2

 クーラーボックスの女、自称神サマは、


・大量の呼び名を持っていること


・どれが名前かは決まっていないということ


・なので好きに呼んで欲しいということ


などを矢継ぎ早に述べ、しかし急に言われても難しいだろうから、一番最近使われていた呼び名である「マスナ」と呼べという結論に至った。曰く、この荒野の砂漠信仰集団に捕まった――奇蹟を使うところを目撃され、祀り上げられてしまった――際のことに由来するのだという。彼女はこういった事態に巻き込まれることがかなり多いらしく、対立する二宗教の神を掛け持ちでこなしていたこともあったらしい。ではおまえは何なのだ、といった質問をすれば、「高位存在、世界そのもの、根源、それらをひっくるめた概念――解釈はバラバラすぎるのにどれもだいたい正解で、けど大して意味はないから、やっぱりわたしは神サマなのです」と、曖昧な答えを返される。


「で、その神サマが」


 全てを諦めたレウスはをいったん机の上に置き、あまりに整っていて美しい顔に「惜しいなぁ……」と苛立ちすらしながらも、まずは依頼内容を聞くことにした。バラバラの彼女はにこやかに笑いながら、


「マスナでいいよう」

「……マスナが、あたしになんの用なの」

「あなたのお名前は?」

「あたしはただの、フリーの運び屋だよ」

「運び屋さんって信用商売でしょう? お名前、聞かせてほしいわ」

「あーもう、面倒くさいな! レウスだよ、あたしの名前。宗教団体の一員でもなければ信仰心もない、ただの無力な一般人……あたしがあんたにしてやれることって、何もないと思うんだけど」

「そんなことないわよ、レウスちゃん。誰だってみんな、何もできないってことはないわ。みんな互いに影響を与えることだってできるし、だから人生って面白いんじゃない」

「影響ね……誰かを、殺したりもできるし?」


 正直なところ、レウスとしてはマスナの話がキナ臭くなった時点で面倒になっていた。危害を加えてくるつもりはないらしいが、なら長く付き合うつもりもないというのに。ついには周回聖人よろしく「面白い人生」について説き始めたので、嫌がらせめいた質問をして終わらせるつもりだった。だが、マスナの返答は違う。今までと全く変わらない、彫刻のような笑顔で、


「その通り、人は人の人生を終わらせることができる。そして、人生は一つしかないから、終わらせられるのはたった一人、かけがえのない唯一人だけ。これってとても面白いわよね」


 マスナの明るさは変わらない。内容も相まって、マスナの声は臓腑に冷たいナイフを滑り込ませるような不快感と、全てを分け隔てなく照らし暖める太陽めいた無慈悲さを湛えていた。こいつも規格外に頭がおかしい。レウスは相手との格の違いに気づいて言葉を失ってしまい、彼女の次の言葉を待つしかなくなっている。人ならざる者のカリスマというものを、少女は今日初めて経験した。


「だからわたし、レウスちゃんにそのかけがえのない一人になってもらおうと思って」

「……は?」


 この自称・神サマは何を言っているのだろう。緊迫していた――のは、レウスだけだったが――空気は、その唐突すぎる言葉に一気に弛緩する。いやいやいや。かぶりを振りながら、レウスは六杯目のウイスキーを煽るが、味はせず、舌の痺れだけが残る。


「つまり、あたしに、あんたを殺せっての?」

「あ、もちろんそんな無理なこと言わないわよ。ただの人間がわたしレベルの神性を破壊なんてできるわけないし……」

「なんでちょっと恥ずかしそうな顔してんの」

「だって……あまりに恐れ知らずなんだもの。今まで会ってきた人間ってみんなわたしに畏まってばかりだったから、ちょっと、いいな、って……」


 顔を赤らめる生首。はじめこそ、その顔の良さとクーラーボックスの肌色面積にどきりとしたものの、ここまでくると呆れしかない。ナチュラルに舐められていることにも、何の感情も抱かなかった。


