ランブル オン ≪限りなくヨーロッパに近い異世界≫
井山 ハス
第1話 病室からお届けします。
看護師が去って三十分くらいが経過した。
『三十分』と言っても、ボクはいちいち時計を見るような性格じゃないのであくまで感覚の話だ。
毎度来てくれるお馴染みの看護師さんは、「何かあったら呼んでください」と言ってこの部屋を出ていった。
もう完全に夜だから――ボクが後ろにある《ナースコール》を押さない限りは――あの人がもうここに来ることはないだろう。
誰もいない病室で聞こえているのは、後ろの方でボクの心臓の鼓動を計っている心電図モニターの音だけ。
そのモニターは、止めどなく『ピッ、ピッ、ピッ』と、時計よりも少し遅い速度で鳴り続けている。
あぁ、他に音はないのか……
自分はもう一度、周囲に耳を傾けた。
――カタ、カタ、カタッ………。
靴の響く音。部屋の向こう側で、誰かが歩いている。
気のせいかもしれないが、その音はボクの方に向かって近づいてきている気がした。
――カタッ、カタッ。
いや、多分気のせいじゃない。証拠として、音はさっきよりもボクの耳に大きく響いていた。
扉が開く音、扉が閉まる音。そして床を叩く音。
ボクは
「何もこんな時間に来なくていいのに、
窓を見たまま、ボクは口にした。
「しょうがないじゃん。さっきまで仕事だったんだからー……」
少し疲労が伺えるような口調だった。
それを表すかのように、友久は椅子に腰掛けると同時に「あぁぁ」と脱力するような声を上げる。
「だったら明日来ればよかったじゃないか。わざわざこんな夜遅くに来なくても……」
明日は土曜で休日。
なんで金曜の、しかもこんな夜の時間帯に見舞いに来るのか。
「週末はちょっと予定あるから行けないんだよ。平日は仕事で忙しいし」
なるほど、だから金曜の夜なのか。
相変わらず充実していて何よりだな。
「なんだ? もしかして彼女とデートか」
「…………!」
不意をつくようにボクがそう口にすると、友久は分かりやすい顔で反応した。
すぐに睨むような視線が送られてくる。
「違うっての……ッ! ………友達と行くんだよ…………」
「ははは」
何とも言えない息子の照れがおかしくて、つい笑いが溢れでる。
「結婚したらちゃんと孫を見せるんだぞ」
「だから友達だっつってるだろ……」
友久は呆れるようにため息を一つついた。
向こうも、こんな話をするためにわざわざ見舞いしに来たわけじゃないだろう。
冗談はここまでにしておかなければ。
「まぁ、元気でよかった」
「俺は別に何ともないけど……。親父こそどうなんだよ最近。手術してから会ってなかったけど……」
「この通り元気さ」
友久は険しい目つきで自分を見たが、やがて「そっか……」と小さく返した。
友久も、友久なりに父親のことを心配してくれているのだろう。
ボクはこういう時、常にポジティブに返すようにしている。
こう見えても友久は意外に繊細だったりするところがあって、もしかしたら毎回ボクが同じような返答をしていることにそろそろ疑念を持ち始めているのかもしれない。
――まぁ、決して間違いじゃないんだがな。
「母さんは……今元気にしてるか?」
「お母さん? ……あー、まぁ元気だとは思うけど」
すると友久は、眉間にしわを寄せながら「なんで?」と尋ねてきた。
「お母さんが今どうしてるのか少し気になったんだ」
「親父が気にする必要あるの? それ。 だってもう、お父さんたちは……」
「気にしてしまうんだよ、不思議なことにな」
「…………」
「まあ向こうは、きれいさっぱり俺のことなんて忘れているんだろうけどな」
「別にそれは………」
急に言いよどむ友久。
そんな息子を見てると、何だか急に胸が痛くなった。
何だろう、この罪悪感………。
「すまんな」
「へ……?」
心なし、ボクはそう口にしていた。
「俺のせいでこんなことになって……。もし俺とお母さんがあのまま離婚しなかったら、お前も普通に生きてこられたのに。辛かっただろう? 俺たちのこと気を遣ってばかりで」
そう。
本当は、息子がこんな苦しい思いをする必要なんてなかった。
ボクたち大人が無責任に喧嘩して、互いに縄張りを作り合ったおかげで息子は生きづらくなった。
「なんで親父が謝るんだよ」
友久はボクを見ずに言った。
「辛くなかったって言ったらそりゃ嘘になるけどさ………おれは、親父たちが自分の親で良かったなって思ってる…………。......だから……俺は親父たちが悪いとか思ったりしてねぇからっ」
少し照れ臭そうにしながら告白する、その言葉一つひとつ。
ボクはその言葉から抱いたあらゆる感情を噛みしめた。
それは嬉しさであり、安心であり、驚き。
そして最後には満足――と言っていいのかは分からないけれど、とにかく満たされたような気持ちになった。
全く、それが何に対してなのかすぐに出てこないのが少し歯がゆい感じであるが。
「――ていうか何なんだよ~、さっきから! 親父、今日ちょっと変じゃねぇか~?」
「それはお前もじゃないか? 友久」
「…………」
「…………」
「フッ――」
「ぷッ――」
「「はっはっはっはっはっはっは!!!!」」
分からない。
分からないけれど、何だか急におかしくてボクたちは盛大に笑いだす。
しかし束の間、ここが病院であることに気づいたボクたちは思わず両手で口を塞いだ。
だがそれでも腹の底から笑いが込み上げてくるものだから、ボクらは塞いだ手の中でヒソヒソと笑い合っていた。
ようやく笑いが落ち着き始めてきたその時、突如携帯の着信音が鳴り響く。
「あっ――」
そう声を上げたのは友久だった。
彼は慌ててバッグから携帯を取りだす。
