第10話 イロハと綺羅と

 私が私の事情について話し終えると、楽屋のには何とも言えない空気が蔓延した。

 内容の重さに辟易したわけではない。馬鹿にしているわけでも、もちろんない。確かな重圧だけがある雰囲気に私は口を閉じてイロハと綺羅を見つめた。

 何か反応して欲しい。

 私の想いを汲み取ってくれたように、イロハはただ静かに頷いた。


「そっかぁ」


 沈黙を破ったのはイロハだった。そこには沈黙に含まれていた重さはない。

 近い将来、死ぬと聞いた人間だとは到底思えない。彼女はまるで、天気の話でもするかのような軽い調子で自分の死を受け入れていた。

 私はイロハの反応に思わず眉を寄せる。


「そっかって……あなた、この男のせいで死ぬのよ?」


 綺羅を指さす。

 イロハはもっと驚くと思っていた。もしくは怒るか、怖がるか。

 演技のときは別だけれど、普段のイロハはとても喜怒哀楽がはっきりしている子だったから。

 けれど、彼女はどれでもなく、ただ私の言葉を受け入れていた。それが余計に不安だった。


(イロハは綺羅と知り合いで、それなのにあの日、綺羅に襲われた?)


 私の知らないイロハ。彼女が死んでから、私はイロハのことを知らなかったのだと思い知る。

 イロハは私の言葉にちらりと綺羅へ視線を向ける。

 綺羅は腕を組み、どこか愉快そうな表情を浮かべていた。


「濡れ衣もいいところだよ。ねぇ、イロハ?」


 飄々とした口調に思わず拳を握る。

 綺羅は心底この状況を楽しんでいるようだった。

 それでも、イロハは特に感情を表すことなく、一度目を閉じてから静かに答えた。


「何とも言えないところだよ、綺羅。でも、そうだね……立夏姉、あたしは綺羅とキスしたくらいじゃ死なないよ」

「でも!」


 あなたは実際、死を選んだ。もしくは、綺羅に殺された。

 肩が触れ合う距離で、視線がぶつかる。イロハの色素の薄い琥珀のような瞳が、穏やかに私を見ていた。

 イロハは静かに首を横に振る。


「あたしが死ぬとしたら、しかも自殺を選ぶんだったら、もっと別の理由」


 別の理由。イロハが死ぬ理由がまた別にあるのか。

 私は暗闇の中で明かり一つ持たずに迷っているような気持になった。やっと助けられると思ったのに、まだ遠い。

 イロハの言葉が私の胸の中で確かな重さを持って渦巻いた。


「別の理由があるの?」


 悩んで問いかける私に、イロハはもう正解を見つけているような鮮やかさで微笑んだ。


「あたしは自分が死ぬ理由をもう決めているから」


 その言葉に体の中心から冷えていく気がした。

 まるで既に決定した未来のようじゃないか。死ぬ理由を決めるなんて、普通だったらありえないのに、イロハは迷いもなくそう口にした。


「じゃあ、それを教えてくれる?」


 私は震える声を絞り出して聞く。

 イロハの死ぬ理由。それを知れれば、彼女が死ぬのを防げる。イロハに生きてもらうことが、私の目標になっていた。

 けれど、イロハは私の願いを打ち砕く。


「それはできないんだ、ごめんね」


 申し訳なさそうに微笑むイロハ。代わりというように、繋がった手はぎゅっと握られた。

 なぜ、そんな顔ができるのか。

 私には彼女が欠片もわからなかった。


「ほら、僕の言った通りだったじゃない?」


 綺羅が茶化すように言う。

 私は苛立ちを隠せず、髪を乱暴にかき上げた。


「うるさいわよ」


 それでもイロハは私をまっすぐに見つめたまま。 その視線に私は言葉を飲み込むしかなかった。

 イロハの澄んだ瞳に、何を言うべきか。迷って、決めて、逡巡して、それから弱い私は自分の願いをずるい言い方で口にした。


「私が死んで欲しくないって言っても、駄目?」


 縋るように聞く。したくなかったずるい言い方だ。

 7つも年下の女の子にこんな風に言うのは、私の中のプライドが許さなかった。それも小さいことなのだけれど。

 イロハは私の弱さにほんの一瞬だけ表情を揺らした。 けれど、次の瞬間には柔らかく微笑んだ。


「立夏姉、それはずるい質問だね」

「そうかしら? 私はあなたの恋人だし、死んで欲しくないのは普通のことじゃない?」

「そうだね。あたしは立夏姉の恋人になったんだもんね」


 恋人というところに、嬉しそうに微笑むイロハ。その顔は、私が知っているイロハそのまんまなのに、知らなかった部分が私の中の不安を掻き立てる。

 柔らかく甘い手が、私の手に絡む。それだけが繋がりのように感じられた。


「惚気はいらない」


 私たちのやり取りに、綺羅が面倒くさそうに目を細める。

 けれど、私は彼の言葉など気にせず、イロハをただ見つめていた。

 私の視線に答えるように、イロハは口角を引き上げて笑う。


「あたしは立夏姉のために生きたい」

「なら!」


 生きたい。その言葉に胸が少しだけ軽くなる。

 目を輝かせていただろう私にイロハは小さく首を横に振った。


「でも、ごめんね。あたしが死ぬことは決まってるの。だから、立夏姉、立夏にはあたしのことをずっと忘れずに生きて欲しい」

 