「ホントは、全部自分だけでやるつもりだったんだけど。なんとか致命傷が致命傷になるように、神性を消費しまくって、自己封印も自傷行為もいっぱいしたんだけど、そのせいで自分で身動きが取れなくなっちゃって……恥ずかしいわぁ……」

「じゃあ、ここまではどうやって?」

「残り小さなの神性を使ってね、遠回しに因果を操作したりしただけだよ。ほら、どこかでちょうちょが羽ばたいて、ってやつ、知らない? それを意図的に起こして『私が運び屋さんに会えるように』ってえにしをいじくっただけよ」


 イマイチ理解できなかったので詳しく詰めた結果、マスナは「自殺の計画中に一人では死ねなくなったとんでもない間抜けな神サマ」だということで落ち着いた。あまりにアホくさい表現に対して、起こった事象がいくらなんでも超現実的すぎる。レウスも噂話ではそういう連中がいることを聞いていたが、実際に目の当たりにすると言葉が出てこなかった。


「とにかく、わたしはお手伝いをしてほしいだけなの。運び屋さんなら、危険な場所もいっぱい知っているでしょう? あなたはそこへ弱った私を運んで、棄ててくれればいいの」


 これは死体遺棄の依頼だと、職業人としてのレウスはそう解釈する。依頼主が死体本人であり、今でも現役で喋り続けることに目を瞑れば、たまに依頼される内容だし、業務の範疇ではあった。だが、運び屋が知っている危険な場所というのは、そこに行かないために、あるいは抜け出すために知っているのであって、そんな場所まで運ぶことは、ほとんど想定されていない。


「話は分かった。けど、見合った額が保証されてるの? あんたの支払い能力についてはかなり疑ってるし。それに、あたしだって危ないんだから」


 生きることに消極的なレウスといっても、別に積極的に死にたいわけではない。だが、


「それは大丈夫。わたし、今まで大量の貢ぎ物を貰ってるし、それに――」


 マスナは、レウスの瞳の奥をしっかりと見つめる。少女はマスナのその瞳を、夢で見た空の青のようだと思った。吸い込まれるような、救われるような青に飲み込まれて、少女は女の声を聴いている。


「あなたは死なない。わたしがあなたを守ってあげるもの」


 シュールな光景だった。自分ではほとんど身動きがとれない、生首が少女に言うような言葉ではない。

 けれど、レウスにとって、「あなたを守ってあげる」という言葉は初めてで、誰かに守られるということは考えたこともなくて、少女はしばらく固まっていた。微笑みかけてくる女の笑みに魅せられて、音も忘れていた。


 だから、いつもなら聞こえたはずの、空を裂く高周波の音に気づかなかった。


 世界が揺れて、一瞬、音が無くなる。壁面と天井が裂け、天地が逆転して閃光が迸る。遅れて認知できたのは、木材のひしゃげる音、燃焼の音、いくつもの足音――襲撃。マスナのクーラーボックスを抱えてバーカウンターの裏に転がり込んだレウスの耳にワンテンポ遅れて流れ込んできたのは、カセットテープの起動するノイズ音。ひび割れたチャイム。滑舌のいい子供の音声。


『治安放送。治安放送。こちらは、66番道路保全解放協会です。66番道路の安全と安心を守ります。治安維持活動にご協力ください。繰り返します。こちらは……』


「なんなんだよ、くそ――」


 頭がガンガンと痛んでいたところに、明らかに場面を間違えているとしか思えない大音量で繰り返されるテープの録音。カウンターの裏から、棚においてあった銀皿の反射で入り口を見れば、重機関銃を担いだ四人の兵士が店内をクリアしている。オリーブドラブの、宇宙服にも対爆スーツにも似たずんぐりした重装備。そして、遅れて登場するのは黒のパンツスーツ姿で銀の短髪の、目つきの悪い女だ。


