カセットテープ
夏音
A面 エイリアン
滑走路を飛び立つ飛行機が、轟音をあげて空へと登ってゆく。
冬も、夕方の6時前となるとすっかり暗くなって、地平線は今や少しだけのオレンジ色を残すだけになっていた。
冬の透き通った空気に等間隔に並ぶ空港の灯りが雪の結晶のように白く冷たく光っている。
また気付いたらここに来てしまった。
学校にも、家にも居場所がなく、帰る場所もないまま、宛もなく自転車を走らせているつもりが何故かいつもここに来てしまう。
遠くに空港の見えるこの河原の公園に初めて来たのは小学校の遠足の時だったか、それでもこんな真冬の、こんな時間には誰もいなくて、欄干越しに見える水面も暗かった。
人と話すことが苦手で、自分が話しかけても誰も相手にしてくれないんじゃないかと思うとそれが怖くて、話しかけられた時以外話すことが出来なかった。
そのせいで小学校、中学校の時は少しは話せる存在も居たけれども、高校では誰とも話せなくなった。
そして誰とも話せずに教室に居たら、少しずつ周りから「暗い」「気持ち悪い」と言われ始め、次第に露骨に避けられるようになった。
声の大きな男子達はわざと聞こえる声で
「あ~あ、また暗いヤツが来たよ、ホント死んでくんねーかな」
と言い、女子達にも
「アイツ、キモイんだよね、マジ消えてくんないかな」
と言われ、どんなに息を殺して、それこそシャーペンで文字を書く音や、消しゴムを使う音にさえも気を付けて過ごしていたけれども、彼らにはそれがかえって気に入らなかったらしく、まるでゴキブリのように扱われた。
誰も触れたくない、視界にも入れたくないけれどもどうしようもなく目について嫌悪感を催す存在。
はじめのうちは毎日家に帰って、部屋の毛布にくるまって泣いた。
「ぼくが何をしたって言うんだ?何か悪いことをしたのか?ただそこに居て、それだけで、それがそんなにいけないことなのかよ?」
悔しくて悲しくて仕方なかった。
なんで自分がこんな思いをしなくちゃいけないのか、理由が欲しかった。
そして唯一の家族であるはずの母親でさえ、そんなぼくを腫れ物のように扱った。
家に帰っても大体仕事でいない。
たまに顔を合わせてもろくに顔すら見ようとしない。
冷蔵庫の中にはいつも冷えた晩御飯が入っていて、いつもそれを一人、レンジで温めて食べる。
モソモソと味も分からずにただご飯を食べていると、また自分がゴキブリにでもなったように思えて来て泣けた。
でも、それも2か月くらい前までの事だった。
ある日学校に行って何かを言われていても何を言われてるのかが分からなくなってきた。
確かに言葉は聞こえるし意味も分かるけどそれを理解できない。
授業にもついていけなくなってきて、もう何のために自分がこの場所にいるのか判らなくなる。
そして次第に何の反応もしなくなった自分は、とうとう学校に居る教師を含めた全員に無視されるようになった。
いや、無視ではなくきっと本当に存在を感じなくなったんだろう。
まるで幽霊にでもなったのかと思うくらいに全ての物事が自分を素通りしていった。
授業の指名や、それこそあんなに苦痛だった体育の授業でさえチーム分けなどであぶれた自分がグラウンドや体育館の隅に一人静かに行くまでが当たり前の風景になっていて、教師も特別そのことを気にしなかった。
もう苦しくすらない。
ただただ自分が生きている意味を何一つ感じることが出来ず、簡単な思考すらまとまらなくなった自分はもう取り返しようもなく壊れてしまったんだと気付いた時、本当の意味で自分の人生に絶望した。
絶望とはずっと大きな心の動きだと思っていた。
それこそ自分では受け止めきれないほどの大きな負の感情。
でも違った。
本当の絶望は全てを自分から持ち去って無に帰すような空虚なんだと知った。
またもう一機、暗くシンとした夜の空気を引き裂いて飛行機が空へと登ってゆく。
今日で終わろう。この無意味でちっぽけな自分の人生を。
