第6話:推しからの無理難題はご褒美である③
二人から話を聞いたところ、流れはこうだった。
私にお使いを頼んだ麗奈が席に着いたとき、ある生徒が彼女に物申したらしい。
「松脇さんへの態度や言動が、あまりに酷過ぎる」と。私への対応を責められた麗奈は始め、その生徒の言葉を無視していたらしい。しかし生徒の言葉が彼女の琴線に触れてしまった。
———そんな態度じゃ、いつ松脇さんに捨てられても可笑しくないよな!
「それで、麗奈ちゃ、じゃなくて、麗奈、怒っちゃったの?」
「うん…」
「あまりの迫力に、言った生徒もクラスメイトも、皆怖くて腰抜かして動けなくなっちゃって…」
麗奈のガチ怒りはとてつもなく怖いから、納得する。私なんか最初号泣してしまうほどだった。彼女に本気で怒られたのは、片手で数えるくらいだが、思い出しても、あれは怖い。まるで般若の顔のようだった。
小学校の時の遠足で、山に登った時のことだ。野兎を見つけた私は、見つけた嬉しさとそのあまりの可愛さに、麗奈の静止の声さえ聞かずに野兎を追いかけてしまったのだ。道を踏み外した私は斜面を転がり落ちた。落ち葉が受け止めてくれて大した怪我はしなかったが、斜面は小学生の体と力ではとても登れそうにない急なもの。私は頑張って助けを呼んだが、聞こえるのは反射したことで返ってくる自分の声と、何の動物かもわからない鳴き声だけ。どんどん日が沈み、体が冷えていく。カサカサッと周りで音がした。光る目が見えた気がして、私はあまりの恐怖に体を縮こまらせた。寒さで震えているのか、恐怖で震えているのか分からなくて、ただただ小さな声で助けを呼んでいた。
———のどか!
私を見つけてくれたのは、麗奈だった。息を切らした彼女は後方に「のどかいたー!」と叫ぶと、斜面に足をかける。降りてくるのは危ない!という私の声を聞かず、彼女は軽やかに降りてきた。目の前にやって来た幼いながら美しい少女は薄暗い中でも私の目には輝いて見えた。彼女はザクッザクッと落ち葉を踏んで私の前にやってくる。
「れいな、ちゃん?」
下を向いた彼女の様子が気になって私は下からその顔を覗き込んだ。もしかしたら軽やかに見えただけで、足をくじいたのかもしれない。しかしそれは杞憂だったとすぐにわかる。
「の~ど~か~!アンタねぇ!」
「ひぃ!!ごめんなさい!」
般若の顔をした美形はとても怖い。
「一番最初に先生が言ってたでしょ!山道は整えられてるけど、一歩道を外れればすごい危険がいっぱいだって!こういう急な坂があったり、危険な生き物で溢れてんの!分かるでしょ!なのに、私の声も聞かないで考えなしに飛び出して行って…。これでもし私が見つけられなかったらどうするつもりだったの?!」
「ご、ごめんなさ~~~~い!!」
麗奈の顔があまりにも怖くて、暗闇に感じてた恐怖はどこかへ飛んで行っていた。号泣し出した私に麗奈はその後も怒っていたけど、言いたいことを言い終わったのか息を一つ吐く。顔を見ればまだ言い足りないように見えた。カタカタと震える私に気づいた麗奈は、ぎゅっと私を抱きしめてくれる。
「はー…。ほんと、こういうのは二度とやめてよね…」
「…麗奈ちゃん…。もしかして、心配してくれた…?」
即座に帰されたのは小学生とは思えない低い「はぁ?」という声。そんなわけないでしょ、と強い口調で否定され、私は自分の調子乗りを大いに反省することになる。迷惑かけて、探しに来てもらって、その上心配してくれたのかもしれないと調子に乗って。ごめんなさい、と謝罪しかできなくなった。
ぎゅーっと強く麗奈に抱きしめられる。
「…ほんと、馬鹿…」
少し苦しかったけど、彼女のぬくもりが冷えた体に伝わって震えが収まっていく。熱を持った麗奈の体に、走って探してくれたのかな、と思った。しかしそれを言うとまた怒られるかもしれないなと口を噤んだ。
今思い出しても、身震いするほど麗奈の般若顔は怖い。
私は二人に礼を言い、教室の扉を開ける。ある者は体を振るえさせ、ある者は腰を抜かして地面に座り込む。奥の方で怒りに顔を染めた麗奈を見つけた。
「麗奈ちゃ、じゃなくて、麗奈ー!ご注文の商品、買ってきたよー!」
少し時間が空いただけで、推しというのは新鮮に見えるから驚きだ。会えてうれしい気持ちが前面に出てしまった私は、恐らく今満面の笑みを浮かべていることだろう。
「はい!『濃縮120%!シャインマスカット&マンゴーの搾りたてミックスジュース』!遅くなっちゃってごめんね~。なんか校内の自販機には置いてなくて、ちょっと近くのコンビニまで行ってて、それで遅くなっちゃったんだ~。待たせたでしょ?のど乾いたよね。はい、ぜひこれ飲んで!」
差し出しても麗奈は受け取ろうとはしない。もしかしてお望みのものはこれではなかったのだろうか。昼休みももう終わりを告げる。今から麗奈の望む商品を買いに行くことは正直難しい。だがそれがなんだと言うのか。推しのお願いを叶えるためなら、授業など私にとって爪の先程気にならないどうでも良いものだ。
