歌舞伎町ナンバー1ホスト。突然クビになったから、女子校で働いてみた

春風 吹

プロローグ

 若さとは煌めきの中に幸福を夢見るものだ。

 乳児期にはキラキラ光るものを見つけると短い腕を懸命に伸ばし、幼少期には夜空の星やクリスマスツリーの電飾に胸を躍らせる。

 憧れは留まることを知らず、青年期には満天の星々、イルミネーション、ビルの高層階や夜景を見下ろせる山頂へと奔走し、無数の煌めきに陶酔する。

 煌めきはあらゆる所に存在するが、中には大都会のそれに憧れ、危険をかえりみずに飛び込み自己顕示欲を満たそうとする者もいる。

 新宿歌舞伎町は日本で最もそのような煌めきが集まる街の一つ。

 僅か六百メートル四方の中に足を踏み入れれば、路上は星の数ほどの電飾看板が妖しく光り、店に入ればシーリングライトやシャンデリアの灯りをミラーボール、宝飾品、スパンコールが相乗的に煌めかせる魅惑に満ちた世界だ。

 もしそこに踏み込むならば相応の覚悟を決めるべきだ。

 煌めきは闇と隣り合わせだから煌めくもの。

 一歩踏み違えれば闇へと迷い込み、元の世界に戻るのは極めて困難となる。

 手に握りしめた夢や好奇心で創られた切符は幸か不幸かの片道でしかない。

 夜の街にデビューする者の多くはホストクラブやキャバクラで働く。

 高級酒と男と女と大金が飛び交い、快楽に酔いしれ、成功者の中には僅か一年でサラリーマンの平均生涯所得を手にする者もいる。

 しかし、移り変わりの激しい弱肉強食の世界。

 開店して四十年、歌舞伎町5大ホストクラブの一つと称される老舗「ファビュラス」でさえ岐路に立たされていた。


 ガシャン!――激しい物音を立てて、グラスの破片が床に散乱した。

「ちょっと! 何してくれるのよ!」

「申し訳ございません! 申し訳ございません!」

 あるホストがチェイサーの水を落とす事件が発生。

 チェイサーとはアルコール度数の高い酒の横に添えられる、酔いを和らげるための飲み物。それが客の服にかかった。

 幸い怪我は負わせていない。トラブルではあるが、事件というにはいささかオーバーに思われる。

 しかし、この粗相は店にとって大事件だ。

 この業界、客のグラスに汗をかかせてはならないという大原則がある。

 汗とはロックアイスで急速に冷やした際に生じる水滴のことで、瞬時に拭き取られなければならない。

 一つは、店を輝かせるため。

 グラスも大切な装飾品で、結露すると輝きが損なわれる。

 店内全てを宝石のように輝かせることで客を夢見心地にさせられる。

 もう一つは、客の手を濡らさないため。

 余計な水滴一つで夢から覚めてしまう客もいるし、それを口外されれば店の沽券に関わる。

 法外なお金をもらう代わりに、心ゆくまで楽しんでもらう。

 そのためにも、グラスは上品かつまめに拭く。

 これは入店したホストやキャバクラ嬢が最初に学ぶ基本中の基本であり、客に水をかけるなど言語道断。彼はこの後、始末書を書くことになるだろう。

「あなた、自分のしたことの意味わかってるの?」

「は、はい! 大変、大変申し訳ございません!」

 女性客はその意味をよくわかっている。

 ピンクのノースリーブのイブニングドレスを身にまとう彼女はこの街で働くキャバクラ嬢。

 さっきまで逆の立場で酒を飲みながらも細心の注意を払っておもてなしをしていた。同業者の見る目は一般客のそれよりも厳しい。

 事態はかなり深刻。ここに至るまでの経緯も相まっている。

 初来店の彼女はホスト指名なしで飲んでいた。

 その際には空きホストが接客をするわけだが、誰も彼女を上手くもてなせずにいた。

 話がつまらないとか、たいしたことないわねと罵られ、自尊心を削がれて控え室に引き返しては交代を繰り返していた。

 そこにきて緊張に耐えられなくなったホストが極めつけの事件を起こしてしまったのだ。

 一斉に静まる店内。まるでBGMが止まったかのように凍てついた空気が流れる。

 フォローすべきは控え室にいるホストたちだが、用なしと言われた彼らは、腰に手を当てて公開説教をする彼女の威圧感の前に動けずにいる。

 そのとき、最奥にある特別控え室から一人の男が現れた。

「みんなお疲れー。じゃ、俺が行ってくるよ」

「「「「え、影斗えいとさん!?」」」」

「いやいや、それは申し訳ないっす!」「ナンバー1に初姫の接客をさせるわけには!」「影斗さんは三十分後に指名入ってますし」「そ、それに彼女、かなり手強いっすよ」

 影斗は崇拝の対象。店の看板ホストに留まらず、歌舞伎町ホスト四天王の一人と称されている。

 そんな彼が尻を拭くと言うのだから、ホストたちが慌て気遣うのも無理はない。

「これ以上悪化させるわけにもいかないし、三十分もある。まぁ、見て学んでくれよ」

 現況とは対照的に影斗は気さくな様子で、光沢感のあるダークなスーツに袖を通し、胸元の深紅のスカーフを咲き始めの花のように開かせ、アッシュブラウンに染まる髪をくしゅっと揉み込みながら、颯爽とバックヤードを後にする。

