第18話「時の部屋」
「おーい、そろそろあがろうぜ、ゲートが閉まっちまう!!」
茂樹がしびれを切らして声をあげた。
数人の男たちが黙々とオートバイの整備をしている。
誰一人、手を止める様子はない。
「⋯⋯ったく、また閉じ込められて、夕飯が非常食のドライフードになっても良いんだな!?」
全員一斉にハッとしたように顔を上げ、
さすがにガソリン臭いパドックでの夕食は懲りたようだ。
茂樹はやれやれといった顔でため息をついた。
どうやら今夜は、まともな夕飯にありつけそうだ。
ここは福島県二本松市にあるサファリパーク。その園内に施設されているサーキットのパドックだ。
怜の所属するレーシングチームの夏合宿は毎年ここで行われている。
レーシングチーム「レッド・ファクトリー」は、プロを目指す若者を支援しながらショップで開発したカスタムパーツのテストと宣伝を行うプライベートチームだ。
怜が高校生の時に街道レースで壊してしまうオートバイの面倒を見てくれたバイクショップの社長がオーナーだ。
チームメイトたちは、怜と同じようにプロを目指す、熱く、そして底抜けに陽気な若者たちだった。
普段はアルバイトをいくつも掛け持ちしながらレース活動をする忙しい彼らだったが、この日は一同に介してこの東北の地で寝食を共にする。
チームが在る神奈川県から、わざわざ遠征して合宿する理由は、ここがレーサーに必要な「あるもの」を鍛えるのに恰好なコースと言われていたからだ。
ここでそれを
逆に攻略できなければ、プロになる夢に引導をわたされる事もある。
レーサーの修行場、「時の部屋」とチームの中で呼ばれていた。
エビスサーキット東コース。MFJ公認のシリーズ戦が行われるこのコースのレイアウトは、全長2Km超と、筑波サーキットと変わらないショートコースだ。
クルクルと忙しく急カーブが連続する点もよく似ていた。
コースインし、ピットロードを出るとすぐに右に180度ターンする第1コーナーが迫る。
奥に行くにつれてキツくなるカーブをインベタで立ち上がるとすぐに左、右と切り返すS字コーナー。短い直線の先に右曲がりの第1ヘアピンコーナーが続く。
ヘアピンを立ち上がった先にはスピードの乗る右高速コーナー。そこでノッた速度を
ヘアピンを立ち上がるとフル加速。高速で複合する右コーナーをゼブラゾーンを
レイアウトも筑波サーキットに似ている。
しかし、そこを走るライダーたちには全く違う印象を与えていた。
加速と減速を繰り返す忙しいコースというだけでは、「時の部屋」とまで言われない。
ここをそこまでと言わしめたのは、このコースの最大高低差67mに由縁する。
この高さはコースレイアウトを見てもピンとくるライダーは少ないだろう。
例えるなら、22階建てのビルの上から落ちるジェットコースターに乗るというのが近い感覚だろう。
しかもそれは、安全なレールもシートベルトもない。ロードレーサーという戦闘機に身体一つで
上り坂のピットロードを加速してコースに入ると、第1コーナーを最高地点として第1ヘアピンまで一気に駆け下る。レーシングマシンのフル加速は平地でも視界が霞む。急坂の重力落下にそれを上乗せして最終コーナーまでクネクネ曲がる急坂を駆け下りる。
そこでかかる加速Gは、ライダーに背骨が抜けて置いていかれる錯覚を覚えさせるほどだ。
それに耐えたライダーを次に襲うのは、第1ヘアピンへの着地Gだ。
スキージャンプの着地よろしく、浮遊するように駆け下りてきたマシンは、バンクの壁に強制着地する。前後のサスペンションはフルボトム。ライダーとマシンを超重力の着地Gが押し潰す。
壁のようにそそり立ったバンク路面に張り付くように旋回。気を保ちながらフルスロットルで更に加速する。
緩く左に曲がる高速コーナーをコースいっぱいを使って加速した先に待ち構える第2ヘアピンへの下り坂でフルブレーキ。マシンはジャックナイフのようにつんのめる。
「ダダッ ダダダダダダッーー」
荷重が抜けて跳ね回る後輪を慣性ドリフトで振り出してコーナー入口で早々にマシンの向きを変えると、初めて傾斜のない路面が眼前に広がる。
ここで、このコース最大の加速競走が始まる。
フルスロットル。絞りきったアクセルグリップを更に絞めあげる。
ゼブラゾーンに乗り上げながら最終コーナーを目ざす。僅かでも空気抵抗を減らすためにライダーはカウルの中に身を縮める。
理由は、最終コーナーがこのコースの最低標高地点だからだ。
そこからメインストレートまでの登り坂で、ここまで下った分を一気に駆け上がる。その助走を少しでも稼ぐ加速競走だ。