 女は辺りを見回して、やがてレウスと、銀皿越しに目が合った。


「爆発物からの手荒な突入になりました。私は独立自治法人・66番道路保全解放協会のムスタファ・ハイゼンベルクと申します。66番道路の治安維持のため、特別危険指定超常、ウルスラ――最近の呼び名はマスナでしたか、とにかく、回収しに参りました。どうか抵抗などなさらぬよう」


 有無を言わせぬ、冷徹で断固とした態度でムスタファは告げる。降伏勧告をカウンター越しに浴びながら、最初に動き出したのはポットだった。


「ちょっト、店が台無しじゃなイ!」

「66番道路保全解放協会は、作戦行動中の損失は命以外全てを補填します。どうかご安心を。突入前に既に修理を発注済みです」

「そウ。ならいいワ」

「いいのかよ!」


 しまった。先ほどまでポットに向いていたムスタファの注意が、こらえきれなかったツッコミのせいでまたレウスに向く。あらら、と驚くような、呆れるような声がクーラーボックスの中から聞こえてムカつく。しかしそのことは気取られないように、レウスは覚悟を決めてムスタファに応じる。恐ろしい相手と喧嘩する時の鉄則。ナメられるな。


「てか、保全解放協会ってアスファルト敷き直しボランティアだろ!? なんでそんな武装してんだ。特別危険指定超常ってなんだ、ここにはそんなもんないぞ」

「まず、66番道路保全解放協会の存在理由は66番道路をあるべき姿で保全することです。アスファルトの敷き直しは当然のこと、治安維持活動も行っているんですよ。もっとも、この道では大抵の争いは私刑で決着がつくので、そうそう出番はありませんが」


 淡々と語るムスタファ。その傍では、重装の兵士たちがじわじわと、注意深く陣形を整えつつある。レウスは周囲に落ちたグラスや金属器の反射で周囲の情報を把握しつつあったが――


「あともう一つ。私が要求しているものが何かはあなたも分かっているでしょう。下手な質問は情報収集のための時間稼ぎでしょうが、無駄ですよ。ウルスラの周囲での因果干渉はこちらでずっと観測し、追っていました。其が発生させる奇蹟は全て特定可能です。今、目の前にいる私たちだけが戦力などと、思わないように。腰の五〇口径を抜いた瞬間、我々は発砲を開始します」

「ぜんぶお見通しかよ」


 唖然とした。今まで経験したことのない、物量と周到さで思い知らされるタイプの、容赦ない「詰み」だった。


「どーすんの。守ってくれるって言った矢先にこれじゃ、どうしようもないじゃんか。この手の奴らって関わった全員消すんだよ。大義がどうとかって、まったく話が通じねえんだもん。あたしみたいに芯のないヤツとの相性最悪だよ。生きててもしょうがないけど、こんな死に方は気に入らね~!」

「……」


 半ば自棄になって涙目で放言するレウスに、ムスタファは答えない。言いつくろう気もねえじゃん、やっぱ殺す気じゃん。レウスの叫びが続くなか、マスナ――ウルスラ? レウスにとってはもうどうでもよかったが――は言う。


「大丈夫、わたしがレウスちゃんを守ってあげる」

「ほんとに?」

「もっとも、このままじゃ、ちょっと着弾点をずらして十秒くらい死なないようにするくらいしかできないけど……」

「おわった~!」

「でも大丈夫! わたしの言う通りにすればいいから!」


 そう訴えかけるマスナの顔が見たくて、クーラーボックスの蓋を開ける。今日の中で一番真剣そうな顔。こんな存在が、人間なんかに対して真剣になるのだろうか。考えるレウスだったが、考えても仕方がないほどに死は実感を持って迫っていて。