「ごめん親父。ちょっと電話出ないと」
「ああ、構わん」
そう言って、友久はこの部屋を出ていく。
「……………」
直前まで、あんなに賑やかだったこの部屋から急に音がなくなる。
「全く、良い大人になりやがって……」
あの感じじゃ、あいつは近いうちに結婚して、そして子どもを産んで円満な家庭を築いていくんだろう。
皆が思う、輝かしい人間になっていく。
こんなボクでも、離婚するまではそんな人生を送っていた。
それが本当の《幸福》へ繋がると信じて。
でも違うんだ、友久。
結婚して家庭を築くだけが《良い人生》ってわけじゃないんだ。
――大事な何かを得るというのは、同時に大事な何かを失うことになる。
もしもボクが、もっと早くこの真実に辿り着くことができていたら結婚なんてしていなかった。
ボクは………ボクは………
あの時から《自由》を捨て去った。
自由を失ったことに気づかないまま、ボクは子どもを授かり家庭を
もっと自分を大切にすればよかった。
周りの目なんか気にせずに好きなことをやっていればよかった。
一人でいればよかった。
結婚しないで、もっと自分のためにお金を使えば……
ボクは分かっていなかったのだ。
その責任の重さを。後悔の……重さを。
一度人生を
ボクにとって一番大切なのは《自由》だ。
そしてその自由を阻むのは《人》。
人と深い関係を築けば築くほど、個人の行動範囲というのは狭まっていくのだ。
だからこそ、人との関わりは最小限にしなくてはいけない。自由を得るためならば。
まぁ、こんなに老いた人間がこんなことを考えても全く意味はないんだが……。
(そうだな)
――もし二度目の人生を送れるのなら、そうしたいものだ。
「ごめん、遅くなった」
考え事をしている内、友久が戻ってくる。
電話は、一体誰と話していたのだろうか。
「ちょっと今から家に帰らないとだから――」
急に帰り支度をしだす友久。
「ああ、分かった。気をつけるんだぞ」
「分かってる分かってる」
荷物をまとめると、友久は「んじゃ」と早々にここを離れようとした。その時、
「友久」
ボクは呼び止めた。
「一つ、お前に言っておきたいことがあってな」
「………?」
友久は不思議そうに首を傾げる。
「お前がな、この先結婚するなら――」
「だからそういうのじゃねぇってッ! 勝手に決めつけないでくれよ親父……」
「…………」
「それじゃ、一か月くらいしたらまた会いに来るから。それまで親父はちゃんと元気でいてくれよ~」
扉が閉まる音と共に、息子が姿を消す。
思わずため息をつきそうになった。
「別にこっちは冗談を言ってるつもりじゃないんだがな……」
まぁ、あいつには言う必要もなかったのかもしれない。ボクと違って、息子は後悔を引きづるような人間じゃないだろうしな。
選んだ道を無理にでも正解に持っていく人間――ボクにはそう見える。
だから、大丈夫だ。
(……………)
にしても一か月、か……。
「長いな」
一週間に一度……いや、毎日あいつと顔を合わせたい。
看護師の人とは毎日顔を合わせているけれど、何か違う。
同じ人でも、息子と会うとなぜか孤独が満たされていく感じがするのだ。
また……また家族みんなで――
「あ………」
刹那、ボクの思考が止まる。
(またやってしまった……)
「はぁぁ……これだからボクは」
仕方ない。こんな時にまで落ち込んでたまるものか。
気晴らしにテレビでも見よう。
そしたら今あるこの自己嫌悪もすぐに消えてくれるだろうから。
ボクは身体を少しだけ起こして、上の台に置いてあるテレビのリモコンを取ろうとした。
「――ふッ」
だけどリモコンが少し奥にあるせいで、精一杯伸ばしたその腕では届かなかい。
ボクは身体を横へと移動する。
身体についている心電図のリード線がギリギリまで張った状態になっているのを確認し、ボクはそこで動きを止めた。
再びリモコンがある方を見つめる。
(よし、これなら……っ)
無事リモコンを射程圏内に収めたボクは、リモコン向けていっぱいに腕を伸ばした。
――刹那、ボクの胸部に強烈な痛みが走りだした。
「うぐッ……!」
それがあまりに突然過ぎて、ボクはベッドの端で体勢を崩していた。
「あぐぁッ!!」
――パタンッ!
――ピチッピチッ!
ボクの身体は、バタンッと床へと落ちる。
同時に、身体についていたリード線が次々と引き剥がれていく。
「――――!」
心臓が、
肺が、
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァッ――」
痛みのせいで身体が動かない。
脳が、思考がどんどん
(ぁぁ……たすけ――)
「――――」
この状態を何とかしようと、ボクは全身全霊になって顔を上げた。
「はっ……」
刹那、ボクは悟った。
これはもう………
(――いやッ、何か方法は……!)
それでも、何とかこの状況を打破しようと数多の方法を試みる。
時間がそのまま一分、二分と経過していく。
時間が経つにつれ、ボクは疲弊していった。
もう限界だと悟った時、ボクは動くのを止めて天井を仰いでいた。
ああ。
視界が、
身体の感覚がなくなる……
――ボクは………
……………
………
……
…
△△
――ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー………
「ハッピーバースデー、ディアティ~フー……」
真っ暗な視界に、突如として現れだす淡い赤の光。
とても明るくて、まるでこの世の物とは思えないほど温かかった。
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