ep38 新たな皇帝
「何だよそれ……」
ゼクスは何ひとつ納得してない顔で、ヴィルゴが眠る寝室に立ち尽くしていた。
執務室の奥に設けられたヴィルゴの寝室。今ここにいるのはゼクスと俺だけだ。
ヴィルゴが昨晩俺に指示した内容を、簡潔に説明するとこうだ。
ようやくとりまとめたサンドレア王国復興のための膨大な司令書。
これらをヴィルゴが信頼を置く者達にすべて渡し、彼らは今後6年間、サンドレア王国のため書面通りの計画を遂行すること。
今日王城に訪れる来賓にも、ひとつの書簡を手渡すこと。
その役目は俺であること。
ヴィルゴに何かあった時は、俺とゼクスは執務室の引き出しにある俺宛の手紙を読んで、それに従うこと。
ゼクスが納得していないのは、この最後の指示だ。
引き出しに入っていた手紙には、ゼクスに関する記載があった。
彼が望んだ暮らしをするための場所へは、エルマーが10歳になるタイミング、今から6年後に俺がゼクスに教えること。
それまではゼクスはエルマーの側近兼護衛を全うすること。
「……おいヴィルゴ、話が違う。
王国再建の目処が立ったらすぐ約束を果たすって言っただろ。それまではエルマーの横にいるだけでいいって。そう言ってたろ」
ゼクスは静かに眠るヴィルゴから視線を逸らさず、言葉を溢し続けた。
感情はわらかない。
しかし、ゼクスはヴィルゴの傍に立ち尽くし、そこから離れようとはしなかった。
ヴィルゴはおそらく、自身の限界を悟っていたのだろう。
ここ最近の彼が処理する情報量も、書き起こす司令書の量も常軌を逸していた。
昨日のあの時間は、ヴィルゴが最期に俺のために割いてくれた、特別な時間だったのだ。
「ゼクス。俺は午前中に宰相閣下が準備した司令書を、担当の貴族や伝令に渡さねばならない」
ヴィルゴの指示を再度読み返しながら、俺は淡々と続ける。
「午後は王城に来賓がある。お前はエルマー様の護衛についてろ」
ゼクスは話を聞いているのか聞いていないのか、ヴィルゴを見つめたままだった。
俺は彼の最後の侍従として、やることが山積みだ。
ヴィルゴとゼクスを残し、足早に寝室を出た。
ヴィルゴが昨晩、何気なく話してくれたことの中に、印象的な話があった。
俺やゼクスのような『特別な何か』を持った人間が、この世界にはたまに現れるのだそうだ。
誰が名をつけたのか、そういった人間のことを『特異点』と呼ぶ、と。
レリウスもその言葉を一度口にしていた。
俺も知っている言葉だ。
既存の法則から外れた点、異なる点。
俺の前世に存在していた、数学用語。
今ならわかる。
俺もゼクスもそうだし、ラヴィもそのひとりだったのだろう。
ヴィルゴのあの逸脱した記憶力やレリウスの幸運を引き寄せる力もまた、それではなかったのか。
そして。
これから会う人物も。
高い天井を有し、美しい装飾の施された窓や柱が連なるサンドレア王城の玄関ホール。
かつて出迎える者たちで賑わいあふれていたこの場所は、閑散としところどころ廃墟のように崩れている。
午後の陽光が優しく降り注ぎ、寂しくも暖かな気配を感じさせていた。
この場所で俺はひとり、来賓を出迎えることとなった。
「ようこそお越しくださいました。マルゴーン帝国皇帝陛下。
私はヴィルゴ・サイラス宰相閣下の侍従を務めておりますアシュレイ・ノートリックと申します」
わずか数名でサンドレア王国へやってきたマルゴーン帝国皇帝陛下一行は、一見すると出自や身分がわからないような姿をしている。
内密の訪問だ。
「前皇帝崩御の後、その人望と聡明さ、御国への功績を持って皇帝となられたこと聞き及んでおります。ご即位おめでとうございます」
俺は淡々と祝辞をのべ、恭しく最敬礼の礼をする。
新たな皇帝は、当然ながら第七皇子ではなかった。
俺の予知とは違う皇帝。
それは特異点の意志のみが成せる、歴史の歪曲だ。
「祝辞はそれくらいで結構だよ」
溌剌とした澄んだ声が玄関ホールに響く。
「内密な訪問とはいえ、このように荒廃した場所で私だけのお迎えとなり、申し訳ございません」
「構わないさ。ヴィルゴ殿が体調を崩されがちだとは聞き及んでいる。私は出迎えが派手なのは苦手だ。正直これくらいがちょうどいい」
マルゴーン帝国の新たな皇帝は気さくにそう言うと、少し顔を近づけてこう続ける。
「何より出迎えが君でうれしい。……約束通り、また会えた」
顔をあげた俺と目が合うと、皇帝は目を細めて微笑んだ。
元マルゴーン帝国第十九皇子 皇位継承順位13位
アルヴァンド・リグロ・マルゴーン
新たな皇帝となったヴァンは、相変わらず美しい琥珀色の目をしていた。
+++++
ヴァン改めマルゴーン帝国皇帝アルヴァンドにヴィルゴからの書簡を手渡すと、アルヴァンドは静かにそれを読み、まずはエルマーのもとへと赴いた。
離宮の前庭で、エルマーは楽しそうに駆け回っていた。
少し離れた場所にゼクスもいる。
ヴィルゴはエルマーとの接触を極力避け、互いに愛情を持たないようにしていた。
だから、エルマーにもヴィルゴのことは伝えていない。
その必要はないと手紙にも記載があった。
アルヴァンドはエルマーの傍へひとりで行くと、膝をつきエルマーと同じ目線の高さとなり、優しく微笑んだ。
