第10話 別の世界の人間とは

 俺の部屋になんとなく重い空気が流れた。お調子者の山根も少し気まずそうに黙っている。


「心さ、中学の時からめちゃくちゃ頑張っててさ」


 大川は赤城のことをぽつりと語り始めた。

 俺と山根は黙ってその話を聞いていた。


「高校に入ってからSNSで話題になり始めて、仕事も急に増えてからもずっと努力し続けててさ。勉強も常に学年上位で、なんか心配になっちゃうレベルっていうか」


 赤城はどうやら学業に関しても頑張っていたみたいだ。

 あんなに毎日のようにアイドル活動をしていて、一体どこにそんな時間があるのだろう。俺は疑問に思った。


「でも、もしかしたら活動が続けられない可能性が出てきちゃってて。それが私はすごく心配というか、なんかもしそうなっちゃったら心、どうなっちゃうんだろうって思って」


 大川が初めて見せる表情をしていた。憂いを帯びていて、泣きそうな、そんな表情だ。

 基本的に大川は陽気なギャルで、ネガティブなことなんて一切考えないような人物だと勝手に思っていたけど、どうやら違うみたいだった。


「どうなっちゃうって?」


 俺は昨日赤城に頼まれたことを思い出しながら、大川に問う。


「心にとって、アイドル活動って人生を変えるくらい重要なことで、それに今の人生の全てって言ってもいいくらい頑張ってることだから。それがなくなっちゃったら、心のメンタルってどうなっちゃうんだろうって……」


 大川は俯きながらそう言った。

 赤城の人生を変えるほど重要なアイドル活動。俺にはその真意がわからなかったけど、とにかく彼女にとって大切なものであることは間違いないのだと思う。


「でも、私たちがどうにかできるようなことじゃないから、心配したところで何もできないんだけどね……」

「…………」


 俺も山根も、沈んだ顔をしている大川に何も声をかけることができなかった。こんな時どういう言葉をかけるのが正解なのかよくわからなかったのだ。


 きっと大川は何もできないのがもどかしいのだと思う。中学からの親友だと言っていた彼女は、ずっと隣で赤城のことを見てきたからこそ、今何もできないのがもどかしくて堪らないのだと、そう思った。


「ご、ごめん! せっかくみんなで集まってる時になんかネガティブな話して。これ、心には言わないでね!」

「お、おう……」


 さっきの表情が嘘みたいに、大川はいつもの笑顔を作った。

 別の世界の住人だと思っていた赤城や大川にも、年相応の、人間らしいところがあるのだと思った。時に恋愛の話で頬を赤くしたり、時に辛くても笑顔を作ろうとしたり、そんなことをする彼女たちは、紛れもなく同じ人間なのだ。


 違う世界とはなんなのだろう、と思った。どこからが同じでどこからが違うのか、彼女たちを見ていると、段々とわからなくなっていく。


⭐︎⭐︎⭐︎


 夕日の光で街が染められる頃、俺たちの勉強会はお開きとなった。

 あの後赤城が目を覚ますと、いつも通り山根と大川を中心にふざけた雑談大会が始まって、気づけば勉強が手につかないまま、終わりを迎えていたのだった。


 玄関前で皆が靴を履き終えたところで、赤城が言った。


「じゃあ、また明日! またやろうね!」

「次は夏休みの大パーティー作戦に期待してて! お姉さんが真夏の微熱に浮かされる超青春イベントを企画するから!」

「うおおおおお!」


 山根は俄然やる気満々みたいだった。

 俺は大川と山根の熱量に苦笑しながら軽く手を振った。


「じゃあ、また学校でな」


 皆が出ていくのを見送った後、俺は自分の口角が無意識に上がっていたことに気づいた。それに充実感で心が満たされてる感じがしたのだ。

 楽しかったな。久しぶりにこういうことやったけど、やっぱり人と関わるのって楽しいんだな。


 別に元々人と関わるのが嫌いなわけじゃない。それに、新しいものだって好きだから、話題にも困る方ではなかった。それでも、俺が人と積極的に関わるのをやめたのには理由があった。……けど、別に大層な理由じゃない。