 イロハのもう片方の手も私の手の上に重ねられる。両手で包み込まれて、イロハの額にあてられた。

 まるで祈りを捧げるように、イロハは私に生きろと言う。

 イロハのことを忘れず、イロハのいない世界を生きるなんて、拷問じゃないか。

 そんな思いを閉じ込める。イロハの温もりが、切ないほどに優しかったせいだ。


「それがあたしにとって一番嬉しいことだよ」

「イロハ……」


 自分の死を受け入れている彼女。私はそんな恋人に何を言うことができたのだろうか。

 こんな話、認めたくなかった。

 でも、イロハの笑顔はあまりにも綺麗で、私は何も言えなくなってしまったのだ。


 *


 イロハのいる楽屋を出て私は溜息を吐いた。

 隣にはなぜかついてきた綺羅が腕を組んで立っている。


「ほら、僕の言う通りだったろう?」


 相変わらず気楽な口調に私の苛立ちが刺激される。

 すべて彼の言うとおりだったのも気に食わない理由の一つだ。

 私は苛立ちを押さえきれずに、彼を睨みつける。


「うるさいわね。わかってるわよ、今は少し考えをまとめたいの」


 私は眉間に皺を寄せながら、考えを巡らせる。

 イロハの言ったこと、結局分からない自殺の理由。

 なんだったら、私が二年前に戻っている理由も分からないまま。


「あなたとのキスは原因じゃなかった。でも、キスの後、半年でイロハは死ぬ……なんで?」

「人が死ぬ理由なんて、他人が理解できるものじゃないと思うけど」


 私の独り言に似た呟きに、綺羅は肩を竦めながら答える。

 わかっている。それでも綺羅にそう言われるのは今一番腹が立った。


「あなたこそ、なんなの? 結局、なんで私とイロハには見えるのに、他の人には見えないの?」


 綺羅はニヤリと笑う。


「僕は僕を必要とする人にしか見えないから」

「必要とする人にしか見えない?」

「たとえば、君は今、イロハが死ぬ理由を知りたいよね?」


 私は疑わしげに綺羅を見た。 彼は動じず私を実験動物でも見るように視線を向けるだけ。

 綺羅の言葉を噛み締め私は俯いた。そして頷く。


「そうね。イロハが死ぬ理由を知って、イロハが死なないようにしたい」

「それは人の身には過ぎた願いだと思うけど、僕だったらイロハが死ぬ理由を教えることができる」


 人の身に過ぎた願い。そうかも知れない。けど、それでも手を伸ばすのが人だとも思う。


「本当?」

「ああ」


 私の問いかけに綺羅は微笑んだまま、ゆっくりと頷いた。

 できることがあるなら、全てしたい。

 イロハのためなら、何も怖くない。

 いや、違う。私は何もしないことが恐ろしかった。

 イロハのいない世界に戻るのが嫌だった。

 私は躊躇いを振り切り答えた。


「教えて頂戴」


 その瞬間、綺羅がふっと目を細める。それは私が見た綺羅の笑顏の中で一番優しいものだった。


「じゃ、ちょっと痛いからね」


 そう綺羅が言った直後、鋭い痛みが私の腹部を襲う。


「……っ!?」


 深々と冷たい光を放つ金属がそこには刺さっていた。

 じんわりとにじみ始めた血が衣装を汚していく。

 私は胸の奥から込み上げる痛みを抑え込みながら綺羅を睨んだ。


「どういうこと?」


 あんなに熱かったのに、刺された部分から下の感覚がなくなる。

 痛みと混乱で思考が追いつかない。

 安易に信用した私が間違っていたのか。

 足に力が入らなくなり、視界が揺れる。

 綺羅は静かに微笑んだまま言う。


「次会った時に教えてあげるよ」


 声が遠ざかる。私は綺羅の身体へ手を伸ばした。

 せめてこの男を捕まえていなければ。

 最後に思ったのはそんなこと。

 全身の力が抜ける。

 意識が、ゆっくりと血の海に沈んでいった。

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