。



「べ、べべえべえべべべええええええ」


「回路の接触悪いな。ミミ、直してやれ」


「御免候う。この状態のニコちゃんだけは直せないんだ」


「べ、べんきょ、MURI……」


「ニコちゃんは音楽に極振りしてるから、勉強は全般苦手なんだよ~」


「だ、だずげ……」


「そういえば一回も家で勉強してる形跡なかったよな」


「学校のノートも大体はカモフラージュした作曲ノートだし」


「怒られてしまえド陰キャ素行不良」



 両耳を引っ張り、二戸坂が再起動するまで一同はしばし見守る。二戸坂はその場でクルクル回りながら平成中期のアニソンを歌っていた。



「そんで、さささは……」


「オレンジが先か、ジュースが先か。う~ん悩んじゃうね~」


「何も対策してねえけど問題なしか」


「その通りだけど、これでオーケー判断するルーさんも感覚バグってきたよね」


「メンバー半分がビックリ人間なんだからそろそろ狂ってくる頃だろウチも」


「ミミちゃんはもしやマトモ判定!?」


「お前はかろうじて人間な。正常じゃないけど人間の範囲にはギリ留まってる」



 テストが迫っていても、笹佐間だけはマイペースを貫く。そもそも彼女に直前の詰め込み学習など必要性はほとんどない。



「さささちゃん、いつも学年トップだよね」


「どうやっていつも点数取れてんだよ」


「さささちゃんも復習しないから~授業で出たところ以外はやってなくて分かんないの~。あとテスト中に飽きちゃうんだぁ」


「つまり授業で全部覚えてノー勉ってことかよ!」


「恐ろしい子っ!」


「けど実際、塾通ってる子が過去問やったりして解けるぐらいの難問もあったりするからねぇ。それでも飽きるまでの点数取れちゃうさささちゃんが異常だけど」



 笹佐間だけは学習の概念が次元規模で彼女たちとは異なっていた。



「うっし、じゃあこうするか! ウチとミミはお互いに苦手科目を教え合って、復習の時にニコへ教える。そこで分かんねえとこは、さささに教わる!」


「おお~名案だ~」


「ルーさん頭良い戦略だねぇ!」


「お、ねが、じまず……」


「あ、反応返ってきた」


「情報の授業はニコに任せるか。教材側だけど」



 再起動が完了するまで、二戸坂は懐かしの深夜アニメのオープニングを口ずさんでいた。



 ――その後、ゴーストメリィは二戸坂家で毎日のテスト勉強を慣行した。



「ルーさん、数Ⅰのここって……」


「余弦定理のとこか。そこは公式暗記なんだが――いや、その問題は飛ばしても良いかもしれねえ。応用だ」


「けど解けそうなんだよね!」


「そうか。じゃあ付き合うぜ。ここは……」



 広世と女ヶ沢は互いの苦手を埋めるように三十分単位で交互に対策を行った。


 一方、二戸坂は座ったままゾンビ化してペンを握っている。



「ニコ、モルのとこは公式さえ覚えりゃ問題ねえんだ。この図があるだろ?」


「ズ? ズ、ず……」


「ほら、前の単元でやった化学式とか、ここに繋がってくんだよ」


「ニコちゃん、次は古典やろっか。日本語訳からで良いからね」


「あむすてるだむ、いまそがり……」


「違う、それ世界史混ざってる」



 教師チームは苦戦。AIへの学習か犬に芸を仕込む方が遥かに容易と感じるレベルの教育戦争が始まっていた。



「ミミ、ダメだ。中国史は人名と制度が漢字だらけで覚えらんねぇ……」


「う~ん。ここはミミちゃんも三国志とゲームで覚えたとこだし、難しいよね」


「ここはボム使おう。さささ、助けてくれ!」



 オレンジジュースを一本掲げると、部屋の隅から笹佐間が飛んできて二人の元へ駆けつける。



「ここはね~、覚え歌を作っちゃうんだよ~。骨品制とかポップだよね~」


「こっぴん、せい?」


「あ、そういうこと! ルーさん、わたしが翻訳するとね……」


「ごべんなざい、コミュニケーション英語のここどうやって解くの……?」


「あ、ニコちゃんごめんね! さささちゃん、ここ終わったらニコちゃんお願いね」


「さささちゃんモテモテだぁ~」



 濃密な時間はシャーペンの芯と紙の匂いと共に過ぎていった。



 ※ ※ ※



 バンド活動も一時休止し、期末テストは実施された。


 勉強の成果を発揮する本番は気が付けば瞬きの内に過ぎ、あっという間に答案用紙は彼女たちの手元へ戻ってくる。



「すげえ! ウチ今回、苦手科目ぜんぶ過去最高得点取れたぞ」


「ミミちゃんはなんと学年二十位取れちゃった! 英語も八割超え!」


「マジかミミ、大健闘じゃねえか!」


「さささちゃんは全教科学年一位取れた~!」


「「例外にして規格外ッ!」」


「楽しくお勉強できたから~」



 笹佐間は赤丸と百の文字しかない用紙を机に広げていた。


 数学に関しては、時間が余った生徒向けの絵を描くスペースに写実的なオレンジの木まで描いている始末。

 数学教師の「え、なんっ、どう、え? こわ……」と余白にコメントがあった。



「やった! やったよ皆ぁ! 見てみて~!」


「おおニコ! お前も――」


「オール三十点! 赤点回避だよぉ!!」


「……は?」



 衝撃的な言葉に女ヶ沢の世界は止まった。最初の一文字目を聞き間違えたと思ったが、彼女の聴覚は正常であった。


 自信満々に二戸坂が掲げた答案用紙には、奇跡のように全て三十点の数字が赤ペンで記されている。確かに奇跡ではあるが、女ヶ沢はかけた時間に釣り合わない点数のギャップに固まったままだった。



「みんなのお陰で取れたよぉ。ダメかと思ったけど、今回は補修からも逃げられた!」


「にこぴやったね~」


「イエーイ! ってさささちゃんすごいね!? 学年一位おめでと!!」



 当の本人は呑気に赤点回避を喜んでいる。なお、この瞬間にテスト勉強で得た知識は二戸坂の脳から蒸発していた。



「なあミミ、ウチら結構教えたよな?」


「まあ、本人が喜んでるから……それでもちょっとビックリだけど」


「……進学、どうすんだコイツ」



 月とスッポンは仲良く手を取ってワルツを踊る。

 この状況を重く捉えていたのは、外野で血の気が失せた保護者二人組であった。



((次はもっと早くから勉強させよう))



 広世と女ヶ沢は早速十月のテスト前のスケジュールを予定アプリで確認していた。

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