 地元でも頭が良くて、運動神経もそれなりにいいと言われて持て囃されていた俺は、中学受験で県でも上位の中学に進学した。そのままエスカレーター式で優秀な高校に上がり、それから順風満帆なエリート人生を歩むつもりだった。


 でも、中学に進学してしばらくした時、俺は気づいてしまったのだ。自分の能力が取るに足らない凡人のそれであることに。ただ地元という狭い世界の中で、ほめそやされて良い気になっていただけにすぎなかったのだ。


 それから、何においても自分より優れている周りの生徒たちに俺は劣等感を抱くようになった。次第にそれは劣等感ではなく、世界が違う人間達と俺との線引きに変わっていった。


 俺と住む世界が違う天才や陽キャ、生まれ持って恵まれた貴族達。そういった世界に彼らをカテゴライズするようになっていった。きっとそれは自分の心を守るためだ。


 でも最近、赤城や大川と接していて、なんだかその境界が曖昧になってきてるような気がする。

 いやでも、あいつらは俺とは違う。ただあいつらが俺に合わせてるだけだ。

 俺は自分に言い聞かせるように、そう思うことにした。


 皆が帰ってからしばらくして、部屋の片付けをしていると、スマホが震えた。長く震えているので、おそらく電話だ。

 スマホを手に取って、画面を見ると赤城からの電話であることがわかった。

 赤城から……? 何の用だろう。

 

 電話に出ると、赤城が申し訳なさそうな声で言った。


「あ、もしもし灰谷くん? あのさ、申し訳ないんだけど、忘れ物しちゃって……」

「え、ああ。別に全然大丈夫だけど。何忘れたんだ?」

「えっと、教科書忘れちゃって。まだ帰ってないから、取りに行っても大丈夫?」

「大丈夫……だけど、教科書くらいなら月曜日持って行くけど」

「ううん。明日もちょっと勉強したいから、取り行く!」

「わかった、じゃあ待ってる」


 そう言って、俺は電話を切った。

 赤城は明日も勉強をする気だったのか。日曜日に勉強するなんて、恐ろしいくらいに勤勉だな。


 やっぱり普段から色々なことに対して、とんでもないくらいの努力をしているのだと思った。アイドル活動に対してもそうなのだろう。だからチャンスを掴むことができたのだと思う。


 十分ほどすると、赤城が家の前に到着したとメッセージが入った。

 俺は玄関の外に出て、赤城に教科書を差し出した。


「はい、これ」

「ごめん! ありがとう!」

「じゃあ気をつけて……」

「あ、ちょっと待って!」


 赤城が引き止めてきたので、俺は振り返る。


「どうした?」

「ちょっとこの前の公園で話さない?」

「え? いいけど……」


 赤城が急に誘ってくるので、俺は嫌な予感がした。また何かお願いされるのではないか、と。

 この前のことなら断ったし、他に何をさせようというのだろうか。俺は警戒しながらも、赤城の誘いを断れず公園に同行したのだった。


 赤城は公園のベンチにゆっくりと腰掛ける。その隣に、気持ち少し距離を取って俺は座った。ファンの人にデートしてると思われては大変だし、特定されたりしたら困るからだ。


「この前のこと、急にごめんね」


 開口一番、赤城は俺に謝罪をしてきた。


「いや、別に謝らなくて良いよ全然。むしろ力になれずごめん」

「ううん。急に頼んじゃった私が悪いし」


 赤城は苦笑した。

 そして、公園で遊ぶ子ども達をしばらく眺めたあと、赤城は再び口を開いた。


「あのさ、灰谷くん」

「ん?」

「同じ人間同士でも、違う世界の人だなって感じたこと、ある?」

「え……」


 俺が常々感じていたことを、赤城は急に問うてきた。

 思わず俺は目を丸くした。


「私はそれに押しつぶされそうになることがあるんだ」


 赤城は苦々しい表情でそう言った。

 ……赤城がそんなことを?

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