「もうぜんぶ知るか~~~!!!」

「撃て」


 レウスが叫んだのと、ムスタファ率いる兵士達が発砲を始めたのが同時だった。木製のカウンターは砕かれ、弾け飛ぶ。身体中を鉄パイプで殴られるのに似た衝撃が身体を襲い、吹き飛ばされる過程で、クーラーボックスの中からマスナの頭部が飛び出した。それは奇跡的な――実際、これは奇蹟によるものであるが――軌道を描きながらレウスの顔面へ後頭部から飛んでいく。迫る黄金の長髪。レウスは避けられず、驚きに口を開いていたため、マスナの髪を頬張る形になってしまう。


「もがっ」

「そのまま食べて!」


 マスナの叫ぶ声。半ば窒息気味で最悪の気分の中、ムカつくことにいい匂いがする髪の主張が激しい。このまま全部、どうにでもなれ。レウスの頭には今、「この場をやり過ごしたい」ということしか頭にない。口腔を満たす金の繊維を噛みちぎる勢いで歯を食いしばる。ムスタファはそれに気づくのが遅れた。正確には、気づけないように、視界を邪魔するように破片が飛ぶように、因果が操作されていてた。


「まずった、クソ――」


 ふと、暖かな、青草の匂いがした。


 それは、あの夢の、空と草原を想起させて。


 マスナを起点にして、真っ白の球が出現し、広がっていく。その場にいる全員が飲み込まれていく。音はなく、視界もホワイトアウトして、ただぬくもりだけを感じている。


 時間の感覚が喪われたようだった。気づけば、HOTLOVEの店内にいて、しかもムスタファらの襲撃はなかったかのように、全てが元通りになっている。


「何が……時間をいじるとか、そういう?」

「いいえ、遠くに行ってもらっただけ。さすがに本調子じゃないから、限度もあるしね。……さて、すぐに逃げないと。あなたが無事でよかった」


 マスナが笑う。完璧な笑顔で。ノイズまみれになりながらもカントリーロードは続く。


 田舎道よ、わたしを連れて行って。わたしが帰るべき場所へ。



 まず、ごはんをたべましょうとマスナは言った。痕跡は一切を消して「ひとまずは彼らと縁を切ったから大丈夫」と、自称・神サマは言った。縁は出会うためのキッカケであり、繋がりであるだとか。奇蹟をもう一度起こさない限り、彼らは追ってくることはできない、だとか。レウスはマスナの言葉を信用できず、しかし空腹で判断力が鈍っていたので、中途半端な折衷案として、バイクを走らせて一時間程度の繁華街に訪れていた。


 大量の人間が集まれば、大量の文化も集まる。66番道路の下地は荒野の乾いた空気とアスファルトとコンクリートだ。その中でも比較的暮らしやすい地域に造られた、多種多様な食文化が集まる場所が繁華街「ロクロク・ストリート」だ。

 健康は長生きできる者の特権だ。ここではあまりに死が日常的すぎるので、商売人は皆一様に、食欲を直接刺激するよう努めている。油と香辛料の匂いが室外機から放出されまくっている。屋台の煙はこんがりとした肉の香ばしさを孕み、ソースとスパイスが涎を誘う。三店舗おきに別腹に訴えかけるバニラや柑橘の匂いは別腹を呼び覚ます。

 皆が思い思いに、最後の晩餐かもしれない豪遊をして、事実、顔見知りは店員も含めていつのまにかいなくなる。人があまりにごった返しすぎており、迷子になったら発見不可能なので、観測される迷子は0人らしい。


「お腹が空いたならわたしを食べればいいのに」


 もう夕方も近くなっていた。繁華街のメインストリートに面した屋外の座席は、道行く人々の喧騒も、危険の予兆もよく聞こえる。瘴気でくすんだ空越しの、控え目なオレンジが陽が沈むのを知らせていた。


