Episode.5-7:悠姫にとっての"違和感"
——ゆっくりと、ぼやけていた視界が元に戻る。暖房が付いている店内とはいえ、亜空間に比べれば幾分か温度が低いようで少しだけ肌寒く感じる。
「............どうだった?」
身体を動かしたことで俺が帰ってきたと判断したのだろう。華菜さんは恐る恐るといった様子で話しかけてくる。
「ええ、お蔭様で全部思い出すことが出来ました。ありがとうございます」
「まあ、これが私の仕事だからね。上手くいって何よりだ」
確かに、『大切なことを思い出す』という当初の目的から考えれば華菜さんの思惑通り上手くいったと言えよう。だが、また新たなる大きな壁が俺の前には立ちはだかっていた。......悠姫に紫水のことを思い出させること。おそらく彼女も、きっかけさえあれば思い出すことが出来るのだろうが、そこをどうするかというのが難題であった。
「......すんません、これいくらでしたか?」
とりあえず、家に帰って一人で作戦会議を行おう。お代を払い店を出ると、淡い電灯の光のみが照らす帰路をゆっくりと歩いた。
「とは言ったものの、確かに難しいよなあ.........」
ベッドに寝転がりながら、深く思慮を巡らせる。
紫水は、皆が自分のことを忘れているのではなく、初めから存在しない世界になったのだと言う。だとすれば、紫水の事を思い出せるきっかけとなるのはもはや彼女の名残しか存在しない。
悠姫も節々をおかしいとは感じているようであったが、そのおかしさは『自らに起因するものである』と考えているように見える。それをまたもやおかしいと指摘したところで、彼女の考えを曲げることは果たして出来るだろうか。.........いや、俺が頭のおかしい人間という扱いをされて終わるだけだろう。ただでさえ最近様子がおかしいと心配されているというのに。
......となれば、どうすればいいだろうか。
少なくとも、外から入ってくる違和感ではダメなのだろう。おそらくそれがどんなものであったとしても、『覚えていない』もしくは『私がおかしかったのだ』として解決してしまうだろうから。そうなると、彼女が欠片でも紫水のことを覚えている可能性に賭けるしかなくなるのだが.........
「無理、か」
俺ですら覚えていなかったのだ。悠姫にそんなものが残っているとは到底思えない。俺の脳内には不可能の三文字が現れ始める。必死に追い払おうとするも、ダメージを与えるための策はもはや尽きてしまった。
あんなに大口を叩いて帰ってきたのにこんなに簡単に諦めてしまうだなんて、なんと格好の悪いことだろうか。いっそのこと馬鹿だと笑い飛ばしてほしかった。......しかし、それが出来る人間は今ここに存在していないわけで。
悠姫とした約束、結局守れず仕舞いとなってしまったな。まあ、今更後悔したところで何もかもが遅いのだけれど。今一度、彼女に言われた言葉を思い出しながら、そんな事を思った。
「............って、約束? そうか、これならもしかしたら.........」
ふと、名案が俺の頭に降ってくる。
紫水のことを完全に忘れてしまうその前日。俺は悠姫に紫水のことについての相談を行った。その際に彼女は、彼女が亡くなる前に俺とした『約束』を一言一句違わず言ってのけたのだ。あの時既に悠姫は紫水の名前すら覚えていなかったわけだし、彼女の中では紫水は完全に幻想となっていた可能性が高い。
その上であの言葉を思い出せたのだとすれば、おそらく今もその条件は変わっていないはず。あれは彼女の記憶として定着しているものだから、今度こそ悠姫に紫水に関する違和感を覚えさせることが可能であるのではないだろうか。
そこまで考えると、ひとまず俺の一人作戦会議はお開きとなった。
しかし何故か無性に落ち着かず、枕元に置いてあった英単語帳を手に取り、パラパラとページを捲る。決して単語が頭に入ってくるとは言い難いが、少なくとも先ほどとは違い気を紛らわすことには成功した。
翌日。放課後の地研部室には俺と悠姫の二人のみしか居なかった。どうやら椿さんは予備校へと赴き、要さんは合格先の大学に出すための書類の作成に追われているらしい。彼女らの慌ただしい姿を見ていると、もうそろそろあの二人とも別れの時期が近づいているのだということをこの肌で直接感じる。あの人たちのことだから卒業した後でも関わりを持ってくれるとは思うが、それでもやはり、少しだけ寂いことには変わりない。
