第33話 妹(弟)は可愛いと思う

第33話 妹(弟)は可愛いと思う


1


「……」

「綾乃さん……ここら辺でどう?」


 レジャーシートの端を手に持ちながら、私はぼーっといた。

 正面にあるのは凛久君の姿。反対側のシートの端を持ちながら、私に指示をしている。小石だらけの河原に即席の休憩所を作るためだ。

 凛久君は怪訝そうに眉根を寄せて、


「どうした?」

「いえ……その……そうね、この辺に敷きましょうか」

「……? ああ、そうだな」


 レジャーシートを小石だらけの地面に敷いて、隅に手頃な石を載せて固定する。

 やっぱり、昨日あんなこと聞いちゃったからなんて言えばいいのかわからないわね……

 家族なのに…やっぱり距離を感じるのよね……凛久君って本当に信頼している人は結花や風切君みたいに……あれ?


(そういえば……私ってずっと綾乃さんって呼ばれているわね)


 前に2回だけ綾乃って呼んでくれたけど(本当は4回だけどね)、あれから随分経つのに……ずっと綾乃さんって呼んでいるわよね……じゃあ私も……

 少し嫌なことに気がついていると、水音がせせらぐ方向から声が聞こえる。


「入りなよ巧。流れ遅いし、怖くないよ」

「う、うん……」

「川底の石には気を付けてねー」

「わかってる……」


 朱音さんと巧くんがちゃぷちゃぷと水に足をつけて、川の流れの速さを確認していた。

 私たちは、橘家の近くにある川に来ている。

 川がせせらぐ音と吹き渡る風、ざあっと静かな葉擦れの音が心地いい。陽射しは強いけど水辺だからか、さほど熱くも感じない。快適な避暑地だ。

 橘家に親戚が集まったときは、この川でバーベキューをするのがお決まりらしい。とんだ陽キャ家族だけど、こんなところがすぐ近くにあればバーベキューのひとつもしたくなるというものだ。


 私たちは大人たちに先んじて川遊びに来ていた。ついでに、油断すると終日あの部屋から出ようとしない凛久君を外に引っ張り出すように、お義父さんに頼まれていた。

 連れ出すときは大丈夫だったのだ。ここまでの道中も平気だった。

 でも、その中で気が付いたのである。昨夜から……私が気まずい


「よし、これでいいかな」


 凛久君は広げたレジャーシートに荷物(タオルや救急箱が入っている)を置くと、いそいそとサンダルを脱いで、その隣に胡座をかいた。

 そして、荷物の中から文庫本を取り出し、短パン型の水着の上で開く。


「……凛久君……ここでも読むの?」

「いいだろ……俺は別に泳ぎたくないし」


 このマイペースさ、羨ましいわ。人の気も知らないで。

 ……私は気にしなくていいのかしら?


「綾乃ちゃん。日焼け止めと虫除けした?」


 巧くんを見ていた朱音さんが戻ってきた。


「あ、今からです」

「おっけー。ちゃんとやっときなよ、綺麗な肌なんだから。わたしも今からやろっと」


 朱音さんはサンダルを履いたままレジャーシートに膝をつき、荷物の中から日焼け止めクリームを取り出す。

 シートの端に座り込むと、パーカー型ラッシュガードのジッパーをジャッと下ろした。

 現れたのは、大人っぽい黒のビキニだ。

 余計な装飾も模様もないシンプルな布で、大きく前に張り出した胸を覆っている。その下の腰もきゅっと引き締まっていて、胸と腰とお尻とで見事な砂時計を形成していた。

 朱音さんは顔立ちが大人しめだから、妖艶な黒ビキニが余計に際立っている。

 にゅるっと手に出したクリームを腕に塗りながら、朱音さんは私を見上げて「にひっ」と笑った。


「どうよ? スタイルには自信アリ」

「はい……。すごく綺麗です」

「ありゃ、それだけ? 男にせよ女にせよ、わたしの胸見ると大抵もっと盛り上がるんだけどな」

「あー……実は、知り合いにもっと大きそうな子がいまして……」

「え!? マジ?!G以上?!紹介して、その子! 揉みたい!!」

「ダメです。同性でもセクハラです」

「ええー! ケチー!」


 本気で唇を尖らせる朱音さんに、私は笑う。というか、朱音さん、Fカップなんだ……。そりゃあ黒ビキニも着ようというものだ。


 すぐ横にいる凛久君をちらりと見る。

 相変わらず本に目を落としている――ように見えた。

 ……見てた? 見てなかった?