「げー。冗談でもキツいって」

「冗談なんかじゃないわ。栄養面なら絶対わたしの方が良いし」

「何と張り合ってんの。あんたのカテゴリは食品じゃなくて遺物とかの類だから。栄養なんて長生きするやつしか気にしないし、それに、絶対ピザの方があんたより美味い」


 レウスも例に漏れずロクロク・ストリートのヘビーリピーターであり、儲けた金の大部分をここに費やしている。そして、今回も最期の食事のつもりでピザを食べに来ていた。ピザは地中海風のお洒落なものではなく、やけくそみたいにチーズまみれで、肉より脂の比率の方が多い格安サラミが大量に乗ったやつ。スクラップの寄せ集めで作られた硬い椅子に細い足をパタつかせながら、油と糖で構成されたそれをコークハイで流し込んだ。レウスの小さな身体には多すぎる熱量は、死地に赴けば消費できる。というか、これくらい食べないとやっていけない。


 蓋の開いたマスナのクーラーボックスはテーブルの上に乗っていて、道行く人々は生首と会話する少女に一瞬だけ注目しては去って行く。死体と話す人間自体はそう珍しいものでもない。だから、ほとんどの人は死体の方も喋っていることに気づかない。


「あんたってピザとか食えるの」

「必要ないわ」

「食えはするんだ?」

「食べるというか、取り込む? まあどちらにせよ分解だけれど。料理だけじゃなくて、土でも、日光でも、常にね」

「ふうん」


 じゃあ、今も一緒に食事してるみたいなもんなのか。とは口に出さなかった。「あなたを守る」と言われてからというもの、レウスにとって初めて経験することばかりが起こっていた。自分ではもう一人前のつもりでいたが、やはり十二年の歳月では経験していないことも多い。正直ペースが狂わされっぱなしだけれど、そんなことがバレるのは悔しかった。誰かと話しながら何かを食べるのも悪くないな、そんなことを思いながら、レウスは話を再開する。


「カント・カント火山を目指そうと思ってる」

「わたしを棄てる場所ね?」

「うん」


 わたしを棄てる、と言われるとなんか変な意味に聞こえるな、という考えが一瞬少女の頭を過るも、文字通り棄てるのだと気を取り直す。カント・カント火山は66番道路のだいたいの中心――66番道路横断マラソンでの中間地点に設定されているので、皆がそう思っている――に位置する活火山だ。頻繁に火山灰を撒き散らしては日光を遮って暖房費を嵩ませて、火山弾は月の平均死者数の底上げに貢献している。


「あたしが知ってる中で、一番危険な場所があそこだよ。弱ってるあんたなら、さすがに溶岩は取り込めないんじゃない?」

「……なるほど、考えたこともなかったわ。今のわたしなら確かに、溶岩が相手でも再生が追い付かなくなる時がくるかも知れないわね」

「それでも、時間はかかるんだ」

「ううん、充分よ! 百年もかからないし、誤差みたいなもの。静かな所でしょうし、封印にはもってこいの場所だわ」

「そ、そうなんだ……」

「うん、やっぱあなたにして良かった、ありがとう!」


 あまりのスケールの違いに若干引いていたところに、直球の感謝をぶつけられてレウスは顔を背ける。顔を背けても、マスナには少女が顔を赤らめていることは知覚できるので、レウスの照れはバレていた。


 気まずくなり、そそくさとピザを食べ終わったレウスは、火山に発つのに備えてまた一時間ほどバイクを走らせ――その間、レウスは自分の気持ちを整理するので精一杯で、無言だった――貸しトレーラーハウスに到着した。レウスが「お風呂って……」と訊くと、自他ともに認める神サマは「わたしには老廃物の概念がないから大丈夫でーす」と超常ムーブをするので、少女は一人でシャワーを浴びた。シャワーは他人と一緒に入ったことがあった。柔らかい物腰の年上のお姉さんで、ベッドに入るまではした。その時はお金を払った。


