ブータンと旅に出る
深川我無
悟り其の1 旅に出る
頼まれてもいない仕事の責任を取らされての残業。
いつものことだ。
異世界に転生するなら神様にスルースキルを授けてもらいたい。
真面目が過ぎるというか、馬鹿正直というか、はたまた一周回って馬鹿なのか……
入社してすぐクソ上司に食って掛かったのが運の尽きで、それ以来私は目の敵にされている。
そして今日だ。
この資料、今日までに用意しとけってって言っただろ?
言ってねえわ! そもそも依頼もされてねえわ!
同僚たちは憐れみと罪悪感を宿した腐ったフナみたいな目でチラリとこちらを見ただけで、幽鬼のようにフワフワと遠ざかっていく。
なぜこんなブラック会社にしがみついているかと言えば、お金のため。それ以外にない。あるはずがない。
愛しの凛太朗くんと結婚式を挙げるためにはお金がいるのだ。
でもってマイラブリーお尻丸のブータンを連れて、郊外に小さな家を買うのだ。
そっちは夢のまた夢だけど……
二人の為ならママ頑張る……!
そんなこんなで皆と違わず幽鬼……というより山姥のようにボサボサな頭で家に帰った。
ギリ終電はセーフ。
まずはブータンのお尻に顔をスリスリして、それから凛太朗くんにいい子いい子してもらう……絶対そうするもん……!
イメージという大麻で疲労を誤魔化し、何とかアパートの階段を登り切った。
疲れすぎて遅すぎる動きのせいか足音はしない。
いつの間にかどっかで体が倒れてて、本当に幽鬼になってたら洒落にならない……
大丈夫。ちゃんと足はついてる。パンプスから漏れてくる異臭はきっと幻覚だと信じたい。
髪を撫でつけ、目の下の隈をマッサージして、ちょっとでもマシな顔面に戻してから……
「ブータぁぁぁあン……! 凛太朗くぅぅぅん……! 私偉かったよぉぉおおお……!」
いつもならすぐに飛び出してくるはずの愛犬は、部屋の奥のサークルに閉じ込められて困惑したような顔で「ふぅ~ん……」と小さな声を出した。
玄関には見慣れない靴。
わー⁉ サプライズプレゼント⁉
それにしてはサイズが小さいし趣味じゃない。
だいたい玄関まで充満しているこの熟れた果実のような女の匂いはどう説明しよう?
ダイニングキッチンの隣の部屋に繋がる引き戸は、ピタリと閉ざされているけれど、漏れ出す熱気はなにかしら?
とりあえず私は家に入って戸を閉めた。
閉じ込められたブータン。
可愛そうなブータンを抱き上げて、ぎゅっと頬を寄せる。
そのまま私は引き戸に手をかけた。
慌てて着衣を整える間抜けな凛太朗くんと、居直ったのか凛太朗くんのシャツを裸体に羽織った女の子の姿がそこにはある。
私は宇宙に結跏趺坐の姿勢で漂っていた。
宇宙服を着たブータンがクルクルと上下に回転しながら私の周りを浮いている。
色々な思考が頭の中で曼荼羅を描き出した。
私は56億7000万年の時を圧縮し、弥勒の世に辿り着いて、洗い流された清らかな心で言った。
否。叫んだ。
「チャックにイチモツを挟んで死ね……!」
凛太朗くんと女が何かを言っている。
聞こえない。
もうどうでもいい。
ブラック会社も浮気野郎もクソ食らえだ!
私はブータン用のキャリーバックと預金通帳を引っ掴んで、ブータンと一緒に家を飛び出した。
もう決めた。
私、ブータン(フレンチブルドッグ♂)と旅に出る!
支度には40秒もかからなかった。
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