きっと自分がここで死んでも、誰も気にも留めない。
ゴキブリの死骸を見つけたように顔をしかめて、でも目に見えないように処分してしまったらもうその瞬間から何事もなかったように元の日常に戻る。
気付くともう自分は欄干を背に暗い川面を見ていた。
きっと今自分の顔を鏡で見たら、自分の目もきっとこの水面のように何も映さないがらんどうなんだろう。
そっと目を閉じる。
指先が欄干を離そうとしたその時、不意に冷たい感触が右目の下に触れた。
ハッとして目を開ける。
それは冷えた指先に、赤くなった鼻先、震えるまつ毛に音もなく触れては溶けていく。
「あ、ああぁ、あああああああああぁ・・・」
顔を覆おうと欄干から手が離れた瞬間河に落ちそうになって思わず欄干に縋りつく、自分の胸の奥を軋ませながら出て来る声と涙でぐちゃぐちゃになりながら、どれだけか無様に川面とは反対側にドサリと落ちてへたり込んだまま両手で顔を覆って泣いた。
「やだぁ・・・死にたくない、死にたくないよぉ・・・」
零れる涙が熱い。鼻水がずるりとぬめり、地面に触れている足にはじっとりとした冷たい濡れた感触が伝わる。
自分の存在を覆い隠そうとするかのように降り出した雪に息が苦しくなる。
「いやだ!やだ!やだよぅ・・・お願いだよ、ぼくを居させてよぉ、なんでなんだよぉ・・・」
喘ぎながら空を見上げると、暗くなった空にちっぽけな星が一つ見えた。
それからどれくらい経ったろう。
我に返ると濡れたズボンや首筋を滑り落ちてゆく冷たい感触に体が震えて、立ち上がると、手に付いた鼻水やらを既にぐちゃぐちゃなズボンに擦り付けると、すぐそばに停めておいた自転車にまたがってふらふらと家へ向かってペダルを漕いだ。
家に着いていつも通り暗い玄関を開けると、リビングに明かりが点いているのが見える。
まるで夢の中を歩くみたいにリビングのドアを開けて中に入ると、母親が机に突っ伏していた。
小柄な母が寒々としたリビングの机に背中を丸めて伏せている姿は、想像以上に小さくてもろそうだった。
「母さん・・・」
口をついて出た言葉が聞こえたのか、母親がもぞもぞと起き出し、自分に気付いて驚いたように目を見開いたあと、いつものように目を伏せて
「ごめん、寝てた。今からなんか作るから」
っと台所で食事の準備を始める。
そんな姿をしばらく見ていたが、シャワーを浴びにバスルームへ向かう。
濡れた服を脱ぎ捨てると身体が軽くなった。
はじめは冷たいシャワーが暖かくなるのを指先で確認して頭からシャワーを浴びる。冷えた耳やつま先がじんわりと熱くなって、目を閉じて俯くと、温かいお湯の感触が全身を洗い流してくれているのを感じた。
いつもよりゆっくりとタオルで身体を拭いてリビングに戻ると、自分が席に座るのを見計らうように母が一人用の煮込みうどんの入った土鍋を目の前に置いてくれる。
母も自分の分を台所から運んでくると「いただきます」と言って食べ始めた。
白い湯気が登る土鍋の中の具材たちは、みその匂いをまとって白い蛍光灯の下、本当においしそうだった。
自分の空腹に今更気付いて白い陶器のレンゲでスープをすする。
おいしいと、素直に思った。
涙が出るくらいに、おいしいと、思った。
「母さん、ごめん、ぼくもう学校に行くのやめる」
「うん」
「ごめん、もう行けない」
「うん」
気付くと涙がぽたぽたと鍋の中に落ちて、必死で止めようとしたけれど「ごめんなさいごめんなさい」と泣く自分の向かいで母も「うんうん」と静かに涙を流しているのが見えて涙が止まらなかった。
すっかり空になったお鍋の中には、それでもさっきまでの温かい雰囲気が残っていて
「ごちそうさまでした」
というぼくに、鼻を真っ赤にして涙ぐんだ母が
「どういたしまして」
と微笑んで見せた。
ぼくの生きる意味や価値が、いつかこの星に出来ればいいと、そう思った。
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