 朱音さんの水着にはハナから興味がないのか、それともすぐに目を逸らしたのか……。

 もし仮に凛久君の初恋が朱音さんだとしたら……(本当に仮です。実際は違います)

 私は一般的な男子というものが、果たしてどんな相手で初恋をするものなのか、一般論として知ってみたかった。一般論として。

 調べてみると、やっぱり年上の女の人だったらしい。

 いやまあ、子供にとっては大半の人間が年上なんだから、確率的にね、そのほうが多いのは当たり前なんだけど。でも凛久君の場合、女の人なんて周りには親戚の朱音さんくらいしか……まぁあの幼馴染みを除いた場合だけどね。

 でも、うー、モヤモヤする。

 だって、初恋だったのが私だけなんて、何だか負けたような気持ちになるじゃない。

 まあべつに? 凛久君が初めて好きになったのが誰だろうと? 私にはまっっっっったく関係ないんだけど!(まず初恋の相手が違うけどね)


「はい、綾乃ちゃん。日焼け止め」

「あ、はい」


 プシュー!と虫除けスプレーを脚に吹きつけながら、朱音さんが日焼け止めクリームを手渡してくる。

 私はそれを受け取ると、いったんサンダルを脱いでレジャーシートに入った。


 身の置き所を探す。

 さして大きくないレジャーシートの中に、すでに凛久君と朱音さん、二人もの人間が座っているのだ。選べるほどのスペースはなく――――というわけで、仕方なく、私は凛久君の隣に座った。


 私も朱音さんと同じく、水着の上にラッシュガードを羽織っている。

 このままでは脚にしかクリームを塗れないわけで、なので至極自然に、私はラッシュガードのジッパーを下ろした。

 中に着ていたのはもちろん、この前、凛久君と買いに行った、白地にフリルのついた水着。

 トップスはビキニだけど、ボトムスはスカート。これが私にできる露出の限界だった。


 何気なしにクリームを手に出しながら、隣の凛久君の様子を窺う。

 やはりというか、視線は手元の本に注がれていた。

 ……平然としてるけど、水着を買ったときは興味ありげにしてた気がするし。この人は、視線を察知する能力が高いからなあ。すぐに目を逸らしたのかもしれない。

 あるいは、買うときに見たからもう興味ないとか……?

 あーもーっ! わかんない!!


「うおっわは」


 朱音さんが変な歓声を零した。


「綾乃ちゃん、ほっっそ……。どうなってるの、そのウエスト? 本当に内臓入ってる?」

「は、入ってます……。筋肉がないだけです」

「いやいや、超羨ましいよ~。わたしも細いって言われるほうだけどさ。それだけ細いとおっぱいも大きく見えるね」


 私がさっと腕で胸を隠すと、朱音さんは「揉まない揉まない」と笑った。


「水着も可愛いよね。自分で選んだの?」

「えーと、まあ一応……」

「まあ一応? ……ふうーん?」


 朱音さんは意味ありげに口角を上げると、ずいっと私の耳に口を寄せた。


「彼氏?」

「いえっ……だからいませんって……」

「ふっう~ん。でも初恋くらいはしているんじゃないの?」

「いや、それは……」


 反射的に、ちらりと隣の凛久君を一瞥する。


「えっ?」


 朱音さんが目を丸くして、慌てて口を押さえる。その視線は凛久君に向いていた。

 あっ……!まずい!