「いらっしゃいませ。本日はご来店、誠にありがとうございます。私、影斗と申します」

 長身といえる体を屈ませて恭しくお辞儀する彼を見て、彼女の目の色が変わる。

「……あなたもしかして、このお店のナンバー1?」 

 店前にある看板を見たのだろう。

 その中央に位置する男が初来店の彼女の前に現れる。

 自分の働く店ではあり得ない展開にさすがの彼女も僅かに息を呑む。

「ご存じとは光栄です。本日はキャストに粗相があり大変申し訳ございません。お詫びの印しとしまして、私にお付き合いさせていただけないでしょうか?」

「……指名料は払えないわよ?」

「当然です。私があなたと飲みたくて来ただけですから」

「そう? ならば、お手並み拝見といこうかしら」

「ありがとうございます。ここは片付けもありますし、一杯ご用意させていただきたいので、お酒の置いてある席へ一緒にご移動いただいてもよろしいですか?」

 柔和に微笑む影斗が手を差し出し、彼女は手を添える。

 新たに二人がけのソファに腰を下ろすと、影斗はおしぼりを渡して近くにあるグラスを取る。

「あなたが作るの?」

「これでもバーテンダーの資格を持っておりますので、変なものはお作りしません」

 水割り程度なら担当ホストが作るが、影斗は幾つかの瓶を手に取りシェイカーを振る。

 堂々とした佇まいは、見る目の厳しい彼女でさえ見とれてしまうほどだった。

「おいっしい! ……日本酒のカクテル? どこか懐かしさを感じさせるほどの、お米の甘くてとてもふくよかな香り。影斗さんの得意とするのは、お酒の提供なのね?」

「それだけでしたら、私はバーテンダーになっていますよ」

「じゃあ?」

「お客様を満足させるために、心を見るのが得意ですね」

「心を見る? なら私のことも? な~んてね。私たち会ってまだ三分だったわね」

 影斗は切れ長の目をスッと細める。


「お客様の夜のお勤めは副業。上京されて、本業は美容師でいらっしゃいますね?」


「……ッ!」

 彼女は息を止め、これでもかというほどに目を見開く。

「……私たち、以前どこかで?」

「でしたら、お互いに忘れられない相手になっていたかと」

「フフ。じゃあ、どうしてそこまでわかるの? 私、そんな話は全くしてないのに」

「ホストは心を雰囲気から察するものです」

「……?」

「お客様の素肌は信じられないほどに美しい。どんなにおいしい浄水でも湧水には適わないように、どんなにスキンケアしても都会育ちでは決して得られない、多湿で日照時間の短い地域で生まれ育ったことを思わせるほどの透明感があります」

「!」

「少しウェーブのかかった髪は艶やかでナチュラルですが、実はとてもこだわりがある。ご来店されてから何度か髪の束ね方を変えていらっしゃいますが、毛先の一本一本をそのように見せるには市販のヘアグッズでは難しいし、手鏡なしで整えるには技術も要ります。通り過ぎる方たちの髪型に目がいくのは研究熱心が故の職業習慣ですよね」

 髪の美しさと探究心を褒め称える影斗。

 これだけで美容師と断言するのは尚早だが、立ち仕事による腰痛で何度か腰に手を当てていること、手を取りエスコートした際にハイヒールが少しぐらついたこと、彼女の爪先がカラー剤で僅かに黒ずんでいたこと、おしぼりを渡した際に彼女がそこを中心に拭いていたことなど、職業病や職業癖を見逃していない。

「どちらもハードワークなのに両立されていらっしゃる。相当な志をお持ちかと」

「す……すんげぇねー」

 驚嘆する彼女の口から思わず方言が漏れる。

 影斗は彼女に合わせるように陽気に振る舞う。

「お? もしかして、新潟ご出身? 不意に方言が漏れるのって色っぽくて、男心にはぐっときちゃうんだよなぁ。イントネーション的に……下越?」

「わかるんだかね!? もしかして地元おんなじらぁ?(わかっちゃうんだ!? もしかして地元同じ?)」

「いやぁ、そうじゃねえんらろもさぁ、よ~うお客様から学ばせてもろてるんさぁ~。今年の雪はなじらね?(ではないんですけど、よくお客様から学ばせていただいているので。今年の雪はどうですか?)」

「しかもか上手らね! 雪はね、ほぉん~ねすんごてぇ参っちゃてるて(なかなか上手! 雪はね、もう本当に凄くて参っちゃってるわよ)」

 何もかも言い当てられ、さらに望郷の念に駆られた彼女は興奮を抑えきれない。

 実家は祖母の代から続く美容室で、豪雪で家屋が倒壊して休業状態にあり、再建するにも資金が足りず、上京して美容師勤務に加えて夜の仕事を始めたこと。普段は節約を心がけているが、今日はホストである客に執拗な嫌がらせを受け、憂さ晴らしせずにはいられなかったことなど……。

 影斗が同調したり労ったりすると身の上話に花が咲き、都会での生活に孤独を感じて溜め込んでいた思いを吐露すると、彼女の心には煌めきが灯った。

 機嫌を取り戻した彼女はもてなしてくれたホストたちを呼び、厳しく接したことを詫びる。

 店は平穏を取り戻し、ホストたちは影斗にさらなるカリスマ性を感じるのだった。


 ――だが、妖しく煌びやかな話はここまで。

 それから数日後、業界に激震が走った。

「ファビュラス」を運営するグループの代表が新しく代わったのだ。

 利益追求型の新代表は就任と同時に抜本的な経営改革を行い、対立関係にあった前代表は退任を余儀なくされた。

 グループの重点店舗は良くてリニューアル閉店。

 前代表の息がかかった最重要店舗「ファビュラス」は完全閉店し、従業員は他店への異動を命じられた。

 しかし、影斗だけは違った。

 前代表のお気に入りであった彼は、突然の解雇を宣告されたのだった。

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