剪断(10)
上腕骨骨幹部骨折。医者から聞いても頭の中で漢字に変換できなかった。けれど、骨の真ん中が横に切れたように折れているレントゲン写真は、状態を理解するための専門知識を要しなかった。
確か、内田先生に支えられながら、自分で歩いて保健室の椅子まで行ったと思う。落ちた場所が保健室の目の前だったからなんとか辿り着いたが、もう少し遠かったらその場に座り込んでいたかもしれない。保健室の先生は、内田先生よりは落ち着いていて、若さの割に頼もしかった。涙を浮かべて悶え続けている僕に何があったのか訊くが、声が上擦って上手く答えられなかった。子どもっぽいのは
整形外科は学校に面した道の裏にある。内田先生は
腕の痛みでそれ以外の感情が吹き飛んでしまっていたが、内田先生と二人きりの車中はいくらか緊張する。すぐ着くから大丈夫だとしきりに繰り返す様子は、人間味が伝わってくる気がした。車窓を見ると先週母さんと洋食屋に行ったのを思い出した。そういえば、今日は眼鏡は壊れなかった。頭を打たなかったのはよかったと言われたが、もうちょっと運動神経がよければ受け身も取れるものなんじゃないだろうか。眼鏡の蔓が折れたり、腕が折れたり、最近は忙しい。病院に着くと内田先生は一挙手一投足をすべて介助しようとしてくれた。でも、足の悪い先生に
半分泣きながらレントゲンを撮って、さっきの席に戻ると、保健室の先生も来ていた。別に反対側に座れば済むのに、僕のために自分の座っていた椅子を空けて、ここに座れと促される。次は麻酔を使ってギプスで固定するらしい。かなり綺麗に折れていたから、手術は必要ないと言われた。それを幸福なことであるように説明され、極めて違和感があった。僕にとっては今から行うことだけで、災難には満足できる。準備に少し時間が掛かると言うので、先生たちに僕は震え上がったような声を出してみた。そうした方が可愛げがある気がしたからだ。静かな待合室に、しばらく沈黙が続く。それは今、誰も
「
スクールバッグに並木くんの足跡がくっきり付いていた。階段を落ちてから並木くんの声はちっとも聞かなかったが、内田先生はそれを
「僕が先に殴りかかったんです。並木くんはそれを振り払っただけで……。」
状況を詳述することができない。久しぶりに出した言葉は弱々しかった。痛みのせいだと思うことにした。「天音さんがそんなことをするようには見えないけどな。」と独り言のように言ったのには、聞こえないふりをした。僕は目を合わせなかったけれど、内田先生は僕の方を向いて話している。一つ一つ慎重に言葉を探しているみたいだった。
「悪者になってみるのも必要だよ。天音さんは、お家でも弟さんのことで頑張っているんだろうし、勉強も頑張っている。作文が選ばれたことも聞いたよ。クラスメイトを僕らに悪く言うくらいのことは、しても罰は当たらないんじゃないかな。」
眼鏡の端の方で内田先生を捉えてみる。悔しいほどに優しい笑顔をしていた。
「もし、本当に君が先に殴ったとしてもね、君だけがこんなに痛い思いをしたんだ。教師には、あいつが一方的に殴って来たんだって言うくらいでもいいんだよ。嘘は自分のために使いなさい。」
こういうときに教師らしくない発言をするのはイメージに合う。ただ、その声を校舎でない場所で聞くのはミスマッチだった。僕が話すのも例外ではない。学校での自分の塑像の表面が乾き切って、はらりと剥がれ落ちていくような気がした。腕に激しい
「自分のためです。」
一言だけ呟くと、看護師さんがやって来た。ギプスが怖いのは本当だったのに、またピントが合わなくなった。僕の心が何を見たいのか理解できない。
処置室の硬くて狭いベッドに寝かされる。腫れ上がって内出血で変色している自分の腕を見るのは気分が悪かった。肩に刺された麻酔で右腕全体の感覚が消失する。昔に歯医者で打たれたときよりもずっと広く強く効いた。見ていると怖いが、痛みがなくなってむしろ楽になった。さっきまで触るのも痛かったのに、医者は腕を掴んで動かしているみたいだ。骨が動くような感覚だけがあって、自分のものではないみたいだ。他人事の痛みを視野の外側になおざりにした。
ギプスを付けるのは時間が掛かった。手首から肩付近まで、すべてが硬いギプスに覆われていく。緊張感にも慣れて、ずっと横になっていると眠たくなった。そんな感覚も懐かしい気がした。
全身の半分くらいが白くなって、肩を落として処置室を出ると、母さんがいた。後ろで髪を一つに結んで、メイクもしていない。血色が悪く実に疲れているように見えた。「ひどい。大丈夫?」と駆け寄る母さんに「来てよかったの?真宙は?」と慌てて訊く。「おばあちゃんに頼めたから、そんなこといいの。」と中腰になって腕を触らないように腰あたりに手を回された。僕をじっと見つめている。母さんも決して背は高くないのに、僕の方が明白に小さい。ボロボロの体が恥ずかしかった。
「本当にごめんね。」
母さんが無理に笑おうとする表情と裏腹な涙を流していた。
処方された痛み止めの薬と会計を待つ間に、母さんは先生たちに頭を下げて見送った。僕も真似して会釈をする。内田先生は深く一礼してから、僕に向かって握り拳で「がんばれ」とサインを送った。
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