「えっえっえっ、ほんと? そういうやつ?!」

「いっ、いやいやいやっ!違います違いますっ!」

「焦り方が怪しいなぁ~」

「ホントに違いますからっ……!勘弁してください……!」

「そういうことにしておこっか~」


 目を輝かせながら、にやにやと下世話な笑みを浮かべる朱音さん。

 だ、大丈夫かな……。さすがにお母さんたちに話したりしないと思うけど……。


「あれ?でも昨日、凛久くんには仲のいい女の子がいるって優美さんに聞いたけど……。あれっ?もしかして、凛久くん、モテる……?」


 この様子を見るに、どうやら朱音さんのほうは、凛久君のことは何とも思っていなさそうだ。まあ思っていたからと言って何だという話だけど。

 ……というかお母さん、私たちの個人情報漏らさないでほしいのだけど……いや、これは凛久君のことをお母さんに言った私が悪いか……


「綾乃ちゃんは今年、もう海行ったの?」


 入念に日焼け止めを塗っていると、朱音さんは不意に話題を転換した。


「いえ……特には」

「え〜なんで?そんなに可愛いのに〜」

「ナンパされるのが嫌ですし、遠いので……」

「まぁ確かに、めんどくさいのに絡まれるとテンション下がるもんね~」


 当たり前みたいに言う朱音さん。見た目だけなら本屋の店員や図書館の司書でもやっていそうな大人しい雰囲気なのに、ナンパされたことあるんだ……。

 いやまあ、このスタイルで黒ビキニなんか着てたら当たり前か。


「じゃあ、その水着も川遊び用かぁ。もったいないなぁ」

「でも、人がたくさんいるところで水着になるのって、恥ずかしくないですか……?」

「わからんでもないけど、わたしは特に。むしろせっかく可愛いの選んで買ったんだから見せびらかしたいじゃん?」

「……わからないでもないですけど」

「綾乃ちゃんもそんなにスタイル良くて可愛いんだからさぁ、せめて友達には見せびらかしなよ! 写真撮って、写真!」

「え、ええ~……?」


 確かに水着、凛久君にしか見せてないけど。でも、わざわざ写真を撮ってまで……。

 戸惑っていると、朱音さんは勝手に私の荷物をごそごそ漁り、「これだ」と私のスマホを取り出した。な、なんて強引な……。


「はい、じゃあこれ。自撮りで――いや、ちょっと待てよ……」


 強く拒否することもできないでいるうちに、朱音さんは悪戯っ子のように笑い、


「りーくーくんっ。お取り込み中すみませーん! 写真いいですかー?」


 私のスマホを、読書中の凛久君に差し出した。


「……えっ?!」


 反応が一瞬遅れた。

 しゃ、写真いいですか? 何が?!なんで?!

 凛久君は緩慢に顔を上げ、差し出された私のスマホと、ニコニコした朱音さんの顔を見た。

 いや、大丈夫。あの凛久君が読書を中断してまでこんなことに付き合うはずが――


「……はいはい、いいよ」


 あれ?!

 凛久君は本を閉じ、朱音さんから私のスマホを受け取る。

 私が話しかけてもろくな返事しないくせに……! なんで朱音さんだけ……!


「……んひひ。良きかな良きかな。じゃあ二人とも、立って~」


 朱音さんは怪しくにやにや笑いながら、私たちを立ち上がらせた。

 私と向かい合った凛久君が、顔の前にスマホを構える。


「そうそう。綾乃ちゃんはカメラ目線で。ポーズは……無難にピースでもいいけど、ここは後ろに手を組んでみて!」


 あれ? なんでポーズまで指定されてるの?

 疑問を口にする間もなく、私は唯々諾々とスマホのレンズを見上げ、背中で手を組む。

 ……凛久君の目が、スマホの画面に向いている。

 レンズを通じて、水着姿の私をじっと見ている。

 生々しい視線を感じる気がして、全身がむずむずした。

 な、なんかこれ、恥ずかしいのだけど……。


「……とは反対だな」


 凛久君がぼそりと呟いた。

 いつか? この状況の反対って言うと、私が凛久君を撮って――

 あ。テーマパークに行ったの日の。

 私のスマホに未だ保存されている、あのかっこいい凛久君……いや、今も十分かっこいいけど……(これが恋におちた人の色ボケPart2)


 わ、私、今、あれと同じ……?


「おっ、いいねその表情! シャッターチャンス!」


 カシャッ! とシャッター音が鳴り、私は肩を跳ねさせた。

 いっ、今?!完全に気が抜けてたのに!

