第9話:推しを置いては死ねません③
「ほんっとうに、焦ったんだから!」
「えへへ…」
怒った顔でこちらを見るのは春歌ちゃん、そして美静ちゃんだ。積み上げた跳び箱から落ちるはずだった私は、支えとして用意していたポールにしがみついた。ポールが私の体重でゆっくりと倒れていくのに合わせて私はポールを滑り、マットの上に着地。倒れた跳び箱の下敷きになることなく、無傷で生還することが出来たのだった。
笑う私をギッと睨み付ける二人に、縮こまって「ごめんなさい…」と頭を下げる。どうやら麗奈が私がいないことに気づいて、クラスメイトに救出を依頼したらしい。
「麗奈ちゃんっ…!」
性格に難がある麗奈ちゃんが、クラスメイトに救助をお願いした事実に、私は感動して涙が出る。美人の冷たい中にある優しさが一番疲れた体に染みる。もう性格に難があるとか言うことはできないなと思う。
しかし正確には依頼でもお願いでもなく、命令らしい。
「のどか探して」
「「「「Yes,sir!」」」」
クラスメイトを軍隊並みに調教している
「本当に心配したんだから。無事で良かった」
「扉開けたらなんでか積まれた跳び箱の上にいるし、倒れてくるし。怪我無くて良かった~」
二人の後ろから香梨奈ちゃんと涼子ちゃんも現れて、本当に皆で探してくれていたようだ。心の底から心配してくれてるのが分かって、嬉しくなる。やっぱり友達って良いものだ。
「心配してくれて、ありがとう!」
感極まる私の耳に盛りあがる歓声の音が聞こえて、慌てて立ち上がる。
「今プログラム何番?!」
皆と一緒に向かった先では、次の種目へ移行するため、白線を引き直したり選手を集めたりと準備をしている。近くの係員にプログラム番号を訪ねると、麗奈の出場予定だった色別リレーはつい先ほど終わってしまったらしい。
「そ、そんな…」
あまりの絶望に私は膝から崩れ落ちた。まさか、麗奈の雄姿をこの目に焼き付けることが出来ないとは。これではファンも幼馴染も失格では無いか。
「一生の不覚…!」
「本当に悔しいんだね…」
他の追随を許さない麗奈の美しくも力強さも兼ね備えた走りを、誰よりも大きな声で応援し、カメラではないこの肉眼で脳に記録できなかったことが心の底から悔やまれる。麗奈の活躍を見ることさえできない私に生きる価値などあるのだろうか。
こんな私、麗奈は嫌いになるかもしれない。
「うわ…静かに泣いてる…」
目から溢れた涙がグラウンドを濡らしていく。このままいけば、私の涙だけでグラウンドを水浸しにすることが出来る。それくらい、私は悔しく、悲しかった。
「え、のどかちゃん!麗奈様いるよ!」
香梨奈ちゃんの声に、私はのっそりと体を起こす。そうだ、走り終えたのなら、麗奈にお疲れ様だと言わなければ。きっと素晴らしい走りを見せただろう。しかしそれを見てすらいない人間から言われても、麗奈は嬉しくないんじゃないだろうか。何なら「は?見てない癖になに?」と冷たく言われるかもしれない。そんなところも解釈一致です。
しかし私の想像とは違い、麗奈はなぜかグラウンド中央にいた。そこにいると言うことはつまり、今から走ると言うことだ。
「今からって、借り物競争、だよね?」
「なんで麗奈様が?出場種目じゃないよね?」
私と同じで皆も困惑していた。なぜ麗奈が、しかも借り物競争なんて絶対にやりたくない競技に出ているのだろうか。混乱で頭がいっぱいで、すぐに麗奈の番がやってくる。周りからの歓声がえげつない。いつもは学校生活ということもあり、皆感情を抑えているが、今日は体育祭。解放されたことで、遠慮なく麗奈の名前を叫んでいる。入学してからまだ数カ月しか経っていないはずなのにこの人気っぷり、流石麗奈だ。どうやら先程の色別対抗リレーでの活躍も相まって、新規ファンを大量に獲得しているらしい。
いつもであれば、そんな周りからの声援に負けないように声を張り上げるところだ。しかし今日は、声を出せない。走者の位置に立つ麗奈と目が合う。せっかく麗奈と目があったのに、私はその目を反らしてしまった。目が見れなかった。麗奈の活躍を見ることが出来なかった私に、そんな資格はないと思ってしまった。
声援にほぼ搔き消されたピストル音を合図に、選手は走り出す。会場を見なくても、声援から今どんな風になっているのかは簡単に分かった。ぶっちぎりで麗奈が一番だろう。借り物競争ということは、何か物を持っていかなければならない。傘だったり、眼鏡だったり。しかしお題の多くは人だ。ショートヘアの人、サッカー部の人、理科の先生をしている人。
麗奈が他の誰かの手を引いて走るのを想像する。大歓声に包まれて、二人は仲良く手を繋いで、ゴールテープを切るのだ。走り終わったら少し息切れした麗奈から「ありがと」とそっけないながらもちゃんとした感謝の言葉を貰うのだ。解釈一致ありがとうございます、と思いながら、私の心はぎゅっと痛んだ。
今まで麗奈が借り物競争に出ることなんかなく、あり得ないことだったから考えもしなかった。だから状況を想像することもなく、私がどんな感情になるのかも分からなかった。実際に麗奈が借り物競争に出て、初めて思う。
「嫌だな…」
誰かが麗奈と一緒に走るの、嫌だな。
見るくらいなら、目を瞑っておけばいいだけだ。でもそれだと麗奈の走っている姿を見ることが出来ない。色別対抗リレーさえ見逃したのに、麗奈が走る機会をさらに逃すのか。でも、目を開ければ、誰かが麗奈と一緒に走るのを見ることになる。
(だから何!推しを見るのはファンの義務!同じ時代を生きる者の権利!見ない後悔よりも見る苦痛でしょ!)
