10.何事にも限度はある
週末からの実質的な三連休をシルヴァンと二人、あの隠し部屋で堪能した翌週の月曜日。
私は授業終わりにその部屋へ向かおうと植物園を通るルートで歩いていた。その時物陰から声が聞こえたのは、偶然だったのか、それとも彼女たちの発する語気が強かったからか。
何にせよ、何らかのトラブルが起こっているらしい。こんなところで止めてくれ、というのが正直な気持ちで、だが見つけてしまったからには必要があれば教師への連絡もせねばなるまい。
はあ、と内心で溜息を吐きながら、そっとその発信源へと近づいて見つからないように眺めてみる。
もしかしたら、ただはしゃいで声が大きくなってしまっただけかもしれないから。そうであって欲しい。
しかし、私の願いは叶えられることがなかった。植物園の物陰で口論していたのは、あの子爵令嬢と——三人の伯爵令嬢か。社交パーティーで挨拶を受けたことがある。
彼女ら伯爵令嬢の言い分は、シルヴァンにベタベタくっつき過ぎ、彼が迷惑している、とのこと。何だ、よく分かっているじゃないか。
だが、子爵令嬢はシルヴァンから拒絶されていない、今日だってちゃんと了承を得てから隣の席に座った、話だって二人で楽しくしていると反論。
いや、拒絶されているし、話は楽しくしてなかったみたいだよ。そして隣の席に座っても良いかと聞かれて断ることは早々出来ないと思うけど。
そんな風に、堂々巡りで言い争っていたらしい。これは、私が出る幕ではあるまい。溜息と共に去ろうとしたのだが、その時伯爵令嬢のうちの一人の手が振り上げられる。
学園で暴力沙汰を起こすな。その原因の言い争いの元がシルヴァンと知られたら彼が迷惑を被るだろう。
ああもう。舌打ちを堪えて、いつもの表情を貼りつけながら手が振り下ろされる前に声をかけねば。
「そこの者たち。こんな場所で何を騒いでいる」
「……ッ! お恥ずかしいところをお見せ致しました、大公殿下。恐れながら、直答のお許しを頂戴したくお願い致します」
「構わない。だが、まずはその手を下ろせ。何があろうとも、貴族たるもの容易に暴力へ走ってはならない、良いな」
「大変な失礼を。はい、以後心に刻んで参ります」
それは良い、それよりも事情を早く話せ。そういう雰囲気を全面に押し出しながら伯爵令嬢たちに視線を向けると、彼女たちは私へ視線を合わせないように若干下を向きながら事のあらましを話し出す。
途中で伯爵令嬢の言葉を遮ろうとした子爵令嬢は一睨みして制止し、最後まで聞き終えれば、結局私が聞いたものとほとんど同じだった。
「恐れながら、大公殿下はダヴィッド侯爵子息と交友が深いと聞き及んでございます。此度のこと、どのようにお考えでしょうか」
学園内故に、私に対しての言葉遣いもまた緩くても構わない。だから、伯爵令嬢の問いも不敬として扱うつもりはないので、問いに対して顎に手を当てて考える素振りをする。
答えなんて一つ、私のシルヴァンに近づくな、その一言だ。だが、彼の交友関係は彼自身のもの。私が口を出して良いものではない。
だが、シルヴァンが子爵令嬢に迷惑をしているというのも事実なので、それは自覚させねばならないだろう。
「……ダヴィッド侯爵子息からは、そこな子爵令嬢に日がな一日話しかけられ、読書もゆっくり出来ないとの話を聞いている」
「……!」
ギリ、と奥歯を噛んだのだろう子爵令嬢。しかしそれに構わずに私は言葉を続けて行く。気を遣う理由もない。
「私が聞いた、そして見た限りで言おう。ダヴィッド侯爵子息は子爵令嬢の行動理由が分からずに戸惑い、迷惑を被っているようだ。何かしらのわけがあるのならば、伝えるが良い」
それが出来ないなら二度と近づくなよ、と意味を込めて視線を向ける。それに一歩下がった子爵令嬢とこちらを見つめる伯爵令嬢たちの視線を受けるも、私の役目はこれで終わりだ。
シルヴァンが迷惑していることも伝えたし、子爵令嬢が仮に彼へ告白しても叶う可能性はかなり低いだろう。
何にせよ暴力沙汰は止められた。後は勝手に解散するだろう。
「私はこれにて。子女がこんなところにいては何らかの危険が迫る可能性もあるだろう、人目のある場所へ早く戻ると良い。ここは寒くもあるからな」
屋外の、それも日光が当たり難い場所で長時間立ってるとか、寒いだろう。さっさと校舎へ戻れと意味も込めて告げてからこの場から去る。
しかし子爵令嬢を焚きつけるようなことを言ってしまった。これでシルヴァンが万が一応えてしまったら、私はどう思うだろうか。
——祝えるだろうか。
それはきっと、考えてはならないと思い胸の奥底へと沈めて来た想い。それをこの場で自覚するのは、止めておこう。
私とシルヴァンは友人だ。大体、ダヴィッド侯爵家の跡取りはほとんどシルヴァンに決まっているとも聞いている。ならば想いを通わせることも出来はすまい。
それでも、この学園で生活を共にする間だけでも、彼の特別は私だけでありたいとも思ってしまう。
シルヴァンが笑みを見せるのも、ああして身を預けるのも、休日のみならず空き時間のほとんど全てを共にするのも、全て私が良い。
この独占欲は、友人に対するものだ。きっと、そうなのだ。
まだ幼さの残る頬の熱も、服の布越しに感じる体温も、美しい声も、手触りの良い髪も、目を惹かれる深い青の瞳も——彼の全てが私を惹きつけているのだとしても。
まだ、友人としての関係を保っていたい。壊したくはない。
シルヴァンは、私のことをどう思っているのだろうか。懐かれているとは思う。気を許されてもいるだろう。
だが、それは慕情なのか? ただ、年上に懐いているだけではないのか? 友人だからああして甘えているのではないのか。
そんなことを、考えてしまうのだ。つまり、私はただの臆病者ということだ。
自分の想いに名前をつけないのも、彼の感情を探ろうとしないのも、全ては怖いから。この関係が崩れてしまうことを、恐れているからだ。
そのくせ子爵令嬢のことは焚きつけるのだから、私は本当に嫌な男だと思う。
焚きつけて、そうして玉砕して——シルヴァンの日常から排されてしまえと、思ってしまうのだから。
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