 凛久君はスマホを下ろすと、しばらくその画面を眺める。


「どう? どう? 見せて見せて!」


 朱音さんにせがまれて、凛久君はスマホの画面を見せる。


「おおっ、これはこれは……」


 私も画面を覗き込むと、そこには後ろに手を組み、身体を前に傾けて、ほのかに頬を赤らめながらこちらを見上げている、水着姿の女の子がいた。

 …………これ、なんか……。

 朱音さんが「にっひっひ」と怪しく笑い、言った。


「立派な『』の完成だね、綾乃ちゃん!」


 あ。あああ~!

 この画角、表情、ポーズ、ものすごい『に撮ってもらった』感……!


「いや、ダメじゃないですか! なんで匂わせる必要があるんですか!?」

「なんか楽しいじゃん?」

「楽しいじゃん!?」


 理屈が存在しない!


「いいじゃんいいじゃん。あとで『お兄ちゃんに撮ってもらいました~☆』って言ってネタばらしすればさ。お友達も誰だ誰だって騒げて、綾乃ちゃんも優越感に浸れてWIN‐WINってやつ。……あれ? どっちが上なんだっけ?」

「私が姉です」

「俺が兄だ」


 すかさず私と凛久君が言うと、朱音さんはけらけらと笑った。

 どうしよう、この写真……。別に優越感に浸りたいとは思わないんだけど。

 考えた結果、この写真は私のスマホで厳重に保管することにした。

 なんだか……消すのももったいなかったから……


2


 網の上に載せられたお肉が、ジュウウッと香ばしい音を立てている。

 同じ音があちこちから重奏して、河原にはたちまちお腹の減る香りが充満した。


「焼けたやつからどんどん食べてってー!」


 蘭さんが次々と串に刺したお肉を網に載せていく。もう七十歳近いと聞くけれど、私よりバイタリティがありそうね……。

 私は、バーベキューと言ってももっとささやかなものだと思っていたのだけれど、橘家のおじさんたちが車に載せてきたバーベキューセットは、総計六機にもなった。

 一体どこから持ってきたのよ……そんなにたくさん。

 私が不思議に思っていると、朱音さんが「あっ」とどこかを見た。


「巧~、口の周りべたべた~」

「ふぇ?」


 朱音さんの横であぐあぐとお肉を食べていた巧くんが、口の周りをタレでべたべたにしていたのだった。


「汚いなぁ、もお~。えーと、ティッシュティッシュ……」

「あ、私、ハンカチ持ってますよ」


 私はラッシュガードのポケットからハンカチを出すと、巧くんの前に膝を突いて、口の周りを拭ってあげる。巧くんは目を大きく開いて、されるがままになってくれた。

 うん、いい子ね。

 これが凛久君だったら、ハンカチを押し返して、腕とかで適当に拭っていたわね。


「はい、綺麗になったよ」

「……ぅ……ぁ……」


 巧くんが口をもごもごさせていると、朱音さんがにまぁと怪しく笑う。


「巧~。綾乃お姉ちゃんにありがとうは~?」

「あっ……ありっ、がとう……ございま、す……」

「はい、どういたしまして」

「うあっ……!」


 にこやかに返したのに、巧くんは顔を赤くして朱音さんの後ろに隠れてしまった。

 ……やっぱり私、避けられているのかしら?

 私のほうは、凛久君とは似ても似つかない可愛らしい弟ができて嬉しいのに……。


「にっひひ。罪だね~、綾乃ちゃん」

「詰み?」


 どうして急に将棋の話?