「……誰かと一緒に寝るのって、初めてなんだ」


 ぽつり、レウスが口にした。寝るまでお話しない? とマスナが言うので、生首だけを枕に載せていた。シングルベッドで借りたので、奇麗な顔がすごく近い。


「そうなんだ」

「マスナは? 誰かと一緒に寝たことある?」

「んー、こうやって、は、ないかな。寝ているわたしの方に向かって跪いて大量の人が寝たり、とかはあったけど」

「えー、なにそれ」


 レウスは笑う。あまりに素直に出た笑みで、少女は自分でも驚いた。昼と夕方に飲んだアルコールが、シャワーと照れで回っているのだとは気づかなかった。ただ、心地いいな、とだけ思った。


「……あんた、本当に死ぬつもりなんだよな」

「ええ」

「なんで?」


 それは率直な気持ちだった。レウスもただの自殺志願者にならこんなことは聞かない。ただ、何か衝動に突き動かされてそう問うていた。


「なんで、か。難しいな。迷惑かけちゃうから、かな。だから、今日の昼間みたいな人達も来ちゃうし」

「そんなやつ大勢いるじゃん。てか、昼間のあいつらだってチョー迷惑だよ。あんたなんて、ちょっとだけむちゃくちゃなだけじゃん。そりゃ危険かもしんないけど、大量殺人鬼って感じでもないし」

「……どう、だろう」

「こんな、こんな、あったかいのに。人殺しってもっと冷たいんだ。どんどん、冷たくなって、あったかいところから遠ざかってく。……あたしより、あんたの方が絶対にあったかい」

「……ありがとう」


 不器用な励まし。自分がもっと口が上手ければとレウスは思う。神サマから返ってくる返事は、優しいけど、寂しい。それが嫌で、レウスは必死に、言葉を続ける。


「あたしは、いつ死んでも『しょうがない』とは思ってるけど、『死にたい』とは思わない。何が起こるかわかんないし、何も欲しいとは思わないけど……けど、楽しいことは好きだから。ごめん、あたし、バカだからわかんないんだよ。なんで死にたいの。止めは、しないけどさ……」


 思わず熱くなってしまっていたレウスは、マスナの表情を見てしまった。遠慮や、気づかいや感謝を読み取ったのは、少女の願望だろうか。ただ、困っていそうなのは敏感に察して、踏み込みすぎたと毛布の中で小さくなる。


「……なら……どうせ死ぬんなら、あたしの夢の話をさせてよ」

「え?」


 毛布にくるまって、レウスはそうつぶやいた。それは、少女が語ることができる一番の楽しい話で、血だらけの世界で生きて来た少女の、精一杯の気づかいだった。


「空はここみたいに煤っぽくなくて真っ青で、地面はここみたいに乾いてなくて、元気な緑色の草ばっかりなんだ。そこでわたしは空を飛んでて、太陽の光があったかくて……とにかく、気持ちいいんだ」

「空が飛びたいの?」

「そうだけど、そうじゃなくて!」


 毛布を飛ばしてレウスは起き上がり、


「こんな世界があればいいなって話! そんな良い世界ならさ、きっと、あんたも死ななくていいし、あたしも、何かを欲しいってと思える、と思う……夢だから、まあぜんぶウソなんだけどさ」


 願望。理想。それは祈りだった。自嘲気味に語られるのは、世界は変わらないことを思い知らされ続けてきた少女の、ささやかな夢。少女にとってはウソでしかないが、だからこそ、楽しい話。マスナは少女の話を聞いて、ただ一言、


「ウソだなんて。……素敵な、夢だと思う」


 真剣なまなざしと共に、言った。レウスは、胸の奥が舞い上がるような、締め付けられるような初めての感覚に襲われ、目の奥が熱くなったのがなぜか恥ずかしくて、焦って突き放すように寝返りを打ち、目を瞑った。


「……ありがとう、レウスちゃん」


 あたたかい声が聴こえた気がした。なぜか、懐かしく思った。


 少女は、今までで一番よく眠れた。


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