とある推しの話③

 まだ何か言おうと取り巻き達は口を開こうとする。


「うるさい」


 しかし私の顔を見て、すぐさま口を閉じた。


「…アンタたちとのどかの違いは、私の陰口を言ったか言ってないかってだけ。…考える間でもなく、そんな人間、友達でも何でもない」


 もっと早く決めるべきだった。陰口を聞いたときに、向き合うか離れるか。もっと早く私が行動できていれば、のどかが怪我をすることもなかった。目の前のかつての友人たちが、傷つくこともなかった。私が独りを怖がったばかりに、私は多くの人を傷つけた。


「どうでもいい。アンタたちが何を思ってたとか、その本心とか、どうでもいい。…もう二度と、私に近づかないで。別に問題ないでしょ?だってさっきも言ってたじゃん。「あんな傲慢で性格不細工、誰もそばに寄り付かない」って。寄り付かなくていいよ、別に頼んでないし」


「なっ…、な、に、それ…!」


「私も、アンタたちみたいに陰で人のこと悪く言うようなブス、寄って欲しくないし。アンタたちのブスが私にまで移ったら困るし」


 カッと顔を赤くした取り巻き達は、罵詈雑言を私に投げつける。不細工はそっちだろうが、人の優しさも分からない人形の癖に、飾りにしかなれない癖に、成績だって大人に媚び売ってるんだろ、気持ち悪い、最悪、今までの時間を返せ。言いたいだけ言って、友人でも取り巻きでもなくなった人間たちは、教室を後にする。扉は荒々しく閉じられて、部屋を照らすのはカーテンの隙間から入り込む光だけだ。


「れい、な」


 私の腕の中から離れようとするのどかの腕を、私は離れて行かないようにぎゅっと強く掴んだ。のどかは別に離れようとしたわけではなくて、私に抱えられたままだったのを気にして、態勢を変えようとしただけだと分かり、安心した。体が震えて、なんだか目頭が熱くなる。目から零れ落ちたのは涙だと理解できているが、なぜそれが落ちたのか私は理解できなかった。


「麗奈、大丈夫だよ。あの子たちはさ、きっと、カッとなっちゃっただけで、本心じゃあんなこと思ってないよ」


 酷いことを言われても、されても、のどかは変わらない。のどかは変わらず、私を受け入れてくれる。美しく、完璧で、誰も寄せ付けない、そんな私であれば、のどかは変わらずに側にいてくれる。


「…もう、友達なんかいらない。信じられない。のどかだけでいい。だってのどかは、のどかは、私の見た目が好きでしょ?私の見た目が変わらないなら、ずっと私の事、好きでいてくれるもんね」


 ずっと、側にいてくれる。


 強く強く、腕にまで食い込んだ私の手を、のどかは振りほどかずに受け入れる。駄目だと分かっているのに、私はやっぱり独りになるのが怖かった。もしのどかに拒否されてしまったらどうしようという不安でいっぱいになる。


「麗奈ちゃん」


 名を呼ぶのどかの声はとても優しかった。


「うん。ずっと好きだよ。だって私は、『麗奈ちゃん』のファンだもん」


 友人で幼馴染ののどかは、この日から推しの望みを叶えるために、私のファンになった。


 私はもうこの頃には、のどかのことを特別視していたと思う。ただそれは、独りになりたくないが故の執着心だと思っていた。感情が芽生え出したのは、小学五年の遠足の時だ。いなくなったのどかを、柄にもなく必死に探し回った。今までに何度か閉じ込められているのどかだったが、なぜかその時は酷く焦ったのだ。日はどんどん落ちていき、気温は下がっていく。もしこのまま見つからなかったら。最悪の想像を何とか打ち消して、私は走り回った。その時、小さく「麗奈ちゃん」と私を呼ぶのどかの声が聞こえた。


 見つけた瞬間、心の底からホッとした。抱きしめて、無事を確かめて、ちゃんと生きてることに安心した。


「…本当に、ありがとう、麗奈ちゃん…」


 帰り道、強く私の手を握って、涙目ののどかを見て、私は強く思った。


 守りたい。側にいたい。


 大人数からいじめられながらも折れることなく立ち向かう強さを持ち、笑顔を絶やさないのどかが、一人で暗いところで泣いちゃうような弱さを持っていることに胸が大きく鳴る。


「???」


 やけにうるさい心臓は、止めようと思っても難しい。のどかと繋いだ手がやけに気になった。そこに全部の神経が集中したような緊張が走って、それがもっと心臓をうるさくするのに、繋いだ手だけは絶対に放したくなかった。

 自分の中で一瞬沸いた感情を否定しようとしたけど、距離を置こうとしてものどかは遠慮なく距離を取ってくるし、置き過ぎたら簡単に他の人間と仲良くしだすし、イライラするのに目が離せなくなって。


「でもイライラする…!」


 家のリビングで、今日のどかがクラスメイトに教科書運ぶの手伝ってもらったと喜んでいたことを思い出して、椅子に座っていた私は目の前にあった机の裏を何度も蹴る。


「物に当たってんじゃないわよ!」


 母に叩かれて、それを見ていた父が笑う。いつになく不貞腐れた私に、二人は仕方がないと笑った。話を聞こうかと言われたが、話したくなかった。でもイライラしすぎて、私はとうとう両親に話したのだ。


「って感じでさ、まじ腹立つ」


「貴方…。それ、もしかして無自覚?」


 無自覚、とはどういうことだろうか。私は今、苛つきエピソードを話しただけなのだが。しかし母は私の顔を見て「あらやだ、この子ったら。私の娘なのにこんな鈍いなんて」とため息を吐く。


「ん~、麗奈。ちょっと考えて見て欲しいんだけどね」


 母との決闘が始まろうとしていた時、父が止めに入った。手に持っていた新聞を置いて、いつも通りゆったりと話す父の声を聞いていると、次第にこちらも落ち着いてくる。


「君がなぜそれほど苛立ちを感じるか、という問題だけども。君は何に苛立っているのかな?」


「…のどかがヘラヘラ笑ってたこと」


「ん~そうだね。でも、のどかちゃんが笑ってたら、いつも苛立つかな?」


 違う、と首を振る。ご飯食べたり、登下校で話したりしてるときの笑っている顔を見ると、逆に胸が和らぐ。


「そうだね。そしたら、苛立ちはきっと、別の所にあるんじゃないかな。例えば、教科書を運んでもらったこと、とか」


 横で聞いていた母が我慢できないと割って入る。


「麗奈、アンタはね、のどかちゃんが自分じゃない人間を頼ったことが腹立たしいのよ」


「は?私がそんなことで苛つくわけないじゃん。のどかのことなんかどうでも良いし」


「どうでもよくないから怒ってるし苛つくんでしょうが。どうせアンタのことだから、のどかちゃんが他の子と話してるのが気に食わないとかって邪魔してんでしょ?」


「なっ、そ、そんなわけ…!」


「ないとでも?」


 真っすぐ見られて、私は言葉に詰まる。ないとはっきり言えなくて、口ごもる私に母はもう一度ため息を吐いた。


「はー、もう本当に子どもなんだから。そうやって好きな子に当たったりちょっかいかけたりするの、嫌われるからやめなさいよね」


 父は苦笑いだ。しかし私は動けず止まる。大きく目を見開き、口も半開きで固まった私を心配した両親から、どうしたの?とたずねられて、ようやく半開きだった口が動いた。


「……す、き?」

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