麗奈にもう一度商品を買ってこようと、改めて商品名を聞こうとした私の耳に、囁き声が聞こえる。
「もしかして藤峰さん、わざと遠いとこまで買いに行かせた感じ?」
「え、自販機にないって知ってて?それ本当だったら、性格えぐくない?いくら顔が良くても、ちょっときついよな」
私の耳に聞こえると言うことは、麗奈にも当然聞こえている。彼女の綺麗な手が、何かを耐えるように強く握られていた。
聞こえるような声でコソコソ話をするのはちょっと頂けない。どうせ話をするのなら、しっかり向かい合って話をした方が良いと私は思う。しかし問題はそこではない。麗奈が自販機にないというのを知っていて、敢えて私に遠くまで買いに行かせたのか。私に嫌がらせをするために。嫌な思いをさせるために。
「うん、例えわざとだとしても、私には問題じゃないよ」
顔を上げた麗奈は、私の本心を探ろうとする疑いの目を向ける。ついこの間も言ったじゃないか、私は麗奈に嘘を吐くことはないって。
「その労力も、その思いも、全部込み込みで推しから与えられたものだもん。それがどんなものだったとしても、ファンからすれば推しからのものはさ、最っ高のものってことには変わりないんだよね!」
それに、と前置きして、私はコソコソ話が聞こえた方を振り返る。端の方で男の子たちがこちらを見ていた。私が見た瞬間に肩が一瞬震えていたから、彼らだろう。
「この性格と顔こそが、麗奈なんだよ!」
意識が吹っ飛ぶほどの美しい顔面を持ちながら、性格に難がある。これこそが麗奈なのだ。それこそが麗奈なのだ。
「憶測で話すんじゃなくて、まずはもっともっともっともっとも~っと!麗奈のことを知って欲しいな!」
にこっと笑う私に、まだ麗奈の怒りが怖いのだろうか、彼らは顔を青ざめながら何度も頷く。私の思いが伝わったようで何よりだ。
「…アンタ以外に知られる必要性、ないし」
「はぅ!」
急な推しからのデレに私の心臓が止まりかけた。危ない危ない。私だけが特別だと思わせる高等テクニックだ。なんてものをファンに使うのだ。殺傷能力の高い刃物と同じくらいの威力を発揮すると言うのに。何とか呼吸を繰り返す私を残念なものを見る目で見てくる麗奈。バッと私が手に持っていた飲み物を強引に取る。そんなところも、大変解釈一致である。
麗奈の鞄を持って、いつもと同じ帰り道を歩く。今日も麗奈といられて幸せだった。横から声をかけられて、勢い良く返事をする。だが何も言われない。彼女を見れば、何やら考えているようだった。足を止めた彼女につられて、私も足を止める。
「…私の事、嫌いになった…?」
伺うような麗奈に、のどかは香梨奈ちゃんと涼子ちゃんから聞いた話を思い出す。私に捨てられると言われた麗奈。嫌われて、見放されることを恐れているのだろうか。確かに麗奈は友達はいない。取り巻きとなる人たちは沢山いるだろうが、信用できるのは今の所学内では私だけだろう。
「嫌いにならないよ」
にこっと笑えば、麗奈はほっと息を吐いた。安堵した幼馴染の表情。
「顔面圧と言葉が強い推しの、「嫌われてしまうかも…」と身近な人間に縋る弱った姿は解釈不一致…かと思ったけどそうでもない!めちゃくちゃ有り寄り過ぎる有りです!いつもの強気な冷たい麗奈ちゃんからは得られない…というか、いつもとのギャップに今私の心臓は限界を迎えそうになってる!存在自体が最高です!」
悶える私を冷めた目で見下しては置いていこうとする麗奈に、先程の弱った姿は見えない。慌ててついていくと、麗奈は長い息を吐いた。
「まぁ、アンタはそういう人間よね」
どういう意味かは分からなかったけど、私は推しの言葉全肯定人間なので、勢いよく「うん!」と頷く。
「そういえば、小学五年の遠足の時。のどか、ウサギ追いかけて行ったけどさ、アンタ私置いてどっかに行くようなことしないじゃん。なんであんなことしたの?」
あぁ、と私は当時を思い出しながら口を開いた。
「だって、麗奈ちゃんがウサギ見たいって言ってたから」
先生が「クマやウサギなんかが出るので気を付けてください」と注意喚起をした時、横に座る麗奈が小さな声で「ウサギ、見たいなぁ」と呟くのをもちろんのどかは聞いていた。
「麗奈に見せてあげたいなって思ってさ、それで捕まえようとしたんだ~」
「…つまり、私が言ったから?にしてもウサギ捕まえるとか、無謀すぎでしょ」
「うーん。でも、麗奈ちゃんのお願いは、叶えたいなって思ったんだもん!」
私がニコニコと笑って言うものだから、麗奈はおかしいとばかりに噴き出す。
「あはははは!やっぱアンタも大概だわ!」
何にそこまで笑っているかは分からないけど、私は推しの大爆笑を見れて幸せで一杯になる。推しの願いを叶えることは、推しの幸せにつながり、そして私の幸せにつながる。
推しからの無理難題は、私にとってはご褒美なのだ。
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