「あーあ。可哀想な巧。まあ、これも経験かぁ」


 むやみに意味ありげなことを呟いて、朱音さんはあらぬ方向を見やった。


「綾乃ちゃん、凛久くんの相手してあげたら?」


 朱音さんの見た方向には、レジャーシートに座り込みっぱなしの凛久君がいた。


「また唐突ですね……どうして私なんですか」

「いつもはわたしが絡みに行くんだけどね。それとなく拒否られるんだよね~」


 人に拒否られた話をよく笑いながらできるなあ……。

 凛久君は未だに本に目を落としていて、バーベキューに参加しようとする気配は見られない。橘家の人たちも、そんな凛久君を無理に連れてこようとする様子を見せなかった。

 定位置になっているんだ。

 そういう人間だと、理解されている。


「んー、仕方ないなぁ」


 朱音さんは急にバーベキューセットのほうに向かって、紙の取り皿にひょいひょいとお肉や野菜を集め、いっぱいになった取り皿を「はい、これ」と私に差し出した。


「え?……まさか……」

「そっ、凛久くんに届けてきて」


 にっひっひ、と朱音さんはまた怪しい笑みを見せる。

 ……これ、やっぱりまだ誤解されてるな?

 私と凛久君は、本当にそういう関係じゃないのに――恋してるのは私だけなのに。


「ほらほら早く~。冷めちゃう冷めちゃう」

「……わかりました」


 とはいえ、変に固辞すればますます怪しくなってしまう。

 私は大人しく取り皿を受け取り、凛久君が座っているレジャーシートに向かった。

 時刻は夕方。空も夕焼けが覆いつつある。川のそばに広がる森の影が、横ざまの陽光で長く伸びて、レジャーシートの辺りを包んでいた。

 その中で、微動だにせず文庫本に目を落とす。


 私はサンダルを脱いで、凛久君の隣にお尻を下ろした。


「はいこれ。あなたの分」


 取り皿を差し出すと、今度は一瞥をくれたけど、本を手放そうとする気配はなかった。


「いらないの?」

「置いといて、後で食べる……」


 凛久君が開いている本の、左手側のページがだいぶ薄くなっているのを見て、私は察する。

 クライマックスに入っているんだろう。それなら食事くらい後回しにしたくもなるかもね。

 ……だったら


 私は凛久君の取り皿から、お箸でお肉を一切れ摘まみ上げる。


「口開けて」

「は?」

「あ~ん」


 大人たちの笑い声が、すぐそこから響いてくる。

 凛久君の目が、ちらりとそちらを気にした。


「大丈夫でしょ。暗いからわからないわ」

「いや、そういう問題じゃなくて……」

「じゃあどういう問題?」

「それは……」

「えい」

「むぐ!」


 口が開いた隙にお肉を突っ込んだ。

 凛久君の口がもごもごと動いて、お肉を咀嚼する。ごくんと喉を鳴らして嚥下すると、凛久君は抗議の目で私を睨み、


「おい! 危な――」

「あーもう。口ベタベタにしてー」

「むぐむぐむぐ!」


 すかさず、私は用意していたハンカチで凛久君の口を拭った。

 すっかり綺麗になると、私はふふふと淡く笑みを零す。


「あなたって、黙っていれば、巧くんと同じくらい可愛いわよね」

「……だったら巧にしろ。なんで俺なんだ……」

「お姉ちゃん取られちゃってヤキモチ焼いている弟君に構ってあげようと思って」

「は?キモッ」


 くくくっと私は忍び笑いを漏らした。

 いつも小憎たらしいこの男も、扱いようによっては可愛い弟にできるみたい。

 切りのいいところがあったのか、それともこれ以上の『あ~ん』は勘弁だと思ったのか、凛久君は本を閉じて横に置き、私から取り皿とお箸を奪った。

 お肉と野菜を一緒に頬張り始めるに凛久君を、私は横から眺める。


「やっぱり……楽しくない?」


 口からスっとそんな言葉が出た。


「いや……楽しいよ。どこかの誰かさんが楽しくしてくれてる」


 そう言って凛久君はある方向を向く。私もそこに視線を向けると、巧くんを優しく見守る朱音さんがいた。

 あれ……でも凛久君……今の顔って……

 私は話題をそらした。


「そういえば、私たちも、ずいぶん変わったわよね」

「きょうだいにか?」

「そう。……なんか、最初の頃みたいにどちらが上かなんて前ほど気にしなくてよくなってきたかも」

「……そうかもな。でも、今日は、勝負していたら負けていたけどな」

「え?」


 せせらぐ川を見やりながら、凛久君はぶっきらぼうに呟く。


「水着姿を見てなって思ってしまったらさすがに負けだろ」


 ……あ。ああー……。

 そっか。なるほど。

 ふうん?可愛いと思ってくれたんだ?


