第8話 俺のストローがあっちに……

「あ、おかえり」


 誰にも見られていないことを確認しながら席に戻れば、スマホをいじる朝花の顔が上げられた。


「ただいま……なんだけど、なんで”俺のやつがそっち”に……?」


 背もたれに手を乗せて引っ張ったはいいものの、腰を下ろすことなくシワを寄せた眉で机を見下ろす。


 ……というのも、俺のチョコレートなんちゃらチーノが朝花の方に。そして、朝花が飲んでいた抹茶なんちゃらが俺の椅子の前にあるのだ。


「え?小説のネタにしようと思っただけだけど?」

「……小説のネタ……?」


 おもむろに腰を下げて言葉を返してやれば、『よくぞ聞いてくれました!』と言わんばかりに胸を張り上げた。


「私思ったの!」

「なにに対して……?」


 ピシッとなにかを指差す朝花に、目を追いかけさせる。

 そうして辿り着いたのは……紙のストロー。


「……まさかとは思うが、間接キス……?」

「そう!」


 思わずこめかみを押さえてしまった。


 トイレでの出来事もとんでもなかったのだが、こっちはまた別ジャンルでとんでもない。

 好きな人とキス?俺は明日死ぬのだろうか?それとも季節外れの大雪でも降るのだろうか?


 どっちにしろ、俺は多幸感に溢れかえるだろう。

 先ほどまであったことなど忘れ、ただこの朝花との間接キスに頭がいっぱいになるだろう。


 ……というかもうすでにされている。

 俺の頭は松浦さんが言った『イメチェン』のことも、ピンク髪の女生徒が言った『陰キャ』という言葉も、全てがどうでも良くなっている。


「五季?しないの?」


 数秒間も呆然としていたからだろう。

 傾げた顔を覗かせてくる。


「する。ちゃんとする」


 慌てて頭を頷かせた俺に、ニカッと笑みを浮かべた朝花はチョコのカップを持ち上げた。


「随分やる気じゃん!もしかして五季も小説書いてみたかったり?」

「いやそれは断じてない」

「……即答……」


 そして、不貞腐れ気味に……ストローを咥えた。

 この反応を見るに、当人はなにも気にしていないのだろう。


 あったとしても、『間接キスってこんな感じなんだ』ぐらいだと思う。てか絶対にそうだ。

 顔も赤らめず、間接キスを頭に叩き込むようにシワを寄せる朝花は、早速ポケットからスマホを取り出した。


「紙ストローだからか、主人公の唾液で若干しおれた先っぽはほんのり甘く、キスとはまた違った胸の高鳴りを感じる」


 ご丁寧にも口にしながら文字を打った朝花は、チラッとこちらを見上げてくる。


「チラッと主人公を見やれば、間接キスを気にしているのか若干頬を赤らめ、私と目が合うや否や視線を泳がせた」


 俺の行動を一言一句メモしやがったな……?

 睨みを向けてやれば、逃げるようにスマホに視線を落とす朝花。


 果たしてそれは書くためのものなのか、俺と目を合わせたくないのかは分からん。

 だがまぁ、前者だとするのなら声はかけない方がいいだろう。


 そんな結論に至った俺は……喉を鳴らしながら、朝花の唾液が付いた紙ストローを咥えた。


「抹茶美味し?」

「……美味しいっす」


『特にストローが』なんてキモ発言は当然言えるわけもなく、目を合わせることなく抹茶を味わう。

 続くように朝花もストローに口をつけ、ひとしきりチョコを堪能した後、不意に伏せた眉根で言ってくる。


「実はさ……五季……」


 また体育のことを謝れるのだろうか?なんて思考が脳裏に過る中、嫌にしんみりとした朝花に首を傾げる。


「今日、家に親が居ないんだよね……」

「いつもだろ」


 素のツッコミを入れたのがダメだったのだろう。

 ジトッと湿った睨みを向けてくる朝花は、これ見よがしにスマホを突き出してくる。


「……小説のネタ提供」

「事前に言っとかなわからんって」

「幼馴染ほどの関係になったら分かるかなぁって思ったの!」


 ぷっくりと頬を膨らませる朝花だが、かなり無茶を言わはる。

 俺とて察せるものなら察したいのだが、朝花相手だとそうも行かないのだ。


「優先順位がいきなり変わるからむずいんだよな……」


 朝花が小説にハマる前なら、正直なんでも分かっていられた。

『髪乾かすのめんどくさいから乾かして』だとか、『不機嫌だから慰めて』だとか。ほんっとうに一瞬で分かっていたはず……なんだがな……。


 小説のせいで、不機嫌に陥りそうな場面も『小説のネタになる!』ってことで上機嫌になり、ここ最近では髪を乾かすのも自分でするようになってる。


 それはそれで別にいいんだけど……お世話ができないという点ではやめてほしいところだ。


「優先順位?」


 俺の思案を知ってか知らずか、コテンと首を傾げる。


「そう。朝花の優先順位って1番に小説があるだろ?」

「え?」

「ん?」


 突然の疑念の声に、俺までもが首を傾げてしまった。


「え、1番は全然小説じゃないよ?」


 カップの蓋を持ち、クルクルと回し始める朝花は見るからに不機嫌。

 俺のなにかが悪かったのだろうが……さっぱり分からん。


 それよりも今気にするべきなのは、小説の上になにがあるかってこと。


「小説の上になにがあるんだ……?」


 眉間にシワを寄せ、手と手を握った俺は両肘で頬杖をつく。

 そうして朝花を見続けるのだが……


「五季には言わない。絶対に」

「なんでだよ」

「大体分かるでしょ?幼馴染じゃなくても」

「……大体分かる……?」


 言葉を復唱しながらこれまでのことを思い起こすのだけれど……これと言っためぼしいものはない。


 そんな俺がますます気に食わなかったのだろう。

 不機嫌だと言わんばかりに寄せられていたシワは、更に深く掘り下げられ……やがて、ふいっと顔を逸らされてしまった。


「気づくまで言いませーん」

「あ、おい!まだ話は!」

「終わりましたー」


 ポケットにスマホをしまった朝花はカバンを片手に腰を上げ、チョコなんちゃらを持って歩き去っていく。

 慌てて追いかけたはいいものの、機嫌を損ねた朝花から1番を聞くことはできず、不機嫌な状態でデートの幕が閉じた。

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