剪断(12)
まだ誰もいない研ぎ澄まされた教室に満遍なく陽の光が広がる。クリーム色のカーテンの周りに細かな埃が漂っているのが気になった。大きく湾曲したプラスチックは世界をこぢんまりと歪ませて、僕にチューニングを合わせた知覚を与える。レンズがきらりと反射して、号令を掛けたように精密に結ばれる焦点は、これまでよりも繊細で鋭い。痛みを伴って越えられない隔たりを実感させるのに役立った。
昨日のこと、中谷さんはギプス姿の僕に
きりりと主張する輪郭。教室の中央で机を片付けて不自然に並べられた椅子に腰掛ける。端から埋めるべきだろうが、右から二番目が僕の椅子であったから、それに座った。座面の傷の付き方で判る。後ろから入ってきた父さんは、やや腰を屈めていて客人らしくしていた。親子二人でいる教室。表と裏をひっくり返したシャツのように不均衡が生じる。どんなことを話そうかと打ち合わせもできたはずだが、面と向かって赤裸々に晒すことは気が引けた。父さんが今日初めて知る内容があったところで構わないと思えるだけの覚悟は、痛みに堪えるベッドの中で存分にしたはずだ。
休日も部活動の音で校庭なんかは騒がしい。それに引き換え、教室のある校舎は穏やかだった。野球部が出す大声や、金管楽器の音の端くれだけが弱々しく届くのが余計に
バタバタと音を立てて入って来た担任が、申し訳なさそうな顔をして向かいに着席した。
「学級内で聞き取りをしたところ、今回の怪我の原因は、数人のクラスメイトによる高平くんへの常習的な嫌がらせにあると考えるのが妥当だと結論付けました。教員一同、または担任として、このような事態に至る前に、対処や予防をできなっかった監督不行き届きを、猛省しております。」
父さんから視線を逸らさないまま、何かを読み上げているみたいに言い切る様は、よそよそしかった。もしくは、機械音声のそれを彷彿とさせる。真面目なことだけを言う父さんの横顔を見てから、僕は息を吐き切って
静かに怒り、静かに責任を追及する父さんには気迫がある。温度の高い炎が青く見えるように、声を荒らげなくても高いエネルギーを持っていた。その咎め方が美しくあればあるほど、血液が暴れ、口内が苦くなっていくような錯覚をする。担任からこれまでのいじめをあれこれ紹介され、本当のことかと確かめられた。そのなかで眼鏡を壊したのも並木くんだったのかと問われ、面倒くさくなって肯定した。並木くんの家族は一つ一つに水飲み鳥の要領で頭を下げ、いちいち小さくなっている息子を叱る。金でどうにかなる問題でもないけれど、弁償はさせてもらうとすぐに表明した。僕はもちろん苦痛であった。何のために今日ここにやって来たのか、今になるとはっきりしない。
しばらく話を続けて、並木くんが自分の言葉で謝罪をしようという流れになった。集まった視線に溺れそうになって、なんとか言葉を繋ごうとしているのが、果てしない罪悪感への救済に思えてならない。我慢ならずに、遮るように「別に大丈夫です。」とだけ漏らす。すると並木くんは動揺の表情を見せ、充血した瞳にみるみる涙を溜めた。誰にも縛られないと言わんばかりに、馬鹿げたことで笑い、人を貶めてそれも笑い、女子に応援されて笑って返す。そんな並木くんが、きっともうすぐ泣く。感情を動かさないようにそれを見つめていたが、密かに口角が上がった。
「本当にごめんなさい。」
最後はそんな単純な言葉だった。高潔な悪者でいられなくなった並木くんが気の毒だ。どうしてかそんな感想を抱く。「いじめられっ子」として見世物にされた自分にも同じような声掛けがしたい。謝れたことを褒めるように、幼児みたいに泣いている並木くんの背中を父親が優しく撫でていた。言葉では同調して僕らに誠意を見せ、息子を叱るのも欠かさないが、その優しい手つきだけは違った。
十六時を過ぎて教室を離れても、お辞儀のラリーは続いた。そのせいで、追い出されるように車へと向かう。父さんと二人きりになる。僕は二人で何かを話すのが耐え難く、靴を履き替えるところだったが、せっかちに言った。
「金曜日の放課後に部活があって、ポップを提出しなきゃいけなかったんだよね。せっかく作ったのに提出できなくて……それ、出してから帰りたい。あと、読書部の友だちも図書室にいると思うから、心配かけちゃったと思うし、ちょっとみんなと話しながら帰りたくてさ。怪我は大丈夫だから、先に帰っておいてくれないかな。」
まだまだ嘘が滑らかに出てくるようで安心する。父さんがいくつかの代替案を出したところで僕は頑なに一緒に帰るのを拒んだから、心配そうな顔を見せながらも一旦折れてくれた。腕や胸の中の痺れを気にしないで、微笑みを浮かべ手を振った。
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