「な……なんで、わざわざ、それ、言ったの」

「綾乃さんがめんどくさい人だって知ってるからだ。……安心した?水着を見てもなにも言わなかった理由がわかって」

「……ばか」


 意地悪に口角を上げる凛久君から、私は顔を逸らす。

 そんなこと言われたら、顔にでちゃうじゃない。


「ま、これからも緊張感を大事にしていこうよ。特にこっちにいる間はね。何せバレたらマズい相手が多すぎる」

「そうね……。確かに、そうかも」


 私は凛久君の顔を見てクスッと笑った。今、こうして話しているだけで楽しいのに………この関係が変わってしまうと思うと私は……この気持ちをどうしたらいいのだろう……

 ちらりと見ると、凛久君の手にある取り皿が空っぽになっていた。

 そして凛久君の目が、何もないそこに向いている。


「……足りなかった?取りに行く?」

「そう……だな」


 歯切れの悪い返事をしながら、凛久君はちらりと私を見て、


「じゃ、もう一回あ〜んしてもらっていい?」

「え?」

「たまには堂々と甘えていいだろ?」


 そんな可愛いお願いをする凛久君に私はにやっと笑って、ここぞとばかりに告げた。


「それじゃあ、前みたいにささやいてくれたら言う通りにしてあげる」

「……はぁ、しょうがないな」


 凛久君はため息をして、一度目をよそに向けた。

 それから、重い腰を上げて立ち上がると、座った私を見下ろしながら、真剣な顔で手を差し伸べてきた。


「綾乃……いいか?」

「うん……いいよ。」


 私は凛久君の手を握って、立ち上がる。

 やっぱり凛久君にとって私は特別な人……でもそれを前に出したくないだけなのね。

 今の私があなたに想う気持ちをあなたに言わないのと同じように……

 私はいつもよりも彼の手を強く握ってみんながいる方向へ足を向けた。



3


 バーベキューが解散になった頃には、夕日が山の向こうに沈もうとしていた。

 真っ赤に染まった田園風景と、真っ黒な影になった鉄塔を眺めながら、私と凛久君は車の通らない県道を歩いている。

 他に人はいない。

 車が何台かあったのだけど、歳の行った人たちや遊び疲れて寝てしまった巧くん、その付き添いの朱音さんが乗ってしまうと、定員オーバーになってしまった。

 まだしも体力のある若者の私たちは、だから徒歩で帰途に就くことになったのだった。


 案内役の凛久君は私の隣を歩いている。

 いつもみたいに一緒に歩き、夕染めのアスファルトを踏んでいく。


「本当に何もないのね」


 横合いに視線をやりながら、私は言った。

 所々に民家らしきものは見受けられるけれど、他には畑に田んぼ、そして電線を張る鉄塔。山に鉄の塊なんて不自然もいいところのはずなのに、不思議と景観に馴染んでいる。

 凛久君は前を向いたまま、


「でも落ち着ける場所は結構あるよ。高台とか神社とか」

「あぁ……そういえば明日お祭りがそこの神社であるのよね。」

「……あ、あぁそうだな。」


 予想したものとは少し違う返事をしたので私は少し首を傾げると、凛久君は足を止めて私をじっと見た。


「なぁ……

「?」


 突然、綾乃と呼ばれて私は振り返る。すると、少し頬を赤く染めた凛久君は真剣な顔で言った。


「明日の祭りにある花火……一緒に見てくれないか?2人だけで……」

「……えっ」


 予想なんてできない言葉に私は困惑する。凛久君が私と花火を見たいって……

 私まで頬が赤く染まりそうだった。


「……いいわよ。」

「そう……ありがとう。」

「いえ……」


 再び凛久君は私の隣で歩き、一緒に帰る。

 夕日はもう半分だけ。

 もう少ししたら夜がくる。

 でも、今言われてよかったかも……あんなの夜に言われていたら、暗くてもわかるくらい顔が赤くなってるの凛久君にバレちゃうかもしれなかったから……

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