第6話 街の混乱とイリスの決断

 ――邪悪な儀式の片鱗を垣間見た地下礼拝堂からの救出劇が終わり、街の人々に司祭の闇への不安が広がっていた。だが同時に、救われた者たちの証言を軽んじる声もあり、ベルジアは今まさに真っ二つに割れようとしていた。


 倉庫の扉を開けると、かすかな薬草の匂いが鼻をくすぐる。

 ここは俺とイリスがひっそりと身を寄せ、救い出した人々を介抱している場所。薄暗い室内には、やつれた面持ちの男女が藁布団に横になり、うつろな目で天井を見つめていた。


「イリス……まだ魔力を使い続けてるのか? 少し休んだほうがいい」


 俺は部屋の隅で治癒魔法を唱えているイリスに近づき、声をかける。

 彼女の額には汗がにじみ、顔色は明らかに悪い。それでもイリスは一瞬微笑むと、首を横に振った。


「わたしが手を止めれば、この人たちがどれだけ苦しむか……。今は一人でも多く楽にしてあげたいんです」


 消え入りそうな声だが、その瞳には強い意志が宿っている。

 破門されてなお、人々を救いたいという想い。それが彼女を支えているのだろう。


 ベッド代わりの藁布団で横になる少女が、イリスの手を握りしめる。


「イリスさんの治癒で痛みが和らいだ……本当にありがとう……」


 頬にわずかな赤みが戻った彼女は、目に涙を浮かべながら繰り返し礼を述べる。

 イリスは困ったように俯いたが、やがて小さく微笑んだ。


「こちらこそ、もう少し力になれるはずですから……安心してくださいね」


 倉庫の外に出ると、乾いた風が頬を撫でていく。人気の少ない裏路地には、行き交う人の姿はほとんど見えない。

 だが、耳を澄ますと遠くの酒場から人々のざわめきが聞こえてきた。


「教会の地下で何かヤバいことしてるって話だぞ……」

「そんなバカな。司祭様がそんな邪悪な真似をするなんて……」


 街の中心部へ向かうにつれ、そうした会話が断片的に飛び込んでくる。恐怖に震える者、現実を受け入れたくない者、そして破門されたイリスをでたらめを吹聴する元凶と罵る者もいる。

 ――人間は、信じたくない真実からは目を逸らしたがる。俺はその事実をひしひしと感じていた。


「ユイトさん……これ以上、噂が広がれば街はますます混乱しますね」


 遅れて出てきたイリスが申し訳なさそうに眉を下げる。


「でも、あの地下礼拝堂で起きていたことを知れば、もっと大きなパニックになるかもしれない……」


 夕刻、倉庫の敷地に慌ただしい足音が近づくと、協力者の若者が息を切らせてやってきた。


「ユイトさん、大変です。教会の制服を着た男が、倉庫の外に……!」


 外へ出ると、確かに司祭の部下らしき男が不気味な笑みを浮かべていた。


「イリスに伝えろ。司祭様の儀式は近い。今度邪魔をすれば、お前たちも生贄にしてやる……とね」


 威圧的な瞳がイリスを射抜き、唇が嘲笑の形に歪む。


「儀式……まだ続けるつもりなんですか……!」


 イリスは震える声で問うが、男はあざけるように鼻を鳴らす。


「愚か者め。司祭様はさらに強大な力を得るのだよ。お前のような者がどう足掻こうと無駄だ……」


 鋭い眼光を残し、男は踵を返して立ち去っていく。彼の足取りからは、すでに勝利を確信したかのような余裕が感じられた。

 街角でその姿を遠巻きに見ていた住民たちが、ざわざわと小さな声で噂を交わす。


「やっぱり司祭様は怒ってるらしい……これ以上変なことをされると、街全体に報復が来るって……」

「まさか、本当に怪しい儀式をやるなんて……もし事実ならどうするんだ……」


 不穏な囁きが冷たい風に乗り、イリスは黙り込む。顔には苦悩が色濃く浮かんでいた。

 それから少しして、近隣の住民が倉庫の前に集まりはじめた。


「イリスさん、あんたのせいで司祭様が本気になったって話もあるんだ……どう責任取るつもりだ?」

「破門ってことは、教会に逆らったんだろ?」


 心ない言葉が投げかけられ、イリスは歯を食いしばる。治癒に追われ憔悴している彼女の表情は、限界まで追い詰められているように見えた。


 だが、その時、倉庫の中から救出された人々が意を決したように姿を現す。かつて教会の地下で苦しんでいた者たちだ。


「待ってください! 私たちはイリスさんに救われた。闇の儀式は確かにあったし、彼女はそれを止めようと必死なんだ……!」


 まだやつれた顔の男性が、震える声で叫ぶ。周囲の視線が彼に集中し、息を呑む空気が漂った。


「騒動を大きくしてるんじゃない。むしろ、司祭の邪悪さを暴かなければ、もっと被害が出るのは目に見えている……!」


 イリスは目を伏せたままだが、小さく震えるその肩には拠り所を得たような気配があった。

 俺は彼女の傍らに立ち、少しでも彼女の心を支えたいと思う。街の声が分かれていても、今は司祭を止めることが最優先だ。


 夜が更け、倉庫の中に戻ったイリスは、立っているのもやっとというほど疲れきった様子だった。

 しかし、その眼差しにはわずかな力が灯っている。


「ユイトさん……。私、もう逃げたくありません。破門されても、街の人から罵られても、司祭様を止めなければみんなが危ない……」


 彼女の声には迷いがない。朝から晩まで限界ギリギリで治癒を続け、罵声を浴び、それでも「人を助ける」という思いが消えない。


「行こう、イリス。あいつらが儀式を始める前に、決着をつけるしかない」


 俺も剣を握りしめ、胸に燃える熱を感じる。

 イリスは小さく頷き、褪せたシスター服の裾を握る。


「……皆さんの助けも借りて、再び教会に乗り込むしかありませんね」


 その覚悟を聞きながら、俺は彼女の手をそっと握った。


「大丈夫。俺がどんな敵からでも君を守る。だから、一緒に行こう」


 ほんの一瞬、イリスが困ったように笑い、目元に涙を滲ませる。


「ありがとう……。わたし、ユイトさんが来てくれて本当によかった。破門されて……ずっと一人だったから……」


 ふと、倉庫の外から吹き込む夜風が、肌を冷やすように感じる。まるで迫り来る嵐の予兆――司祭の企む儀式が、もうすぐそこまで近づいているのだ。


 深夜、外は星の光すら朧げにかすんだ暗さ。

 遠くから聞こえる風の鳴り声が、不気味な旋律を奏でる。まるで町全体が沈黙の中で息を潜め、嵐の気配に身を震わせているようだ。


「明日……下手をすれば、今夜中にも儀式が始まるかもしれません」


 イリスはランタンの明かりをじっと見つめながら呟く。


「司祭様は、わたしたちがまた来るのを待ち構えている……。その誘惑に乗るしか、止める方法はないんですね」


 覚悟を決めた声の中には、不安と決意が同居している。破門された彼女は、これまで孤立の恐怖に耐えてきた。だが今は違う。


「心配するな。俺と一緒に戦う仲間だっている。あの被害者たちも声を上げてくれている。イリスはもう、一人じゃない」


 俺は再び剣を見つめ、胸に燈る剣聖の力を感じ取る。

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