例え誰かが麗奈と走っていても、麗奈を見ることにより痛み半減だ。頑張れ、と自分を奮い立たせて、私は勢いよく目を開けた。
「のどか!」
目の前には、息切れしてない麗奈の姿。その手は、真っすぐ私に伸びていた。
「…?…え?えと、麗奈ちゃん、なんでここに」
「借り物競争!」
動こうとしない私にしびれを切らし、強引に手を引っ張られる。細くて白い手は、私の少し焼けた肌とは全くの別物だ。
足の速い麗奈にほとんど引きづられる形で、私もなんとか足を動かす。麗奈の手に掴まれた所が、凄く熱い。周りの大き過ぎる歓声が、どこか遠くに聞こえるほど、麗奈しか目に入らない。
一番で到着した麗奈は、お題の紙をゴール付近にいた係員に渡した。そのお題と持ってきた借り物が一致していれば、見事ゴールだ。紙を受け取った係員は驚いた顔でこちらを見る。何が書かれているのだろうか。震える手でマイクを握り締めて、少し赤くなった顔で、係員は口を開いた。
「お題は………す、『好きな人』、です」
ドッと地面が揺れた。それほどの歓声が会場を包む。意味が分からなくて、私はぽかんと口を開けるだけだ。係員が恐る恐る麗奈に「…合ってますか?」と聞けば、彼女は頷いた。これ以上に声が大きくなるわけがないと思ったが、そのボルテージは更に盛り上がりを見せた。あまりの大歓声に耳が鳴り、フラフラの私の手を麗奈は離すことなくゴールの白テープまで歩いて、私たちは見事一位を獲得した。
続々と第二位、三位がゴールをしていく。まだ歓声は止まない。私はようやく意識が戻り、麗奈を見た。
「れ、麗奈ちゃん…。さっきのって、一体…」
頬を染めて、そっぽを見る麗奈。しかし手はまだ繋がれたままだ。
「…そのまんまの、意味だけど」
手から伝わる熱が、その言葉が本当だと教えてくれる。
嘘だ。本当に?嘘だ、きっと。推しの言葉を肯定するのがファンであり、推しが黒と言えば白だろうと黒なのだ。しかしあまりの事実に、私は、頭が回らなかった。
無意識だった。
私は意識をせずに、繋がれていた麗奈の手を、両手で握る。そっぽを向いていた麗奈がこちらを見たのが分かった。その顔はなんだかホッとして、嬉しそうで、彼女の言葉が嘘ではないことが分かった。
私は麗奈の両手を強く、強く握った。あぁ、良かった。嫌われていなかった。今までずっと止めていた息をようやく吸った。
「今生に悔いなしっ…」
「の、のどか?!」
後ろ向きに倒れる私を支えたのは、麗奈だ。空いていた方の手で倒れる私の背を支える麗奈。下から見る麗奈もまた美しい。正面から見ても、横から見ても、下から見ても、麗奈は完成された芸術品のごとく輝いている。
まさか、だった。
「まさか、推しから
「…は?」
麗奈の低い声が聞こえないほど興奮してしまった私は、麗奈の腕の中にいると言うことも相まって開いた口が塞がらない。目から伝うのは歓喜の涙だ。
「麗奈ちゃんと友達になってからかれこれ七年。つい最近推し公認パシリ認定までしてもらったのに推し公認の友達認定までしてもらえるとは、私もしかして明日死ぬ?明日死んじゃうの?そりゃ自分の中ではさ、こんな長い間一緒にいるんだからそりゃもう幼馴染超えて友達でしょって思ってたよ。でも自分で勝手にそう思っているのと本人から実際に言われるのとじゃ話が別って言うかさ、まず衝撃が違う。破壊力が違う。威力も半端なく違う。えやばいやばい推しから好きな人って言われて私よく意識飛ばさなかった。よく心肺停止にならなかった。マジ偉すぎる。呼吸は止まってたけど。今までの行い良かったからかな、だから推しから
最高に幸せな私を起こしたのは、麗奈のビンタだった。推しからのビンタは推しからの接触なのでご褒美である。目を開けたそこにいたのは、顔を真っ赤にしながら、目尻を高く高く上げた麗奈。
ど怒りである。
「なんで、なんで、ここまで言ってんのに、伝わんないのよ…!」
「麗奈ちゃん?えと、どうかしたの?あ、やっぱり、色別対抗リレー、ちゃんと見れなかったの怒ってる?」
震えた麗奈は私を投げた。投げ出されて地面を転がった私は、震える体で鬼の形相をする麗奈に強く睨み付けられることになる。
「こんの、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!鈍感馬鹿のどか~~~!」
「何が?!」
麗奈の叫びは会場に響き渡る。
どこかへと行こうとする麗奈を、私は慌てて追いかける。何が彼女の琴線に触れてしまったのだろうか。
「あっ、もしかして、私が明日死んでも良いって言ったのが気に食わなかった?大丈夫だよ!さっきも言ったけど、私、麗奈ちゃん置いては死なないから!絶対!」
振り返った麗奈は涙目だ。
「っ~~~~違う!」
「え?!じゃあなに?!」
「自分で考えろ!馬鹿!馬鹿のどか!のどか鈍感!」
「麗奈ちゃ~ん」
体育祭は麗奈の活躍により、私たちのクラスの色が総合優勝を獲得したのだった。
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