ライダーはスクリーンカウルにヘルメットを突っ込みタンクにひれ伏す。肘と膝を小さく折り畳んで、少しでも空気抵抗を減らすために身を屈める。
猛然と暴れるエンジンパワーを少しでも多く路面に伝えるために、タイヤの滑りを制御しながら最終コーナーを駆け上がる。
「路面しか見えねえ⋯⋯」
メインスタンドまで駆け上がる急坂はライダーの前に灰色のアスファルトの壁となって立ちはだかる。
壁を滑走し離陸するGが機体と身体にのしかかる。視界が暗転しそうになりながら耐える。
そして、当然、
辺りを囲んでいた灰色の壁は突如消え、視界は足元まで空が拓ける。
ライダーを壁に貼り付けていた重力は一切消え、無重力空間に放り出された浮遊感がライダーを包む。
「飛んでる⋯⋯」
壁を登りきったマシンは、発射台から射出されたロケットのようにメインスタンド前で宙を駆ける。
(ファァァァーー ギャッ ギャッギャッ)
時速百数十キロの最高速で着地する。
この時、少しでも前輪が傾いていると、路面との摩擦で前輪が暴れ出し、マシンは暴れ馬となってライダーを振り落とす。
(ギャッ バダダダダダダダダダダーーーー)
この着地に失敗すると、メインストレートは墓場と化す。観客と仲間が見守るメインスタンド前で大惨事となる。
耐えきったとしてもこの恐怖を体験するとトラウマになることも珍しくない。
なんとか暴れ馬を抑えきっても、眼前に迫る第1コーナーで更にトラブルがライダーを襲う。
「う、嗚呼、ブレーキが効かない!!」
暴れた前輪のシェイク運動でブレーキの油圧シリンダに泡が入り込み、フロントブレーキが効かなくなってしまうのだ。
スカスカの効かないブレーキレバーを握りしめたまま、ライダーは第1コーナーに突っ込む。
怜もこのアクシデントを何度か経験していた。
パドックで見ていたクルーが悲鳴を上げるほどの危機を何度か味わった。
初めてそれに遭遇したとき、怜は次々遅い来るパニック級のアクシデントに考える事をやめた。
(ダメだ、考えてたら間に合わない)
暴れるマシンを力ずくで抑え込みメインストレートを駆け抜けた。効かないブレーキは高速で繰り返しレバーを握って油圧を戻す。
それでもオーバースピードになった第1コーナーは、タイヤをわざと滑らせるブレーキングドリフトで曲がりきった。
この緊急事態の連鎖に、怜は身体が覚えている「マシンコントロール」に、あっさり制御を明け渡して乗り切った。
怒涛のアクシデントを凌いだあと、怜はいつもチームオーナーが言っていた言葉を思い出した。
「怜、バイクはなマシンコントロールが大事なんだ。
モトクロスの練習しとけよ。ロードったって、どんな事態に遭遇するかなんてわからないからな。マシンコントロールを養え」
店の整備工場でマシン整備している怜に、タバコを吹かしながら見ているオーナーが言った言葉だったが、その時の怜は理解できなかった。
「はい。がんばります(⋯⋯もっと練習しろってことかな?)」
翌日から怜はオーナーに言われた通り、バイク仲間からボロいヤマハDT125を譲ってもらい、練習メニューに河原のオフロードコースの走行練習を入れた。
初めて走るダートコースは、アクセルを開けるとツルツル滑り、真っ直ぐ走ることもままならなかった。
起伏に飛んだコースは、暴れてコースから飛び出そうとするマシンを抑えるだけでもヘトヘトに疲れてしまう。
怜は、オーナーのマッチョな身体を思い出した。
「オーナー、モトクロスチームで自分も走ってたな。あの身体はそういう事か⋯⋯」
怜は、本職のモトクロスレーサーたちの邪魔にならないように、隅にあるダートトラックコースをひたすらクルクルと回ることにした。
初めて間近に見る「モトクロス」は、空飛ぶオートバイだった。
ひとつ飛び越えるのにも難儀なコブを、二つ、三つ一気に飛び越え、怜の通っていた高校の校舎の三階を越える見上げるような高さを跳んで行くそれは、走るというより飛んでいた。
しかも空中でいろんなポーズをとって遊んでいる余裕すらある。
「すっげー⋯⋯、どうやったらあんなのできるんだ?」
転びそうになっても立て直す余力。いや、型がない。彼らは自由に、刻々と変わる状況に合わせてマシンを操っていた。
「マシンコントロール⋯⋯、身体で記憶しろって事だったのか」
怜は、「時の部屋」の合宿を経て、オーナーの言葉の意味を理解した。
そして、この恐怖にさらされてもなお、
「時の部屋」
ここは、レーサーの覚悟を選別する場所だ。
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