「あなたはこれより、マルゴーン帝国皇帝である私の庇護下に入る。未来のサンドレア王国を担う責を全うするため、健やかに育ち、励まれるとよい」
そう言うと、とびきりの笑顔でエルマーを高く高く抱き上げた。
きゃっきゃと大喜びするエルマー。
アルヴァンドはそのままエルマーを抱きかかえ、しばらく一緒に遊んでいた。
そしてしばらくの後。エルマーを傍にいた侍女に預け、アルヴァンドは人払いをして俺を呼んだ。
「グ……アシュレイ殿。ヴィルゴ宰相閣下にお会いすることは叶うだろうか?私だけでいい。配下たちにも彼のことを知らせるつもりはない」
ヴィルゴから俺への指示の中には、計画を遂行する6年間ヴィルゴの死を知る者はそれを口外しないこと、と記載されていた。
ヴァンにもそう伝えられているのだろう。
俺は静かに頷いた。
アルヴァンドだけを伴い、俺はヴィルゴの寝室へとむかう。
むかっている間に、アルヴァンドからふたりの間で結ばれた約束について教えてもらった。
ヴィルゴはアルヴァンドが第七皇子を下し即位するための協力を惜しまず、王国や帝国すべての情報をアルヴァンドに渡すこと。
アルヴァンドは即位した暁にはエルマーが成人するまで庇護すること。
帝国と王国は両者を侵略せず同盟国として援助すること。
それは、ヴィルゴが何よりも望んでいたこの大陸の形だった。
最も血が流れず、王国と帝国が互いに手を取り合う平和な世界。
ヴィルゴ亡き後も、アルヴァンドはきっとこの約束を違えないだろう。
アルヴァンドは寝室へ赴くと、静かに眠るヴィルゴの手をとり弔いの言葉を送った。
寝室から執務室へと再びもどると、アルヴァンドはふぅと小さく一息つく。散らかったままの執務室を静かに見回していた。
調書に埋もれた机には、まだインクに羽根ペンが刺さったまま。書き損じた書類や走り書かれたメモが散乱していた。
いつもヴィルゴは座っていた椅子も無造作に引いたままだ。すぐにでもこの部屋の主人が戻ってきて座りそうな、そんな気配を遺していた。
俺は思わずそんな机と椅子から目を逸らす。
「ありがとう、グレイ。ヴィルゴ殿の埋葬は私に任せてくれ。君は休んでていい」
グレイと呼んだ。
皇帝としての言葉ではない、そういう意味なのだろう。
俺は静かに頷く。
アルヴァンドは俺の傍に寄ると顔を見上げ、そっと頬をなでた。
「……大丈夫か?疲れた顔をしている」
アルヴァンドの温かな指が心地よい。
俺は少し微笑み返し、彼の気遣いを受けとった。
「ありがとうヴァン。でも、俺は大丈夫だ」
——そう言った瞬間、不意に。
アルヴァンドが俺を抱き寄せた。
「……ひどいじゃないかグレイ。あの夜から一度たりとも、私は君を忘れたことなどないのに」
そして優しく背中を撫でる。
俺は反射的にビクリと肩を強張らせた。
「私の特技を忘れたのか?……相手の嘘がわかるんだよ」
やめてくれヴァン。
今は。
今は駄目なんだ。
「君は大丈夫じゃない」
アルヴァンドはゆっくりと優しい声音で続ける。
「大切な人だったのだろ。哀しくて仕方がないのだろ。
大丈夫だ。ここには君と私しかいない。……泣いていいよ」
そう言って、俺の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
強張らせた肩の力が抜けると同時に。
俺の目からは、大粒の涙が一気にこぼれ落ちた。
自分でも驚いた。
だが、もう。一度溢れ出した涙も感情も、自分自身で押し留めることができなくなっていた。
「……の、俺の、せいなんだ。
俺がもっと、ちゃんと……間違わなければ。ヴィルゴを最初から、予知で助けていれば。……王国も、ヴィルゴも……こんなことに、ならなくて」
嗚咽とともに哀しみと後悔が溢れ出た。
「優しい人だったのに、大好きな……人だったのに。っ……何度も、俺を……助けてくれたのに。俺は、何ひとつ返せなくて……」
俺の消え入りそうな声を、ヴァンは抱きしめたまま聞いている。
「俺のせいで……こんなに、早く……いなくなってしまったんだ……」
誰よりも強くて、誰よりも優しい人だった。
心から尊敬してた。
本気で恋してたこともあった。
でも、あの人は誰のものにもならなくて。
身体は求められても、心を求められたことはなくて。
それでも、よかった。
それでも、嬉しかった。
傍にいて、幸せをくれる人だった。
「せっかく……手繰り寄せた未来なのに。どうして、ヴィルゴは……ここにいないんだよ……っ」
俺はいつの間にか、子供のように声をあげて泣いていた。
ヴィルゴがいなくなった哀しみで、自分のどうにもならない後悔で、心が押しつぶされそうだった。
「大丈夫だ。何ひとつ、君のせいじゃない。ヴィルゴ殿はきっと君を愛していたよ。だから最期に君を傍においたんだ」
そう言って、アルヴァンドはずっと俺の背中を撫で続けた。
俺が泣いている間、俺のめちゃくちゃになった感情を全部抱き留めてくれていた。
「……こんなにも君に想われて。妬ましい男だなまったく」
そんなことを笑って言いながら。
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