まあ、それはそれとして。そんな今日は悠姫に紫水のことを思い出させるのには絶好のチャンスであった。先輩方がいては駄目というわけではないが、万が一首を突っ込まれたときに説明をするのが面倒であるのと、あと単純に恥ずかしいということがあった。
「......なあ悠姫」
「ん~? どったの~?」
彼女は机上に広げている問題集から目を離さないまま、半ば生返事のような応答をする。
「いや、前に悠姫から聴いた言葉が思い出せそうで思い出せなくてさ。悠姫が亡くな——」
あ、危ない。『悠姫が亡くなる前にくれた言葉』などと言ってしまいそうになったが、慌てて口を噤む。普通に考えて悠姫が今ここにいる時点でそんな事実は存在しないはず。前も同じように口を滑らせそうになっていたような気がするから言葉には気をつけないと。
「.........? 悠姫が、何?」
俺の言葉が途中で止まったことに疑問を覚えたのであろう悠姫は、今まで走らせていたシャープペンシルの動きをピタと止め、俺にそう問う。
しかしどうしようか。ここまで口にしてしまった以上下手に誤魔化すのはあまり良くないように思える。一番手っ取り早いのは台詞の一部を俺から口にすることだが、できればそれはやりたくない。が.........俺の頭ではきっとそれが最適解だ。ええい、ままよ!
「あのー......『■■■■と仲良くするんだよ? .........ほら、詩遠は寂しがりやだからさ』って、やつ。確かに悠姫から言われたことは覚えているんだけど、肝心の名前が出てこなくて......」
やはり、自分で言うと少しだけ気恥ずかしくなり、悠姫から目線を外してそう言った。そんな調子のまま彼女から言葉が返ってくるのを待っていたのだが、なかなかその時が訪れず思わず視線を彼女の方へと戻す。
するとそこには、依然としてシャープペンシルの動きを止めたまま何かを考え込む悠姫の姿があった。もしやこれは......ワンチャンスが存在するかも知れない。
そう思い、彼女の思慮の邪魔をしないようにと黙って待つことにした。
「............たしかそれ、私が病院に入院しているときに言った言葉、だよね?」
しばらくして、悠姫はポツリと言葉を零す。そのシチュエーション自体には事実と全く相違がないので、適当に肯定する。すると悠姫は、眉間にしわを寄せながら言葉を続ける。
「やっぱりそうだよね。でも、なんだか不思議。確かに私もそれを言った覚えは朧気ながらあるんだけど、詩遠と同じで名前が全く出てこない。......それに、なんだかその言葉自体もおかしい気がする。まるで、遺言みたいな言葉で」
彼女の手前表情には出さないが、初めて手応えを感じる。そうだ、その言葉は『この世界』に於いてはどう考えてもおかしいだろう?
「夢、なのかなあ? でもそれだと詩遠が覚えているのがおかしいし......」
彼女の思考はだんだんと深みへとハマってゆく。おそらく、違和感を覚えさせるということ自体は成功したように思える。ならば......
「それが誰なのか、気になるか?」
「......うーん、まあモヤモヤはしてるかも」
「思い出せる方法があるかも知れないと言ったらどうする?」
それに対して悠姫は再び少し考え込むも、すぐに小さく笑ったかと思えば、俺が予想していた言葉とは少し違った言葉を返す。
「別に良いかなあ。気になりはするけど、今じゃなくても良いというか。......それより化学勉強しないとヤバいんだよねえ。高分子の問題がなかなか解けなくてさ」
「.........そっか」
「うん、せっかく提案してくれたのにごめんね」
申し訳無さそうにそう告げるが、別に悠姫が謝ることでもないだろう。
なるほど、この程度の違和感では悠姫を動かすことは不可能であったらしい。少なくとも、期末試験の方が大事だと思うくらいには。
思えば、俺が紫水について何かを思い出そうとしたのも、一週間で何十個もの違和感が俺を纏わりつくようにして襲ってきたからであって、それがもし一つだけなら適当に看過していたことだろう。
となれば、悠姫にとって見過ごせないような違和感を用意しなければならない、ということになるが、何が悠姫をそうさせるのかということなど分かりそうもなかった。
こりゃあ長期戦になるかもなあ。と、鞄からおもむろにペンケースを取り出しながら感じた。
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